デス・レター(怒りの矛先について)
今、この記事を読んで俺が
「あーあ、学校教師ってみんなバカ…」
と言ったとする。すると現役学校教師関係および花畑関係の人々は
「すべての教師がこんな人間ではない。十把一絡げにモノを語るんじゃない」と反論するだろう。怒る奴にもそれなりの論理的思考と分別を、というわけだ。
さて、それでは俺からの質問だ。怒る人間、は怒る瞬間に、論理的思考と分別を持ち合わせるだろうか?怒りは感情である。それは理性と全く違う「論理」である。感情の爆発の瞬間に論理が入ったらそれは、感情の爆発ではない。
怒る人間がなんだのかんだのを十把一絡げに怒って何が悪かろう。怒りは理不尽で不合理的なモノである。
全国の教師諸兄よ、教育関係者諸兄よ。このこと(下の記事)によって、あなた方は顔に泥を塗られたのだ。自分はそんなことない自分は善良だと思っていても、姫路市のほんの僅かのマヌケセンセイのために、あなたがた聖職の持つ尊い志は挫かれたのだ。なぜ姫路市に出向いて抗議しない?なぜ頭髪検査を実施した当事者に会いに行かない?なぜ彼らの胸ぐらを掴まない?
教育が腐っているのではない。教育者が腐っているのだ。教育者全員に、繰り返す、全員の、主体性が欠落していることが問題なのだ。「悪い教師は一部だけです」というしれっとした言い訳で我関せずとした、その場しのぎの心根が腐っているのだ、という俺の挑発に、今度は教師だけでなく、俺自身は、応えられるか?
答え。あったりめえだろう!それができなきゃ、ロックをやる資格はねえ。
だが、俺は、この記事の件で姫路なんぞには行かねえぜ。関係あるのは、あんただろう!