ハイスぺ男を狙う女、その是非について
先月25歳になる親友とも言っていい僕の友達が結婚する運びとなった。彼は京都大学経済学部出身であり、現在は某大手銀行に勤めている。つまり世間で言うところのハイスぺ男である。その男が来年早々に事務の若い女性と結婚することとなった。
その女性と個人的に会ったことはないので、なんやとやかく言う筋合いではないのかもしれない。だが、やはりこういうパターンについてはあまりいい気持ちになることが僕には出来ない。つまり銀行員や医者、成功した起業家、弁護士のようなハイスぺな男とそれに集う女たちとが結ぶ関係だ。
おそらく彼女たちの心積もりとしてはハイスぺ男と結婚することによって、まずは社会的な地位を気づくことが出来、金銭的に余裕が出来、引いては昼間でも堂々とお友達と優雅なランチに浸ることができ、夜は何がしかのレストランに挑むことができると考えている(ハズ)なのである。
それはいたってまともな思考ではある。芸術家志望の、明日どうなるかわからない、今日一日の飯さえも食べられるかどうかというフリーターと結婚するとなったら、それこそ一日一日を消化するだけでも大変な労力だろう。自分も働きに出なくてはならないし、それこそ優雅に六本木界隈でフレンチなんて夢のまた夢だ。
夫、ひいては家族を守るという立場にある女性としては、そういう金銭的な安定という面で理由があるのは致し方ないことだともちろん思う。
だが、だが、だ。そういう一方通行的な思考で結婚すると、後々どうなるかが何となく僕の目につくのだ。彼らハイスぺ男は、そのようにハイスぺであるが故に見た目麗しい女性と結婚したのであり、日々日常をハイスぺ男としてふるまわなければならない。車は外車か、少なくともプリウスでなくてはならないし、スズキのラパンなんてもってのほかだ。
それに週に少なくとも一回は高級レストランで食事をとらなければならないし、女性が着飾る事にお金を出し惜しみしてはならない。それこそがハイスぺ男に課せられた義務なのであるから。
そしてもしなにかの時代の趨勢かなにかでハイスぺ男に退陣が迫られた際には、それはそれは悲惨な有様になる。彼女らは彼らの人柄を見て判断したのではなく、これから未来的に加算されていく金銭面で判断していたのだから。
おそらく離婚。すくなくとも家庭環境が劣悪になるのは免れない。小言が多くなり、家でごろごろすることは夢の夢となるのは必定だ。
そして、僕はハイスぺ男にも言いたい。君の素晴らしい能力をそんなところに使うなと。
そういう能力をひけらかして得られるものは、その能力に集まる虫けらどもでしかない。つまり金でしか釣れない女どもなのだ。
そういう風にして女を釣って、すぐに吐き捨てるクズはさておいて、もしハイスぺのあなたが少なからずの良心をもっているのなら、彼女とのことを一歩先に進める前にこう考えてみよう。もしこの俺が、今ある地位を捨て、明日にでも昔からの夢だった写真家なり、画家家なり、なにか非常な未来を予想させる仕事に転向すると言ったら彼女は俺についてきてくれるだろうか、と。
そこにもし一抹の不安を覚えれば、彼女との関係はそこで断ち切るべきだろう。
なにせ爛々とした彼女の目に映るあなたはただの紙幣の集まりであり、世界に一人しかいないあなたでしか代替のきかないあなたではないのだから。
そう胸に刻んで、僕らは生きていくべきなのだ。