イクトゥス・ミニストリーの具体的活動(ミニストリー)の紹介(2)
イクトゥス・ミニストリーについて紹介する記事第三弾です。ミニストリーの根底にあるものは「イクトゥス・ミニストリーについて」をミサについては「イクトゥス・ミニストリーの具体的活動の紹介(1)「みんなのミサ」について」をご覧ください。
今回は僕が(僕でなくてもいいのですが)5月13日にインスピレーションを得たものを、後日箇条書き風に書き留めたメモのうち、ミサ以外のものを同じく箇条書きと約束事の一部を紹介いたします。インスピレーションといっても特別な体験ではなく、日常の中で得る「閃き=insight」みたいなものだと思います。それが神さまからのものかどうかは、しんどい徴があるかないかで少しわかるのかもしれません。
「みんなのミサ」準備会 (典礼奉仕・渉外・具体的な準備・典礼奉仕の稽古)
祈りのリーグ (「きょうをささげる」に霊的に参加し、教皇と日本の共会の意向のために祈る。この「ささげ」によってこのミニストリーの兄弟姉妹(仲間)とする。ミサへの参加不参加、どこに住んでいるか、カミングアウトをしているか否か、SOGIや世代を問わず、多様性による一致をミサの聖体のうちに見出す人々の連帯がこのミニストリーの主体となる。ミニストリーへの参加不参加は表明したい人は表明し、匿名で祈りによって支え続けることを選ぶこともできる。ただし、性的少数者やその家族など痛みを負っているカトリック者に対し寛容でない者へは寛容であることはできない。「違う意見」「違うまま」「違う者」がそのままで共存することがこのミニストリーの基本的なあり方であり、目指す関係性でもある。違う者を排除の宣言と行使は寛容なあり方に齟齬をきたし、その人の行いが自らの居場所をも排除するからである。誰も取り残されてはいけない。ただし居心地の良さを提供するサービスではない。)
リトリート準備会 (一日黙想や聖堂巡礼など)
アガペー・ミール(ミサ後の食事座談会)
秘跡のサポート (各秘跡を受ける仲間への同伴と祈り・みんなのミサ時の告解の調整など)
カテキズムと聖書講座(司祭修道者やカテキスタと連携して)
「アドロ・テ・デヴォテ(=心をつくし礼拝いたしましす)」 (聖時間と聖務日課、テゼの歌による祈りと黙想の集い)
祝福と葬送 (協力司祭と連携して。人の祝福➖ライフイベントにある個人とカップル・カップルの場合は「フィドゥチァ・スプリカンス」に準じる➖、物の祝別➖信心用具・家・部屋・車➖など、小教区で執り行いにくいケースの葬送の式と追悼ミサ及び先に帰天した仲間や家族のミサでの記念)
宣伝活動 (イクトゥス・ミニストリーYouTubeチャンネル・HP・SNSその他の紙媒体などを通じて宣伝など、イクトゥス・ミニストリーの背景とミニストリーの紹介、小教区紹介、短い雑談、ユーキャット一問一答読み合わせ検討、「アドロ・テ・ドヴォテ」の紹介など)
ミュージック・ミニストリー (「みんなのミサ」や「祈りと黙想の集い」における音楽奉仕(選曲・歌唱・演奏)、伝統的ラテン語聖歌の紹介、他教派聖歌・讃美歌の紹介、海外コンテンポラリー聖歌の邦訳など、音楽に関する奉仕)
周辺部に向かう共働ミニストリー (教会内外の団体と提携しながら路上生活者の方々とのさまざまな関わりと祈り、さまざまな問題を抱える仲間を同伴しつつ自助グループや専門職のサポートに繋ぐ奉仕、子ども食堂への物心両面での参加、移住者や留学生の必要に対する関心と関わり、同胞内でのカミングアウトが難しい仲間への寄り添い、必要にある外国人向け日本語学習コミュニケーション等)
聖母のご訪問ミニストリー (独居の仲間、特に生活保護や高齢者、病気療養中の仲間を訪問する。警察留置施設・拘置所・刑務所などへの面会・文通。入院中の方への訪問と聖体奉仕)
これらのミニストリー(奉仕)やそれぞれのブランチ(奉仕職や属性による個別の集まり)は、必要な人に開かれており、必要に感じない人に強制されず、どちらの立場も守らなければいけない。
このミニストリーでは参加する兄弟姉妹(仲間)の「できること」ではなく「望むこと」を大事にする。人をできるできない、知っている知らないでわけないこと。
このミニストリーには便宜上、対外的連絡係はおくがリーダーや代表をおかない。すべての参加者にそそがれた神の眼差しに注視し、神だけがご存じである一人一人のイエスへの信頼に対し信頼する。
匿名性を大事にする。それはカミングアウトの問題への対処であり、カミングアウトしない人(できない痛みを持つ人)を支える一つの方法でもある。また、呼ばれたくない名前で呼ばれることがあってはならない。これは秘密ではなく配慮であり、配慮は大きな福音の価値である。ただし、いつの日かミニストリーが形になり、人が集まった時に、教会(教区)が連絡係の兄弟姉妹(仲間)にミニストリーへの配慮や裁可のゆえに本名を名のることを要請する場合は別である。
所属する主任司祭を通じ、教区司教に位置付けられるまで、このミニスリーのことを聖堂共同体的または小教区内の特定のミサとも位置付けてはならない。あくまでも「内発的」な信徒の応答にすぎないからである。(13, May 2024 Tokyo)