ぼくが僕になるまで(少年期③)
興味をもった方は、ぜひマガジンへ。全編無料でお読みいただけます。
------------------------------------------------------------------------------------
協定その三:外では赤の他人のふり。
前に甲野さんから貸してもらった本を教科書の間から取り出す。できるだけ周りに溶け込むよう、端から順に手を押し込み折り目を伸ばす。手とカバーの間から、同じ深さの溝が顔を出す。
「あのさ、前借りていった本、カバーがちょっと折れちゃったんだ」
甲野さんはちらっとぼくの方を見る。「なくしたわけじゃないんだろ」ぼくが何も言わないでいると、また作業に戻る。「気にするだけ時間の無駄だ。本なんて読めりゃいいんだ」ぼくは背表紙を床に当て表紙とカバーをきちんと合わせ、もう一度だけ端から力を込めてシワを伸ばす。それから、見ればすぐにわかるよう、折れた方を上にしてテーブルの上に本を置いておく。
甲野さんはあらかじめ台所の壁に設置しておいた木材に、日曜大工用の簡単な電気ドリルを使って穴を開けていた。これからホームセンターで買ってきたという木材二つを足掛かりにして、シンクの上に食器棚を作るつもりらしい。木材にはペンキが塗られていない。表面にはいくつもの木目が表れている。だから、後から取り付けたことがよくわかる。ドリルを使って作業を進めつつも、時々下にいるぼくのほうに振り返っては、「ここにビスを打ち込みたいんだが、準備として打ち込む前に小さめの穴を開けておくんだ。その作業を済ましておかないと、ビスが上手く入っていかないし思い通りの場所に打ち込むことができない」と聞いたわけでもないのに、後ろにいるぼくに向かって逐一説明を加えながら作業を行っていく。まずは固定作業。印に向かって木材に二つ穴を開け、その穴の上にL字型の金属を押し当てる。金属の穴とあらかじめ開けておいた穴を合わせて電動ドリルでビスを締めていく。壁に取り付けてあるもう一方の木材には穴を開けず、そのまま金属を押し当てる、とのこと。
「板を取ってくれ」固定した二つの金属の土台の上に板を一枚のせると、甲野さんはぼくの方へと振り向った。「これだけじゃ棚が完成した時に斜めになるかもしれないだろ。だから固定する前に水平器を使ってそうならないように金属の位置を決めるんだ。そこに置いてある水平器を取ってくれ」ぼくは水平器を床から持ち上げて、甲野さんに手渡した。「二つの線の真ん中に水の泡がくるよう調整するんだ。これだと左に寄ってるだろ。これは左の方が右より上にきてるってことなんだ」右側の木材に押し当てていた金属を上へと微調整し、板が水平になるように位置を決めていく。「ここにマークをつけてくれ」ぼくは台所に上がり、指示されたところと同じ場所に鉛筆でマークを二つつけた。「その調子だ。いいぞ」板を壁にもたせかけると、ぼくがマークをつけたちょうどその位置に甲野さんはドリルで穴を開けた。ビスを打ち込んで金属を二つ、しっかりと固定する。固定し終わるとのけ反って、「ここにもつけてくれ」それで合計四つビスを打ち込み終わると、「あとは長さを測って左右の調整をするだけだな」メジャーで長さを測ったあとに、金属と板とをぴったりとくっつける。甲野さんは後ろに下がって完成品の棚を見る。甲野さんは早速買ってきておいたお皿を棚の上に置く。どれも二枚組。大皿も小皿もカップもどれも落ちずにしっかりとのる。今まで水切りかキッチンの上に食器を置いていたから、こっちの方が断然いい。
安定することがわかると、甲野さんはぼくの方を振り向いて、「もう一つ下に作るから、次はお前がやってみろ。俺のやるところちゃんと見てただろ」
肩をすくめる間もなく、ぼくの手の内には電動ドリルがあった。甲野さんはなぜかニヤニヤと笑っている。「あれだ、本を貸したお返しってとこだな。まあ上手くいかなかったらもう一度やればいい」見上げたぼくに、「後ろから指示出してやるから、ほら、やってみろ」
ぼくは仕方なく甲野さんの言われるとおり、木材に穴を開けるところから棚作りに取りかかった。