[雑記帳 #みむら] Fractal Room Projectを立ち上げてみた。~経緯篇~
ハローハロー、ごあいさつ
こんにちは。本noteのオーナー・みむらです。読んでくださってありがとうございます。
いきなりですが、どうやら私には道順障害と相貌失認があるようです。脳神経内科の先生に助けられ励まされ知的好奇心を刺激してもらえたことで、現在は先生のサポートを受けて道順障害や相貌失認の研究を(素人なりに)させてもらい、本プロジェクトでVRを使った検証をしています。
軽く自己紹介
美術系の大学院を修了後、広告業界でアートディレクターとして企業勤めをしたのち、映像技術専門誌のライター・編集者に。3DCG技術(映画・アニメ・ゲーム・VR・医療・製造業etc…)、映像技術、仮想通貨、ブロックチェーン技術といったテクノロジー領域の技術記事を専門に書くテックライター&編集者を16年ほどしています。2017年に某仮想通貨取引所&ブロックチェーン開発会社でPR&広報を担当して以来、IT系ベンチャー企業のPRや広報のお手伝いもしています。動物(とくにウォンバット)が大好きです。
連絡先:frapro4649@gmail.com
道順実験で悪夢がふたたび
昭和大学病院・脳神経内科の二村明徳先生を紹介していただき、様々な検査やテストを受け、先天性の道順障害(発達性地誌的見当識障害)/相貌失認との診断を受けました。
様々なテストに挑戦し、私の苦手なものや迷うときの傾向を一緒に手探りで探っていく日々を今も続けています。
ある日、二村先生はマインクラフト(以下、マイクラ)で実験用のゲーム「実験場」を作ってきました(先生が制作したマイクラに関しては、いずれマガジン「道順障害の研究」で詳しく紹介します)。いわゆるFPS(First-person shooter)のゲームです。部屋の中にたくさん配置された台の上にボタンが設置されています。指定された番号の順番にボタンを押していく…といったシンプルなゲームです。
それを見た瞬間、ふとあの悪夢が脳裏に浮かびました。命の次に大切にしていたドラクエが、私の元から去ってしまった日のことです。
話は2004年にさかのぼります。私はスクウェア・エニックスのドラゴンクエストシリーズが大好きでした。2004年、待望の「ドラクエ8(PS2)」が発売。後方視点の3Dグラフィックが採用され、キャラクターの目の高さでドラクエの世界を歩けるという、従来のドラクエとは一線を画す作品でした。素晴らしい。ドラクエの世界にダイブできるなんて。購入するやいなや一目散に会社に戻り(業務中にヨドバシにダッシュ)、会議室のテレビにプレステを繋いで同僚数名と上司とで「新たなドラクエワールド」がいかなるものか、その衝撃を一緒に目に焼き付けることにしました。
開封の儀を執り行い、一同息をのんでTV画面に見入ります。あのテーマ曲が流れMapがひろがり期待度はMAXに。そしてついにドラクエワールドがキャラクターの眼の高さで展開された瞬間、同僚たちが「おお~」と声をあげ、目の前に広がるダイナミックなドラクエワールドに完全に没入していました。私以外は。
上記動画の8:27のあたりですでに私の表情は固まっていました。町の中に入るともうパニックです。キャラクターがどこに向かっているのか、現在地と目的地が脳内でつながらず、「めちゃくちゃ難しいゲームになったな!」と涙を流しました。コントローラーを同僚に渡し、代理でプレイしてもらいました。3D映像に酔ったのか気分が悪くなったので、私はひとり自席に戻り涙目で仕事を再開することに。会議室からは楽しそうな声が聞こえます。私のドラクエなのに。
その後、「きっとあの映像に慣れていないだけだ」と何度か朝練・自主練を繰り返しました。しかし結局、このゲームを最後までプレイすることはできず、それ以来、私がドラゴンクエストで遊ぶことはなくなりました。
私が遊べるのはドラクエ7までです。ドラクエ7はいにしえの「真俯瞰フィールド」ではなく、3D化されたゲームですが俯瞰は俯瞰です。キャラクターの視点で世界を見ると、なぜ難しくなるのか?何が違うのか。私にはわかりませんでした。FPSとかTPSのゲームが増えたのもこの頃ですね。ゲームの存在が一気に遠くなっていったのを感じました。
VRでつくれば実寸大でテストができるよね!
話を2022年に戻します。そんなわけで、二村先生が制作したマイクラを見た瞬間、「これはやばいぞ」「先生は私が苦手なものを本当に知っている」と震える手でマウスに手を伸ばし、マイクラ実験を開始しました。
ゲームとしてはとてもシンプルで、真俯瞰からみたMapに記されている番号の順にボタンを押していけば良いだけです。簡単!だと思うでしょ?だんだん難しくなっていくんです。振り返ったり、嫌な角度で曲がらなくてはならなかったり、同じ道を戻ったり。最もプリミティブな形で私の苦手なものが詰め込まれていると感じました。
一方で、これはどこかドラクエ7と似ています。FPSではあるのですが、カメラの位置の問題だったのでしょうか、それともPCモニター越しのゲームゆえの心理的な距離感なのでしょうか。ドラクエ7と8の中間といった感じです。
そのときふと、「VRを使って1/1の実寸大スケールでこのゲームを作ったら、より正確な結果が出るのではないか」と思いつきました。私はVR開発に関する技術記事をいくつか執筆したことがあったので、Unityであれば自分でVRアプリを作るのは無理な挑戦ではないことを知っていました。「勉強すれば自分でもできるかも」と思い、しばらく独学しましたが決して易しくはありませんでした。外注して作ってもらおうかとも考えましたが、研究は始まったばかり。ビルドアンドスクラップを繰り返す必要があり、かなり費用がかかります。
結論として「研究がまだまだ続くことを考えると、自分でつくるのが最も効率的だ」と考え、VRの学校に通うことにしました。6か月のスパルタコースで、VRアプリを開発するための最低限必要な知識とスキルをなんとか身に付けました。
ひとりでFractal Room Projectをスタート
Fractal Room Projectが立ち上がったのは、2022年の年末くらいだったと記憶しています。ひとりで勝手にプロジェクトにして、VRの学校で知り合った同期のみんなが開催する勉強会などに参加しつつモチベーションをあげていました。
学校ではチームでアプリ開発をするのですが、チームメイトにため息が出るほど優秀なエンジニアがいました。「あれしたい、これしたい」と言うとどんなことでもVRの世界にサクサクと実装していくんです。エンジニアって神様なんだと思いました。このエンジニアが、本noteで技術記事を書いてくださっているコヒロトさんです。
在学中、私はプログラミングの勉強をするためにコヒロトさんに課題を出してもらっていました。毎週1問、課題を出してもらい、私が四苦八苦してコードを書き、添削してもらうという具合です。私の知識が乏しすぎるため、コヒロトさんはどこから教えたら良いか分からなかったかもしれません。それでもコヒロトさんは、私が自分で考えてプログラミングが書けるよう優しく丁寧に根気強くプログラミングを教えてくださいました。
私はVRの学校を6か月で卒業(基礎コース)し、コヒロトさんはより高度な技術を学ぶ後期課程へと進まれました。卒業後、私はひとりで二村先生がマイクラで作った「実験場」をVRに起こしていくことにしました。しかし、なにしろプログラミング初心者ですので、ちょっと複雑な動きを入れたいとなるとコードが書けません。UnityやVRの勉強に加えてプログラミング言語「C#」をもっとしっかりと学ばなければならないのです。
卒業後も「VR勉強会」を開き、卒業生や在校生らと情報交換や実装が難しい箇所の相談などをしたり、時には手伝ってもらったりしつつ、なんとか二村先生がマイクラで作った「道順障害 実験場 VRバージョン」が完成しました。
こんな感じで、Fractal Room Projectはミムラがヨチヨチ歩きでスタートしたひとりVR開発プロジェクトでした。今から考えると、信じられないくらい危なっかしいですね。今回はひとまずここまでにします。ではまた。
TEXT_みむら
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