【これまで書いてきたもの】回顧と無展望
月に1回はnoteに何か書いてきたため、ここの記事の分量も読者も増えてきました。
そこで自己紹介的な記事を書いておきたいのですが、それはいずれ書くとして、今回はこれまで書いてきたものを振り返りたいと思います。
自分の整理用でもあり、私に興味を持っていただいた方への自己開示でもあります。なお、Noteに書いたものは割愛したので、気になる方はプロフから見にいってくださいね。あ、本文は「ですます」体やめてます。
雑誌『彰往テレスコープ』に掲載されたもの
『彰往テレスコープ』は同人雑誌であるが、その性格をどう説明すればいいか編集長に聞いたところ、「学習院や国学院史学科のワルたちが寄り集まって、史学や哲学などの才子を集めて書かせているもの」らしい。初めまして、史学や哲学などの才子です(自己紹介)。
平泉澄における歴史的なものの概念 ー天皇・建国・民族ー
二重川統光「平泉澄における歴史的なものの概念-天皇・建国・民族-」(惟宗ユキ編『彰往テレスコープMUSEUM vol.03 臨海泡沫計画 -SEA SIDE BUBBLE PLAN-』2022年9月所収)
平泉澄は昭和に活躍した歴史学者であり、尊王思想と歴史理論とを結びつけ、天皇を戴く日本国家の歴史に参画し「皇国」を護持する意義を説いた思想家である。
この論考は平泉のの思想の論理構造について論じた総論的なものであり、かつ各論として平泉の「民族」論に踏み込んでいる。平泉の思想構造を円環の理(論)として整理したところに特色があるが、肝心の「民族」論のところは調査不足の感は否めず、かつ平泉の歴史人物観について触れるべき先行研究である山口道弘「正閏続論」を見落としていたことは悔いが残る。
とはいえ、最も名刺代わりに使える作品であると言える。
『やがて君になる』における「好き」と固有名
二重川統光「『やがて君になる』における「好き」と固有名」(惟宗ユキ編『机上のユートピア 彰往テレスコープMUSEUM Vol.02』2021年2月所収)
傑作百合漫画である仲谷鳰『やがて君になる』について愛を込めて論じたものである。アニメ化したこの作品における「好き」観から哲学者クリプキの固有名論を想起したことが『やが君』にハマるきっかけとなり、またこの『やが君』論を書く伏線となった。なお、拙稿は掲載誌では「書評」と称されているが、自分では「批評」のつもりである。
もし私の思想を研究する者があるならば(いねぇよ)、その者は『やが君』を読まなければならない。……などと私は大真面目に言っているくらいなので、この批評(自称)は自己紹介代わりになるものだと勝手に位置づけている。(平泉論に比べれば読者を選ばないし!)
私の『やが君』論はぜひ読んでほしいが、それは読まなくとも、『やが君』は読んでほしい。(突然布教を始める)
彰往テレスコープのnoteに出したもの
「絶版本で何か面白いのを書け」という縛りプレイで書いたもの。
「不敬」になりかけた「尊王の聖典」/文部省『神皇正統記』(2022年3月)
『神皇正統記』は14世紀に公卿・北畠親房が著した歴史書で、尊王の聖典として戦前戦中は特に高く評価された。それを平泉澄が訳したものを文部省が出したら、不敬として訴えられかけた……!という挿話の面白さをダシに、自分が書きたいことを書いちゃった。「平泉は、口語訳という営みを通じて、中世身分制国家における「國體論」を、近代国民国家を支える「臣民」のための「國體論」として世に問うたのである」というセリフをキメたが、これに似たフレーズは自分が2018年に既に書いていた。
「神聖ローマ帝国の死亡証明書」の創作者/ヨハンネス・ハラー『ドイツ史概観 ドイツ史の諸時期』(2021年6月)
17世紀のハプスブルク朝の皇帝フェルディナント2世は私にとって思い入れのある人物なのだが、『ドイツ史概観』には彼についての悪口がたくさん書いてある。それを見たさに買って読んだのだが、そこで大きな発見をしてしまった。どうやらウェストファリア条約を「神聖ローマ帝国の死亡証明書」と初めて表現したのはこの本かもしれないのである!(実は間違ってたらごめん♡)
そのネタをダシにこの書評を書いたのだが、これもまた好き勝手に書いた。三十年戦争に関連する人物への著者の面白い悪口を紹介するのは完全に趣味全開であり、最後の方は前近代史を軽視する新教科「歴史総合」への個人的な嫌悪感の当てつけである。が、やはり歴史好きな高校生が大好きな言葉「死亡証明書」の元ネタを検索エンジン上に放流したのは功績ではあるまいか(間違っていなければ)。
アメブロに書いたもの
それ以外に書き散らしたものの発表媒体は、いにしえの文化であるアメーバブログである。最近ようやくnoteに移住したが、それまではそこに書いていた。初めは手元にある僅かな平泉の著作から言えそうなことを言い、徐々に多くの著作を集めては読み、何か論じれそうなことがあれば論じ……を繰り返していた時代のことである。今振り返ってみると「よくあの文献を読まずにそれを論じたな!」というのものあるが、「ちゃんと新規性あること言えてるんじゃない?」と思えるものもある。相対的に価値の高いものとそうでないものがあるが、その観点も踏まえつつ、かつての書き物を整理していきたい。
ある時点から、生成AIやホモサピエンスの剽窃用フリー素材としてネット上に放流するよりも、ちゃんとまとまった分量で論じて成果にした方がよいのではと邪念が出てきて、アメブロはあまり更新しなくなった。なお、書いた記事を修正する場合、誤字脱字などの論旨に影響しないものはステルス修正、大きな変更や追記がある場合はその旨と記載日を書くようにしていた。
なお、量がそこそこあり、いちいち内容紹介をしてもつまらないので、主に雑感を気楽に書いていくことにしたい。
(以下、記事名の後に何年何月に書いたかを明記していないものは、今の私が無価値と判断した記事である)
葦津珍彦の神武天皇建国論
神道家・葦津珍彦の神武天皇論が面白かったので、紀元節の日に簡潔に紹介したもの。平成まで生存した葦津も今や「歴史」となり、思想史の研究対象となりつつあるから、軽い気持ちで深入りはできない。
平泉澄の院政批判(2021年3月)
尊王思想家である平泉が、元天皇が政務を取る体制「院政」をいかに批判したかを論じた。なお、皇室批判も伴う平泉の天皇論については、山口宗之「平泉澄博士における天皇」(九州大学教養部 編『歴史学・地理学年報』(10),九州大学教養部,1986)があり、そこで平泉の院政批判にも触れられているが、当時はそれを参照できなかった。
平泉澄『伝統』におけるテーヌ紹介の紹介
ただの紹介で、新規性ゼロ。ほぼ自分の整理用。
平泉澄と平清盛(2020年11月)
平泉は戦後に源平合戦の話を書いている時が一番楽しそうで、純粋に歴史を楽しんでいるように見える。批判するとこは批判してるけど、なんだかんだで平家も清盛も憎めず、そこそこ好きなんだろうなって。とはいえ、平泉による清盛批判の焦点が「君臣の義」と「華夷の弁」にある点は注目される。
平泉澄 北条氏評価の変化について(2020年9月)
そこそこ気合を入れて書いた記憶がある。一般によく読まれる『物語日本史』では北条泰時の「非道」には触れても善政とされる政治や御成敗式目には一切触れられていないが、他の著述ではしっかりと触れられている。
平泉澄と美濃部達吉 (附、平泉澄と喜田貞吉)
美濃部は天皇機関説や憲法思想で、喜田は南北朝正閏論で平泉と思想的に対立してる。そんな二人ととのほっこりエピソードの紹介みたいなところのある記事。
小島毅『靖国史観』 平泉澄論の誤り(2020年9月)
小島の平泉理解に明らかに難があるとして一気に書いた批判。なぜ参考文献に植村和秀を挙げておきながら、「国体に関する自分の信念と照らして天皇が誤っていれば背いてもかまわない」のが平泉の思想だとする粗雑な紹介を平気でできるのか理解できなかった。
平泉澄と『難太平記』 足利の置文伝説について(2020年8月)
着眼点には紛れもなく新規性があると自負している。が、平泉論そのものではない、「足利氏の置文伝説」について他の歴史家がどう考えているかについてはWikiを参照している(そのことは明記)あたりは手抜きであって、そこが本稿の脆弱性となっているかも。
「聖断」と「国体護持」 平泉澄・後亀山天皇・昭和天皇(2020年8月)
個人的に気に入っている記事だが、今一つ人気がない。なんで???
「聖断」によって降伏した2人の天皇を平泉澄がいかに眺めたか。後亀山天皇は足利幕府に降伏し、その後数百年武家政権が続く。昭和天皇は連合国に降伏し、日本国憲法体制が数十年以上は続く。国民の苦難を救うための降伏を平泉は非難することはないが、降伏後に日本を「占領」する「幕府的存在」は百年単位の時間をかけてでも覆し、「本来の日本のあり方」を回復することこそが、平泉が「国史」の中から継承した志ではないか。
『神皇正統記』続編の困難性 ――後花園天皇という難問(2020年4月)
直系継承の一本の筋を「正統(しょうとう)」とするのが北畠親房の皇統観だが、その論理で『神皇正統記』の続編を書こうとするとどうなるか。そこで難問となるのが後花園天皇だ。彼は血統上は崇光皇統だが、建前上は後小松天皇の猶子となって後光厳皇統の天皇として即位する。その後、後花園天皇の子孫が皇位を独占するので後花園天皇が「正統」になるのは疑いないが、崇光皇統と後光厳皇統、どっちが「正統」なの!?という難問が生じる、というお話だが、これくらいのことは他の人がもう少し高い精度で論じてそう。
『神皇正統記』における「因果律」と「予定説」 ――小室直樹と平泉澄(2020年3月)
面白いが専門家からの突っ込みは百出するであろう本を書きまくった、天才と称される社会学者・小室直樹は実は平泉の門弟でもある。小室は「平泉澄の日本歴史モデル」という理論を整理するが、それをやるなら論じ方が違うだろ!と、小室と平泉の『神皇正統記』解釈を中心に突っ込みを入れるもの。論理操作であり観念の遊戯であり、おそらく「因果律」の理解が浅薄な書き物だが、書いていてそこそこ楽しかった、ような……。
平泉澄の北条泰時観(2020年1月)
ようやくこのころから平泉の戦後の著作の収集が進んできた。ここで少しだけ出した「君臣の大義」と「主従の小義」への関心は、やがて「歴史的なものの概念」に行き着く一つの源流になる。
今谷明「『神皇正統記』の成立と南北朝の動乱」について(2019年9月)
歴史学者・今谷明の『神皇正統記』論を批判するもの。口吻がやや言いがかりじみている気がしないでもない(反省)
平泉澄の詠嘆 「何といふ事であらうか」について
不真面目な高校生が授業中に先生が口癖を何回言ったか数えるように、『父祖の足跡」で平泉が「何といふ~であらうか」構文をどんな文脈で書いているかを並べた、内容のないような記事。拾い漏れも多そうで、何といふ欠陥の多い記事であらうか。
神皇正統記 天壌無窮の倫理と徳治主義の精神(2019年8月)
自分の子孫が天皇になるか、他の天皇の子孫が皇位を独占するかは後世にならないと分からないけど、天皇たるものは善政に励み、その余慶で自分の子孫が皇位を独占するという確信を得ねばならぬ……。と、北畠親房『神皇正統記』とマックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をカップリングさせるように論じたもの。たぶんめっちゃ気合い入れて書いた。俺、昔から似たようなことばかりやってんな……(「平泉澄における歴史的なものの概念」はタイトルからわかる通りカール・シュミットのオマージュまたはパロディ的なところがある)
平泉澄と沖縄・北海道(2019年5月)
平泉の描く日本史は当然ながら天皇中心であり、天皇とその臣下たちの版図に長らく入らなかった沖縄・北海道はあまり重視されていないと考えられるが、では実際に平泉は両地域をどう捉えていたのか。その疑問を平泉の両地域への言及から考察したもの。おそらく私の平泉論の中で、真面目なアカデミズムの学者の関心に最も近くなるのはこれではないかと思う。
『神皇正統記』と現代の皇統問題 -「男系」「女系」「直系」(2019年5月)
史上最大の皇位継承の危機の中、この問題について天皇は叡慮を公になさらず、民選議員は議論しようという気概はなく、関心を持つ庶民のみがネット上で罵り合いを繰り広げている。しばしば『神皇正統記』が議論に援用(濫用)されているが、どうも彼らは本当に『神皇正統記』を読んだのか怪しく、そもそも濫用の仕方がヘタクソでは?と思って書いたもの。「私が男系派/非男系派なら、こう援用する」という用例までつけた。結局、その後5年たっても何も進展もなく、多くの皇室研究者の著作と同じく、「皇国護持」のためには何の役にも立っていない。悲哉。
なぜ、平泉澄はサヴォナローラに感銘を受けたのか(2019年1月)
サヴォナローラはルネサンス時代のフィレンツェの修道士。主に平泉のサヴォナローラ論「サボナロラと日蓮」の内容から簡単に論じたものだが、フロンとして書いた【平泉澄と「自由」「自由主義」】は多少の深めるべき点があるかもしれない。
平泉澄「神皇正統記の内容」の内容
ただの内容紹介。付論として【蛇足 平泉澄と丸山眞男の『神皇正統記』論の基本的相違】を書いたが表面的なもので、あまり価値がない。(植村和秀『丸山眞男と平泉澄』第3章を読む方が100万倍有益)
なぜ、平泉澄は山崎闇斎を尊敬したのか
ほぼ備忘用。無価値。
平泉澄の言う「日本精神」とは何か
これまた備忘の域を出るものではなく、近年長足の進歩を遂げている平泉「日本精神」論の研究からすれば児戯にもならない。
なぜ、平泉澄は『神皇正統記』を「臣民の読み物としては不適切」と見なしたのか(2018年6月)
平泉の『神皇正統記』論について。北畠親房の関心は「皇統」によっているのに対し、平泉の関心は天皇・臣下それぞれの「個人」によっており、平泉の『神皇正統記』の読みは近代個人主義的ではないかと提唱する。平泉は「身分制国家の「国体論」を、近代国民国家の「国体論」に読み替え、「臣」の道徳を「臣民」の道徳に読み替えた」とするテーゼもここで書いていた。
なぜ、平泉澄はドイツ「革命」を無視したのか(2018年6月)
フランス革命を激烈に批判する平泉は、なぜ1918年のドイツ革命は批判しないのだろうか。ドイツ皇帝のみならず、各地域で長年君臨してきた領邦君主を、民衆が戦時下生活の恨みつらみで放逐するなど、フランス革命と同程度かそれ以上にひどいとは思わないのだろうか?……という素朴な疑問から書いた。が、ここで書いた結論に納得できるかと言えばそうでもない。平泉に於ける外国史の問題は、君主制・民族・外国の「国体」、そして「国史はその国民にしか真に理解できない」テーゼが絡むため難問なのである。
平泉澄は足利尊氏に「理想」を認めたのか ―補論・平泉澄はなぜ足利尊氏・直義を全否定したのか(2018年6月)
平泉は初期作の「歴史に於ける回顧と革新の力」で足利尊氏を評価するようなことを書いているが、それは彼の尊氏批判と整合性が取れるのか?を論じたもの。単純な議論だが、ここに着目したことに新規性はあると思う。
なぜ、平泉澄は室町時代を「つまらぬ時代」と見なしたのか
『物語日本史』に出てくる有名な言葉を、平成・令和の作家・伊東潤の歴史小説も交えて論じるという変な試み。内容も観察も浅いが、酔狂さだけは評価できるかもしれない。
なぜ、平泉澄は高師直を全否定しなかったのか
そりゃそうやろ、くらいのことしか書いてない。当時は僅かな本しかもっていなかったので致し方ないが、平泉の高師直への言及は他の所にもう少しある。
平泉澄はなぜ足利尊氏・直義を全否定したのか(2018年6月)
記念すべき、初平泉論である。当時の事情から、使った文献は『物語日本史(中)』(と「歴史に於ける実と真」の一節)のみ、まさに「ブログ」レベルじゃねぇか!という話だが、そんな書き物がある事件に巻き込まれるきかっけとなったのだから驚きである。
フェルディナント2世関連(2018年5月~2020年1月)
これで最後。フェルディナント2世について書いたもの。フェルディナント2世は三十年戦争を戦った神聖ローマ帝国の皇帝である(そう言ってもピンと来ない方には「ドイツ・オーストリアの後醍醐天皇」と説明しておく)。
三十年戦争の契機となったプラハ窓外放擲事件から400周年の記念日に、フェルディナント2世の人となりについて書いた記事がこちら。
この皇帝について知るには、邦語文献が少なすぎる。その怒りから、義務教育レベル以下の英語力を顧みず英書に手を出し、そこで得た知識を還元して連作記事を書いた。記事を書くのに途中で挫折して、三十年戦争が始まるより前に更新が途絶えているのだが、戦争前のフェルディナントの動向こそ日本であまり知られていないことなので、よしとしよう。日本語で読める最も詳しいフェルディナント2世伝なのだが、検索エンジンの上の方には出てきませんでした~チクショー! 下のリンクは、記念すべき第一号。
おわりに
最後まで読んでくださった方、いらっしゃったらお疲れ様でした。宋でない方も、関心を持っていただきありがとうございました。雑誌をご購入いただけたり、リンクに飛んだりして、「ふっ、おもしれー文章」と思って頂けましたらこれ以上の幸いはございません。今後ともよろしくお願いします。