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小野フランキスカの断面図
崖から飛ぶかわりに「西の果てまで飛ばない?」って誘ったら「まあいいが」と返ってきたので、わたしはナオといっしょに最西端にタッチして、もときたみちをおりかえす。
かえりみち、ナオとむかしのことをたくさん話す。
小学一年生のとき、わたしが朝顔を枯らしてしまったこと。ナオのおうちで當眞さんから愛の匙かげんについて教わったこと。
中学生の頃、変なことにばかり興味津々だったわたしが、よくナオにむちゃなお願いをしていたこと。
高三の冬、アトルくんとナオとした「デート」のこと。あいかわらずナオの好意に甘えてばかりいたこと。
ナオの話はぜんぶわたしの話で、「わたしが出てこない話もしてよ」ってお願いしたら「そんなの話す意味ない」と一蹴された。
「じゃあわたしの話、するね」といったら「そんなの聞く価値ない」と耳を塞がれた(ひどい)。
でも、あたりまえにわたしのなかにはナオの知らないわたしがいて、ナオのなかにもわたしの知らないナオがいる。
いつかそんな話もできたらいいなって思うんだ。
ナオがとなりのシートで嘘寝をはじめてしまったので、わたしは、わたしのなかに「かつてのわたし」が順番に格納されているイメージを思い浮かべてみる。
(マトリョーシカみたい……)
わたしを切断してその断面を観察すれば、重なり合っている「かつてのわたし」の輪郭がみえるだろう。
そして、それぞれの「かつてのわたし」のなかには、そのときどきの経験や思いが詰まっている。
それは、いまはどんなに遠ざかろうとも確かに存在していて、いまのわたしをかたちづくっているわたしの一部だ。
「かつてのわたし」が気に入らないからといって、いくらあたらしい「わたし」で覆ってみても、わたしは消せないし、なくならない。
でもそれでいいじゃんって思えてしまったのは、ナオがあんまりわたしをいとしく語るので、わたしもわたしをいとしく思えるようになったからかもしれない。
そんなことを考えながら、わたしはまたこの町に帰ってくる。
車道には野生の馬じゃなくちゃんとクルマが行き交っていて、高架を走る電車の窓からはどこまでも建ち並ぶ家々がみえている。
わたしの知らないひとたちの暮らしがこんなにもいっぱいあるってことや、どんなに歩いても海までたどりつきそうにない果てしなさは、いまでもわたしをちょっと不安な気分にさせる。
あの湿気をおびた風や、波の音、甘やかな花の香りたちが、いまここにないのはさみしいけれど、それらはあるべき場所にちゃんとあるんだし、感じられないからといって消えてなくなってしまうわけではない。
いまここにない〈すきなもの〉をむりに感じようとしなくても、それはあるべき場所にちゃんとある。
それでいいじゃん。
それが、中学の頃までナオといっしょに過ごした生まり島をさまよったあげくたどりついた、いまのわたしなりの結論。
だからいまわたしの〈症状〉は落ち着いている。
すごく消極的なやりかただけど、〈すきなもの〉をきらいにならずにすむすべは身につけた。
わたしの〈すきなもの〉をおいしそうに食べるひとたちをだれかれかまわずきらってしまわないでいいように、わたしは虚飾や嫉妬、淫蕩や暴食の渦中からわたしを引き離す。
それでまたひとりになったとしても、〈すきなもの〉やすきなひとたちをすきだと思いながらどうしようもなく憎んでしまう、そんな狂った怪物に身を落とすよりはだんぜんマシだ。
わたしは、わたしの〈症状〉について、(だいぶんぼやかして)ナオに相談してみる。
「わたしのすきなものがさ」って切り出したとき、ナオはいっしゅんこわい顔になる。何かを恐れているような、わたしの背後にある何かを刺すような、そんな目をする。
わたしが話し終えても黙って考え込んでいたナオは、しばらくしてこう言った。
「いちどちゃんと、おわかれ、したほうがいいかもね」
ナオにしては歯切れのわるい言いかたで、その声はどこか苦しそうだった。
「一足飛びの愛は根を張らないからさ」
「これは當眞さんのうけうり」とことわって、ナオはどこか遠くに目をやる。
わたしは〈すきなもの〉を失ってしまうのがあんなに怖かったはずなのに、いまナオのことばに抵抗を感じない。
〈すきなもの〉をすきでいられた時間が確かにあって、それが一体のマトリョーシカとしてわたしのなかに収まるときは、やがてくる。
ーー〈すきなもの〉を愛しすぎて枯らしてしまうことが怖い。
ーーふつうのひとが見向きもしないようなことにばかり興味をもってしまうのはおかしい。
ーーナオの好意に気づいているのに、気づいてないふりをして甘えているわたしはずるい……
わたしのなかのマトリョーシカは、ときどきわたしのなかで「おれはここにいるぞ」と声をあげ身を揺るがし、わたしがわたしであることからわたしを逃がしてくれない。
この先、またいつかわたしを劈いてみるときに、そこに現れる断面図がきれいだったなら、そのほうがいいな、ってわたしはぼんやりと思っている。
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