司祭職、ジェンダー、リレーションシップ?

昨日、友人から「女性司祭」についての思いを聞かせてもらった。ちょっと女性聖職と教会の伝統について。誰かをなにか説得するために書くわけではありません。思ったことをつらつらと。

カトリックには歴史上「女性助祭」したことはエゲリア(女性修道者)の「巡礼記」に明らかだ(384年頃)。この本には、当時の聖地巡礼の様子と典礼について(聖週間の典礼)詳しく描かれており、女性には女性「助祭」が洗礼を授け、典礼のなかで女性が積極的に活躍していたことが報告されている。

よく信者さんたちが司祭の独身制について「教会古来の伝統」「イエズス様が独身でらっしゃるから」とおっしゃる。ちなみに、イマージュよりも実体を重視するカトリック教会が原秘跡にジェンダーを抱き合わせることには無理があるように個人的には思う。ちょっと都合が良すぎるというか。位階性と独身制は対で与えられたものではない。同じように、位階制とジェンダーの固定もまた、対で与えられたものかどうか、実はわたしたちは知らないわけです。

300年代に「理想としての独身制」が定められ、1123年の第一ラテラノ公会議で聖職者の独身制が決議されたものの、教会は中世の間中、シモニア(聖職売買)、ニコライズム(司祭の妻帯)、ネポティズム(近親主義)との戦い。その後1563年のトリエント公会議で再確認され、最終確認されたのは2バチ公後の1967年のパウロ6世教皇様の回勅で確認されました。これは教会古来の伝統でしょうか?最終確認の年代は、実は各国語のミサ(1969年)と大差ないわけです。

それが、教会古来の伝統なのか、最近確認されたものかは、カトリック信者にとって本来的にそして本質的に重要なものではありません。わたしたちがキリスト者たるのは、カトリック教会のうちに留まり、日々のうちに神に出会うことにおいてですよね(カトリック信者の場合)。

もちろん、司教様の発言や態度に疑問を抱くこともあります。重要なのは、司教様や聖座が教会の権威として教えることに対し誠実であることがわたしたちカトリックに求められることだと僕個人は思っています。そして、その受け取り方は難しいほどに幅が広い。そこが問題でもあり、いいところでもあるのでしょうね。

司祭召命と修道召命は違います。いろいろ具体的に違います。霊性や霊的なこと以前に「共同生活ができるか否か」は修道生活の死活問題でしょう?また、いかに一人で生き教会で奉仕するかを叩き込まれた教区司祭が急に共同司牧や修道的共同体と言われてもそれは悩ましい問題なのだと思います。

どちらにも共通して感じるのは、司牧上のすべての人、すべての問題に対応することができる魔法のカノンやどんな傷も癒える薬が詰まった大きな袋を神学校は神学生に背負わせて叙階しているように、側から見ていて思いました。でも、そんなにうまくいくはずがない。

神様からの生き方や関わり方などの呼びかけとしての召命について言えば、教会的身分に関わらず皆同じ召命と同時にオリジナルな召命が一人一人に用意されていると言えます。一人としていらない人はおらず、一人として同じ人はいないからです。

個人的に思うのは、司祭はなりたい人がなるのではなく、神様に司祭として呼ばれた人が応えるものだと思います。教会が、位階と兄弟性により導くことなしに、司祭職への識別は難しいのではないでしょうか。神様の召しを受けた人を皆で受け入れていくことが、わたしたちの召命を生きることにもなるのではないでしょうか。

キリスト信者としての誠実さにどれだけ開かれているのかが重要なのだと思います。もちろん信者全てにそうなのですが。また、司牧のために不誠実さが罷り通ることは誠実さの糾明で明らかにされていきますが、独身制だからと言って性や性的指向を見えないままにするのは、全人性を欠くと言わざるを得ません。

カミングアウトしろ、というわけではありませんが、それで離れる信者も、言えない司祭も、どっちも辛いですね。貞潔を守らない司祭の問題や、司祭による性的な問題や虐待も教会はずっと見えないようにしてきましたね。本当に、ずっと。そんな教会はこの先どうなんでしょうねぇ、と思うわけです。一時が万事不誠実なのはよくありません。教会に暴力や虐待などあっていいわけがないでしょう。独身制を守る以上、貞潔はどのセクシュアリティ、性的指向の持ち主であっても、自分の位階と身分に対して誠実でなければならないですよね。同時に、司祭に性的なアプローチもしてはいけないですよね。いるでしょう、女性やゲイの司祭好き。全然擁護できません。何度も迷惑被ってきましたし。気持ち悪いったらありゃしない。

ま、僕が何かを主張するつもりはありませんし、解き明かす学識もないのですが、個人的に思うことを書いてみました。何をどう捉え何を支持するのか、それは対象にではなく、自分の立ち位置をよくよく見てみる必要がある、ということでしょうか。ストンとはこないことだらけです。


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