デス・レター(Made In A Garage 9開催のご挨拶)
題名の通りである。12月12日木曜日に、今年3回目、通算9回目のイベントを、西東京は京王堀之内、timeTokyoで開催する。ふるってのお越しをお待ちしております。
会場のtime Tokyoにはかねがね、我々→(Yajirushi)をかわいがっていただいている。その流れ、というわけではないが、ある日、店主T氏がブッキング企画者の募集をした。それならば、と名乗りを上げたわけである。ちょうど試したいこともあった。我々→が出ないことを、である。過去8回の出演者で、そろそろパーソネルは揃ってきた、俺たちが出なくてもイベントは成り立ちうる、そう判断した。
断っておく。我々→は、それほどうまいミュージシャンではない。そこそこの地位があるわけでもない。なのにその言い草は何だ、と訝る方へ。我々の強みは、我々しか→の音は出せない、ということである。コピー不可能代用不可能な音、軽薄に言えば「ワン・アンド・オンリー」の音である。
「ワン・アンド・オンリー」とは、鳥の嘴が黒いだの黄色いだのを意味しない。それは、鯨と鳥ほどの違いでなければならぬ。と言ったって、ダチョウとハチドリは同じ鳥類でありながら、どちらも「ワン・アンド・オンリー」には違いなかろう。
それならブランキーを聴くよ、それならDr.Feelgoodを聴くよ、それならNirvanaを聴くよ、というアーティストは、今回は(も)呼ばなかった。
「ワン・アンド・オンリー」への道程はさまざまであろう。発明をしたかったもの、気が付けばそうなっていたもの、脱皮してそうなったもの、周囲の脱落の結果そうなったもの…。辿ってきた道のりを想像しながら、今回の出演アーティストを観る。そういう見方もまた、面白かろう。
このことは、今回の副題の所以でもある。Time Tokyo Attraction(タイム・トーキョー・アトラクション)。この場合のアトラクションとは、TDLやUSJのようなアトラクションを指さない。むしろ、19世紀の欧米の、旅回りのサーカス、フリーク・ショウに近い。フリーク・ショウは、現在の倫理では開催不可能な、異形の見世物だが、それを音楽でやってみた。誤解してはならない。素の彼らは皆、大変器量好し人好しである。観に来られる皆さんはどうか、親しく話しかけてほしい。だが、舞台に上がった彼らは、さまざまな意味で、紛れもない異形なのである。
恒例のアーティスト紹介ブログだが、今回もやる。今回は、その偉業はどういう向きか、という思いを込めて、事前に、各組に相応しいタイトルを綴ってから書くとしたい。
(出演順に)
gloptin「一期一会」
鈴木リンドウ愛然隊「革命は青いものか?」
VERONICA VERONICO「歌謡曲の最良の部分」
Very Ape「歪むとは・荒(すさ)ぶとは」
The Memphis Bell「心の平安はどうやって生まれるか」
time Tokyoの白い壁を彼らがどう染めるか、見ものではある。失望させないことだけ、約束しておく。退屈なメジャー音楽の下には、肥沃なアンダーグラウンドの世界がある、と思ったら、その肥沃の裏側には「アンダーグラウンドのアンダーグラウンド」があった。そして意外にも彼ら、そこの住人達は今、最も地上に近い。それはちょうど、映画「インターステラー」で、n次元と「現実の」世界が、ほんの隣にありながら、腕時計1個でしか繋がれない、ということと同じである。可視化。Made In A Garageの役割である。