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40.土御門教授語録 ≪人が幸せだなァ~と思う時、≫
悠斗君は、幸せとは何か、どういう気持ちの状態なのか、ということがズーッと気になっていました。分かるようで分からない、モヤモヤとした感じでした。
それを尋ねたくて、土御門(つちみかど)先生のところに、またまたやって来ました。先生は、昼ご飯を済ませて、研究室で寛いでおられる時でした。
悠斗君は、先生、お聞きしたいことが有ります、といきなり話し始めました。幸せとはどんな状態を言うのでしょうか、人はどういう心理状態になった時に『幸せ』と思うものなんでしょうか。よく見えないんです、分かり易く教えて頂けませんか。
またまた、先生は困った顔をして、ジーっと悠斗君の顔を見詰めました。
そして、君は幸せだ、と思った瞬間は無いのかね。
先生は、今度は悠斗君の顔を見ないで聞きました。今度は悠斗君が困った顔をしました。
まぁ、月並みですが、試験でいい点取った時とか、美味しいものをお腹一杯に食べた時とか、心配事が解決して暖かい布団に入った時とか、ですかね。
先生は、ある程度予期していたようです。
幸せは、人によって、またその人の心理状態によって、その対象事案によっても、千差万別だよ。ただ一つ、その人の気持ちが『シアワセダ』と感じるかどうかだけなんだと思うよ。特に明確な、具体的な定義がある訳では無いと思うよ。
君の例でもあるように、その人の心が安定して、穏やかで、満ち足りて、安心して、心地良い状態なら、幸せと考えて間違いは無いと思うがなあ、或いは心の至福、ゆとり、満足感、充足感かも知れんなぁ。こればっかりは人に拠って違うからなぁ。
外見上、幸せそうに見えても、実際は内心、引っかかっている、気になっている事柄を抱えている人も多い、不安な気持ちに毎日悩まされて暮らしている人もいる。これが現実だと思うなぁ、心の中は見えん、本人にしか分からないんじゃな、まぁ、本人にも分からないことも多いんじゃ、これが。
『本人が、シアワセだと思える状態』とでもしておこうか、要は本人の心の状態なんだ、と言うことは、物理世界に拘っている人は物理世界の状況と同じかもしれないし、物理世界を切り離すことができる心の持ち主なら、物理世界と無関係にシアワセと思っているかもしれない。そう思わないかな?ここが肝心なんじゃ。
まぁ、ここでは物理世界と心を切り離せる人のことで話をするが、それでいいかね。
土御門先生は、やはり困ったような顔をして、話を続けます。
少し話は逸れるが、
人が『シアワセダ!』と思えるような事例を考えてみるとじゃな、
一つ目は『欲しかった物を獲得できたとか、或る目標を達成した、とかによる幸せ』じゃな、たとえばスポーツの大会で優勝した、望んでいたものが手に入った、憧れの人と話ができた、試験の点数が最高だった、美味しいものをお腹一杯食べられた、有名校に合格した、等々じゃな。まぁ、美しい風景や綺麗な花を見られた、可愛い動物に出会ったなども入るじゃろうなぁ。目標や願いが叶った時に幸せと感じるのは普通によくあることじゃろなぁ。
二つ目は『個人の思いの幸せ』じゃな、たとえば、何不自由なく暮らせる、病気が治って自由に歩ける、束縛や恐怖心から解放された、今まで食べられなかったものが食べられる、今日も一日健康で暮らせた、等々。これはある種の不自由な状態から解放されたとか、自然体の今在る状態に素直に感謝する心のありようかも知れんなぁ。人の思いの中で最も崇高な幸せかもなぁ。
三つめは『人とのつながりの幸せ』、これは信頼できる人がいる、パートナーがいつも優しい、助け合える仲間がいる、気を使わずに心を開放できる人たちに囲まれている、等々、安心して過ごせる人々と繋がっている、じゃな。
まぁ、別に優劣をつける必要はないんじゃが、君ならどういう幸せが希望かね?
僕は、よく分からないけど三番目の信頼出来て優しくて助け合える人との繋がりの幸せが『凄く幸せだなぁ』と思える気がします。なんか毎日が安心、何でも気軽に相談できて、楽しく過ごせるような気がします。
そうじゃろなぁ、多分、人と生活してゆく上で人とのつながりが、最も心豊かに安心して過ごして行けるんじゃろなぁ。こういう人や仲間がいる人ほど、毎日が幸せに暮らして行ける気がするのぉ。ここは『しあわせ人』の世界じゃ。
現代人はどちらかと言うと一番目の幸せを感じることが多そうじゃな、まぁ、人間関係の厳しさゆえに二番目の人も意外に多いかも知れんがなぁ。三つめは人を批判、非難、攻撃ばかりしている現代人にはすこしハードルが高いかもなぁ。『人に勝つ、人を倒す』のを是としている社会じゃからのぉ。ちょっとバランスが悪いんじゃ。『しあわせ人』の世界は『人と仲良く、人を大事に』の世界じゃから、正反対じゃのぉ。
まぁ、どれか一つでも当てはまれば、それだけで幸せなんじゃろがなぁ。
ちょっと余談じゃが、三つめは『人とのつながりの幸せ』、これはちょっと特別なんじゃ、人間の本質、自然界の摂理なんじゃ。心の安心、安定を招く、心の自然解放なんじゃ。それは人間にとって信頼感も幸せ感も通り越して自然回帰なんじゃ、心身共に自然な状態に向かう、どんな薬や治療よりも多くの不調が癒されてゆくんじゃ。まだ多くの人には未知の領域なんじゃが、これほど人間の心身に良い状態は無いと言われとる。人と仲良く嬉しく楽しく思ったり、接したりするとそれだけで、オキシトシンと言う特別な幸せホルモンも分泌される。人と人の関係は人間にとって特殊なんじゃ。ちと話が逸れ過ぎたがなぁ。オーッホッホホー。
あんまりこういう話をしても、その人の考え方や経験してきた内容にも拠るが、人間組織社会にどぶ付けになっている人たちには、ほとんど理解はされないんで、あんまり言いたくないんじゃがのぉー。君も、『しあわせ人』の世界に入りたいと思ったなら、どうすればそんな生き方ができるかを考えてみると良いかもなぁ。
それとじゃ、ちと話は変わるが、
人は、何だかんだといっても、『自分は幸せだぁー!』と思えばシアワセダナンダヨ。誰も文句は言わないし、違うとも言えない、よ、きっと。
大きな声で何度も何度も、毎日毎日、『自分は幸せだ!』と言っていれば、きっと君の脳も、『シアワセダ!』と洗脳されるかもしれない、そうなると、シメタもんだね、きっと、心も身体もそういう方向に動くかもなぁ。
そう思うだけで、心も身体も、健康になるんじゃ、人間て素晴らしい動物だと思わんかね、いや、実に変な動物なんじゃよ、きっと。
そうなるとウレシイヨネ!『幸せと思う心に、更なる幸せ来たる!』だ、キット。
まあ、回答には成っていないがなぁ、今日は、これくらいで勘弁してくれんかのぉ。
悠斗君は、『フーん、ンッ』と、漏らしました。なんか余計に分からなくなってしまいました。幸せは望むものでは無く、噛みしめるもの。折角の二度と無い人生、仲良く楽しく幸せに生きましょう(H/P 書窓けやき通り)