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36.土御門教授語録 ≪本当の優しさってどういう…≫
人は、優しさに思わず涙する時が有ります。同じ言葉でも優しさを感じないときもあります。悠斗君は、優しさとは何か、と言うことが気になっていました。
悠斗君は、土御門先生を訪ねます。今日は、思い切って先生のご自宅に伺いました。先生と同様、奥さんもかなりお年を召していて、腰が多少曲がっているように見えましたが、物言いはしっかりとされていました。奥さんに、淹れていただいたお茶を一口飲み終えると、悠斗君は、切り出しました。
先生、人は優しい気持ちになることもあります、でもそう思わない時もあります。優しいと言うのは、親切な言葉をかける、親切な行動をとる、それが優しいと言うことなのか、少し曖昧というか、分かるようで分からないような気がするんですが。
先生は、ギロッと、悠斗君を見ましたが、すぐに答え始めました。
今日もまた難しいことを聞いてくるんだなぁ。『優しさ』なんてちょっと微妙な感じだと思わんかね。
まぁ、結論から言うと『優しさ』とは、相手を大事にしよう大切にしよう、という『思い』だとワシは思っとる。それ自体はそんなに難しいことではないんじゃが…。
まぁ、もう少し『優しさ』を考えるとじゃなぁ、
『優しさ』の定義と言うものは無いんじゃが、ワシは、簡単に言うと、『無償の』、『穏やかな』、『気遣い』、の三つくらい必要かなぁと考えとるんじゃ。
『無償』、これは敢えて言うまでもないが、気遣いや思いやりは見返りを期待するものじゃぁない。するとギブアンドテイクとなり、優しさとはちょっと違うじゃろ。
『穏やかな』、これは人間は感情の動物、心でいくら相手を思っていても、ぶっきらぼうに、上から目線や腹立ちまがいに、批判的に、或いは強い口調で言われると、相手は反発したくなる、優しさという感情からかけ離れるんじゃ。
『気遣い』、これは相手を思いやる気持ち、先に言ったように、相手を大事に、大切にしようとする気持ちであって、相手に寄り添おうとする気持ちや気遣いが無ければ、優しさとはやっぱりかけ離れるじゃろ。
基本的に、『優しさ』というものは、相手を気遣う労わる気持ちで、優しい言葉をかける、或いは親切にするとか、行為まで含むものが多いと思われるんじゃ。
そうすると、つまりじゃ、言葉、行為まで含むとなると、本当にそういうものが必要か否かは優しさを受ける当人の要求と一致しているかどうかが問題となってくると思わんかね。当人がそういう言葉や行為を要求している、若しくは結果的に嬉しい、有難いと思ってくれれば『優しい』に該当することになるが、そうでなければ、『善意の押し付け、大きなお世話!』となることもあるんじゃ。
『優しい』を言葉や行動・行為と考えると、人は時に見返りを当然と考えたり、若しくはアドバイスや命令形での親切の押しつけをしたりするケースが往々にして見受けられるんじゃ。『おれが教えてやっただろう』、『なんで、私の言ったようにしないの』とかね。『優しさ』は微妙な心の襞の部分に触れることも多く、アドバイスにお礼の言葉は返しても心では納得していない場合も多いんじゃ。
話はチョット逸れるが、優しさの良い面を上げると、
人は地球上の自然界に棲んでおる、自然界は、基本的に『優しい波長』で共存、共生できるようになっているんじゃよ。自然界は『優しい波長』、まぁ大らかな長い波長が通じるんじゃ。みんな大自然を構成する仲間なんじゃからのぉ。
優しさは人と人を繋ぐ基本的な感情で、程度の違いや表現方法の違いはあれどみんなが持っている。そして、みんな優しい人に惹かれるんじゃ。優しくなければ人と仲良くなれない、優しいとはそういうものなんじゃな。
優しい気持ちになると、人間の身体にも変化が起こる。セロトニンやオキシトシンと言った幸せホルモンが自分の脳内に分泌されて、本人自身が生物学的にも良い方向になり、且つ周囲を巻き込んで、運さえも良くなると言われている、こんな不思議なものが人には備わっているんじゃよ。ウーン、胡散臭いという顔をしとるなぁ。
優しさを、別の視点から見てみると、
優しさは、人が助けを求める心境、そういう辛い、困った状態の意識の時に掛けられると、優しさを感じ易いとも言えるんじゃがのう。
そうすると、辛い苦しい状態の人、落ち込みやすい人の方が、優しさを感じ易いと言うことなんですか?
悠斗君が言葉を挟みます。
まぁ、そういう状況が多いと言うだけかも知れんがなぁ、ケースバイケースだと思うなぁ。パワハラ、セクハラと同様、相手次第、相手が労りや思い遣りを受け取った時に『優しさ』となる場合が多い、かも知れんノォ。
そしてまた、
人から、優しくされると嬉しいよなぁ、そうすると人間はついつい甘えたくなるんじゃ、でなぁ、ずーっと甘えているとその優しさが当たり前になってしまって、人の優しさを感じなくなってしまうこともあると思わんかね。そうなると、今度はその優しさを逆に要求しちゃうかもなぁ。だって無償で黙って、自分の都合のいいことをしてくれるんじゃからのぉ。『優しさ』って難しいところがあるんじゃなぁ。
『優しさ』ってなぁ、さっき定義をしたんじゃが、相手との関係でいろいろと変わるんじゃ、考えにゃいかんことも多い、人の心は複雑で気まぐれじゃからなぁ。
それでじゃ、そういう細かいことはともかく、本当は相手に通じようが通じまいが相手を思う気持ちというのは変わらない、それが本当の『優しさ』なんじゃ、と思わんかねぇ。どちらかと言えば言葉や行為の押し付けでなく、黙って見守っていることの方がより深い『優しさ』のような気がせんかね。相手はきっとその内、その『優しさ』を感じ取ってくれると思うがノォ。
まぁしかし、これが中々の難物なんじゃ、なんせ人はすぐに口出しをしたがる動物、口出ししないと自分自身の感情が収まらん動物じゃからのぉ。オーッホッホッホー。
『優しさ』の思いは、つまるところ、母親の愛情のような思い、『本来の人間としての思い』だ、と思わんかねぇ。ここなんじゃよ、チョット説明は難しいんじゃが。心から相手を大切に、大事にしたい、この思い、気持ちがあれば、自然と言葉にも行為にもそれが顕われる、その心根が本当の優しさじゃと思うがノォ。人は『優しさ』という言葉にばかり気を取られ過ぎている気がするんじゃがのーォ。
悠斗君は、『優しさ』は人間にとって、人と人とも繋がり合う、また自身の身体にも良い、大事なものということは理解しました。が、まだちょっと人と人との間の関係についてはよく分からないなぁと感じ、少しばかり不完全燃焼ではありました。が、何となく安心した悠斗君でもありました。
先生に返す言葉もないまま、お礼を言って帰ることになってしまいました。心配そうに見守っている奥様にもお礼を言って、頭を下げて、お宅を後にしました。
優しさはみんなと同じ。素直になれば良いだけです。折角の二度と無い人生、仲良く楽しく幸せに生きましょう(H/P 書窓けやき通り)