筆跡は語る
「にんげんだもの」で、有名な相田みつをさん。
その詩や書は、どこでともなくお見かけする。
そんな感じでしょうか?
特にファンというわけでもなかったけど、
「こんな風貌の方だったんだ~」と
ちょっと意外な感じがしたことを覚えています。
以前、NHKの新日曜美術館で
「自分のことば じぶんの書 ~書家で詩人・相田みつを」
という特集を観たときのこと。
痩せていて、やさしそうで、繊細そうなお顔立ち。
あの独特な書体とは、かなり違うイメージ。
「裸の大将」のような人を勝手に想像していたかも・・・?
煩悶、あるいは、内省。
そんな中で、あるがままを見出し、歩み続けた彼のストーリー。
つい引き込まれる形で、45分間、しかと番組を観てしまいました。
その翌日のこと。
帳面を開き、何か書きつけたとたん、
私は、違和感を覚えたのです。
あれ?? いつもの自分の字とちがう・・・。
昨日の相田みつをさんの字に似てるー!!
(個性的な書の墨字ではなく、)相田さんが
ふだん、日記やノートにペンで書かれていた文字の方です。
番組内で何度も見たそれは、丸いような、平板なような、
おだやかで、抑揚の少ない書体でした。
それによく似た字を、なぜか自動的に書いている、私の手。
おお、明らかに感化されている・・・
「ちょっと、単純すぎっ」と自分にツッコミを。
・・・けれども。
なんかいいな、この書体。
力が抜ける。
ゆるむ。
そして、
受容する感じ。
判断しない感じ。
お先にどうぞ、とゆずる感じ。
書きながら、そんな気分になったのです。
さらに書いていると、
反応しすぎず、
おっとりと、間(ま) があって、
そのじつ、頑ななほど、我が道をゆく。
そんな心境もなぞっていくような感覚。
この変化、ホント不思議でした。
筆跡って、鑑定士という職業もある位だから、個性、遺伝、その時の心の状態など、無形の顕在化。相田さんも、そういった内面を持っておられたのかもしれません。私が転写?してしまったような心持ちを。
彼の詩たちは、やはりそんな懐の深さから生み出されたのでしょうか。
それは、もしかしら自分の想像だったのかもしれないけれど
一文字一文字の中に広がっている、在りかたの小宇宙。
そのようにも感じたのです。
そして、筆跡(カタチ) を変えることで、
ある程度、自分の内側を変化させるというアプローチも
あるんじゃないかなとも思いました。
手書きの機会が減ったとはいえ、スケジュール帳とか申請書類とか書くことは必ずあるので・・・
ところで、ふだんの私の肉筆はといえば、
どことなく急いでいるような、サッサッサーとした文字。
コレ書き終わったら、○○しよう、
そんな感じが滲み出ているような・・・。
なので、これからは
もう少し、ゆったり丁寧に書いてみよう。
もっとゆったりと生きたいから。
_________________________
何年か前に、そんな風に思ったことを
去年の暮れ、年賀状を書きながら、ふと思い出しました。
すっかり忘れていたなと 。。
なので、改めて 2024年の目標は
「ゆったり書いて、ゆったり生きる」にしました。
投稿もまたゆったりと、笑。
お読みいただき、ありがとうございます。