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(小野春鳥)の分断
小野春鳥は、じぶんがいまなんでとおくの町から電車に乗って帰っているのか、わからなかった。それも、クラスメイトの男子といっしょに。
えーっと…… こいつはたしか、「安門良アトル」?……だっけ?
電車に乗るちょっと前までの記憶がぼやけてるからよくわからないんだけど、状況からみて、こいつといっしょに出かけていたっぽい。いや、まじで思い出せないんだけど。
で、なに話していいかわかんねーし、話すこともないから黙ってる。安門良アトルがなんかもうしわけなさそうにしていて、「ごめんね」とか言ってくるけど、なにに謝ってんの? 気になるけど、いまこいつと会話する気にもならないから、やっぱりおれは黙っとく。
いや、思い出せることもある。
「安門良アトル」はクラスでも浮いた存在で、みてくれはわるくないし、なに考えてるのかわからない、はかなげな雰囲気がなんかいいとか言って、なにもしなくてもやたらと女子から好意を寄せられてる。それだけでなんかムカつくのに、安門良は告白してきた女子を片っ端からフッていて、ほんと、おまえナニサマなんだって感じ。
だから、なんでおれがこいつなんかといっしょに出かけてるのか、まじ意味がわかんねー……
ほんと気まずいんだけど、電車んなかでこいつから距離とるのも不自然だし、はやく着かねーかなってばかり考えてる。
あとなんか頭いて。
電車が揺れる。頭に響く。
「……ッ痛……」
声が出る。
「だいじょうぶ……?」
安門良アトルが心配そうな顔でのぞきこんでくる。なんだよ、ムカつくな。おまえそんなキャラじゃないんじゃなかったのかよ。
「ねえ春鳥、ミラーハウスで、なんかあった?」
ミラー、ハウス……? ああ……そっか…… おれ、入ったわ、ミラーハウス。てか、こいつといっしょに遊園地行ったんだわ(なんでだよ?)
そんでミラーハウスのなかでべつべつに進んで、相手を驚かせようってふざけてたんだっけ。とちゅうで安門良を見っけらんなくなって、出口もわかんなくなって、ちょっと焦ってきて…… あれ? そっからどうしたんだっけ……?
「春鳥、ミラーハウスのなかで、女のひとと会わなかった?」
女のひと……? おれがミラーハウスから出てきたときに四人いただれかのことを言ってんのか? いや、だれのことを言ってんのか、わかる。
こいつが話してたのはひとりしかいない。それもすげーうれしそうな顔して。
「フランちゃんなら会ってねーよ」って、おれがぶっきらぼうに言うと、安門良の顔がムッとして、ホッとして、がっかりする。
なんだ? こいつ、「フランちゃん」に気があるのか? てか、おれのことなんか心配じゃなくて、「フランちゃん」のこと気にしてるんじゃねーか。
ミラーハウスをでたあとに聞こえてきた話を思い出すに、「フランちゃん」とやらもミラーハウスで行方不明になってたって言ってた。たしか二十分くらいって言ってたな。
おれたちがミラーハウスに入ったときはほかにだれもいなかったから、そのあとに入ってきたってことだ。そんで表に出てきたのはおれの方があとだったんだから、どこかですれちがっててもおかしくはない。
だけどだれともすれちがうことはなかったし、声すら聞いてないし、物音ひとつ聞こえなかった。
おれが気がついた(なんか、ぼーっとしてた?)とき、薄暗いミラーハウスのなかは静まりかえっていて、気味はわるいし、なんでこんなところにいるのかわかんなかったし、鏡に映るおれにいちいちビビりながらなんとか出口まで行ったんだ。
出口の外には安門良がいて、ホッとしたおれはそこでたしかに安門良の名を呼んだ。
だけどそのあと、なんて言ったらいいのかな、正気に戻ってきて? なんでいまおれはこいつとここにいるんだ? って思うようになっていった。
「なぁ、安門良 なんで、おれ、おまえとミラーハウス入ったんだ?」
しゃべりついでに、おれは気になっていることを安門良に訊く。
安門良はへんなものを見るような顔して、「なんでって、青い道化師に行けって言われて……」って言うけど、おれが訊きたいのはそれじゃないから質問を変える。
「いや、そうじゃなくて、なんでおれは今日おまえと遊園地なんて行ったのかな、ってことだよ」
おれが言うと、安門良はさっきよりもいちだんと驚いた顔になっている。
「え、なんで、って……」
って、めっちゃ困惑してんな。
「わりぃ おれ、ミラーハウス出るまえのこと、覚えてないんだわ」
言うと、安門良はちょっと泣きそうな顔をして、
「え、だって、おれの合格、お祝いしてくれたじゃん……」
って言うけど、はぁ? なんだそれ? って、おれが反応しないでいると、片方の腕をあげて、手のひらと手首から肘のあたりまではしる傷痕をみせてくる。
「じゃあ、これは? あのとき、助けてくれたのは?」
いやぁ、ざんねんだけど、おぼえてないな。てか、傷痕グロいからしまえよ。
無反応のおれに、安門良はそれ以上訊いてくるのをあきらめたみたいだ。
「やっぱり、あのミラーハウスでなにかあったんだね……」とだけつぶやいて、それからは安門良アトルも口を噤んだ。すっかり暗くなった窓の外をみつめる安門良の顔が、電車の窓に映る。
おいおい、って思う。そんな顔、死ぬほどだいじなひとのこと思ってるときの顔じゃん。
電車がおれたちの町に着く。
おれたちはひと言もことばを交わさないまま改札をくぐり、それぞれの家につづく道へ分かれる。
小野春鳥は、痛む頭の片隅に釈然としないものが蟠っているのを感じる。
釈然としないのは、今日のこともだし、安門良アトルの傷のこともだし、そもそも安門良アトルがおれになれなれしく話しかけてくるっていう状況もそうだ。
そういったことは、たとえば、おれの知らないもうひとりのおれがいて、おれの知らないあいだに安門良アトルとかかわっていた、とでも考えなければ説明がつかない。
それに、これも気になるのは、おれは今日の今日まで「フランちゃん」の存在も知らず、会ったこともないはずなのに、なぜかずっとまえから知っていたような気がすることだ。
その感覚はミラーハウスを抜け出して、さいしょに「フランちゃん」を目にしたときに感じたもので、時間が経ったいまはちょっと薄れてきている。
もしかすると、「フランちゃん」を知っていたのは〈おれのなかのもうひとりのおれ〉で、おれが安門良アトルとかかわりをもったのも、安門良アトルが「フランちゃん」とかかわりがあったからで、それを知っていた〈もうひとりのおれ〉が安門良アトルに近づいた……
ミラーハウスでなにが起こったかはまったく記憶にないが、おれがぼんやりしていたあいだに、おれから分断された〈もうひとりのおれ〉は「フランちゃん」と接触し、もう用済みになったおれのなかから抜け出していった……
小野春鳥は(ばかげた妄想だな)と笑い飛ばそうとしたが、その妄想が妙に頭にこびりついてしまって打ち消せなかった。
(たしかに「おれ」は「おれ」なのにな)
ずきんと頭が痛む。
安門良アトルも「フランちゃん」も、じぶんとはかかわりのないもののはずなのに、もはや関係ないではすまされないんだろうな、という思いがよぎる。
そして、小野春鳥は、ちょっと前までのじぶんにあったはずの、何グラムかの質量を失ってしまったような、言いようのないさびしさを味わっていた。
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