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小野フランキスカの断り状
高校生活最後の定期考査を終えたその日の帰り、小野フランキスカを寄り道に誘う。
小野フランキスカもわたしも推薦で進路を決めていたからどうせ暇だろうと思っていたし、小野フランキスカがわたしの誘いを断るなんて考えもしなかったから、小野フランキスカの口からでた「ごめん」がなんて意味のことばだかすぐにはわからなくて、けんか売ってるひとみたいになる。
「は? いまなんて言った?」
「ごめん、デートなんだ」
ちょっと待て、と思った。
頭の上に金盥が降ってきたみたいだ。頭蓋のなかがくゎんくゎんする。
わたしは大きな声を出しそうになるのをこらえて、「そっか」とだけ言って黙る。
聞いてない。(いや、聞かせなくていい。)
裏切りだ。(いや、なんの約束も交わしてないんだから裏切りもクソもない。)
許せない。(いや、そもそもなにをしようとこいつの自由だ。)
終わった。(ああ、終わったな……)
「…………ょうぶ? ナオ、ねえ、ナオってば」
小野フランキスカの声が聞こえて、わたしは我に返る。
「どしたの? どっか痛い?」
わたしの顔をのぞきこんでくる小野フランキスカの肉体が近い。だけど遠いな。ぜんぜん遠い。
「だいじょうぶ、へいき」
わたしは突き飛ばしたくなるような衝動を抑え、小野フランキスカの肩を押して身体を離す。
「じゃあ、いくわ」って帰ろうとした背中に、小野フランキスカが声をかける。
「あ、ナオもいっしょに来る?」
「はぁ?!」
こんどこそでかい声が出た。
「あほか、おまえ そんなの相手がいやすぎるだろ!」
「いやぁ、よろこぶんじゃないかなぁ」
ありえん。
「またな」と片手を上げて立ち去るわたしに小野フランキスカが声を投げる。
「三時くらいにわたしんちに来てくれたらいいから」
「恋愛とか興味ないんだよね」
いつか小野フランキスカが言ったことばを、わたしはうちに着いてからもずっと反芻している。
(おまえがそう言うから、わたしは)
このことばが、わたしの支えだったんだ。
じっさい小野フランキスカは恋愛に関することをほとんど口にしなかったし、小野フランキスカの浮いた話などこれまでいちども聞いたことがなかった。
だから、男子たちが小野フランキスカのことを話題にしてるのが聞こえてきたり、だれかから告られたという噂が耳に入ってきても、気にしないでいられるくらいには小野フランキスカのことばを信じてしまっていた。
「恋愛とか興味ないんだよね」
わたしは小野フランキスカの真似をして言ってみる。
なんだよ、って気持ちがこみあげてくる。
「嘘つき」
小野フランキスカをなじることばがこぼれる。
(でも……フランキスカの気持ちが、いつ、どんなふうに変わっても、わたしには関係ないよな)
時計をみる。
二時半だ。
いまから出れば三時にはじゅうぶん間に合う。
行くのか?
ふつう行かないだろ。
でも誘われたしな。
行って後悔するのも行かなくて後悔するのも変わらんだろ。
いや、行かないほうが未練が残る。
行こう、と決めたわたしもどうかしている。
制服を着替えて自転車にまたがり、「約束の場所」へこぎだす。
その頃の小野フランキスカの家は、まあまあ年季の入った団地の中にあった。
棟に掲げられた番号を確認しながら敷地のなかを自転車を押してってると、小野フランキスカがおもての縁石に座ってるのがみえてくる。デートの相手はまだ来てないみたいだ。
小野フランキスカもわたしに気づいて、手を挙げる。
「やあ、ナオ 来てくれたんだ」
うれしそうなのが理解に苦しむ。
「まぁ、どうせ暇だし?」
と、わたしはてきとうに返す。
「アトルくんっていうんだけどさ」って小野フランキスカが相手の紹介をしはじめたとき、遠くのほうからこっちへ駆けてくるちいさな影がみえる。
それは遠くにいるからちいさくみえてるもんだと思ったけど、目の前まで近づいてきてもちいさいまんまで、「フランちゃんぎゅー!」って小野フランキスカのふところに飛び込む。
小野フランキスカは、「いいこだねぇ、よしよし」って言いながらそのアトルくんとやらを猫みたいになでている。
「ずるい」
思わずことばがもれて、わたしはじぶんにおどろく。
聞こえたのか、小野フランキスカが「このおねえさんもぎゅーしてほしいって」と盛大に誤解してくれる。
(おいおい、アトルくん だれこのひとって顔んなっちゃってるよ……)
「わたしのおともだちのナオちゃんだよ」
小野フランキスカが言うと、アトルくんは安心したのか横でつっ立ってるわたしの方に寄ってくる。
どこに抱きつこうかちょっと迷ってるアトルくんをみて、小野フランキスカが「ナオちゃん、しゃがんで」と言う。
言われたとおりしゃがむと、アトルくんが「ぎゅー」っていいながら抱きついてくる。アトルくんのちいさなからだは思った以上にあたたかかった。
「なんだこの生き物は……」
どうしていいかわからないわたしは小野フランキスカを見る。
「ナオもぎゅってしてあげて」
「え、いや」といっしゅん固まるが、小野フランキスカが心配ないよって目で見てくるから、わたしはアトルくんをそっと胸に抱く。
かんたんに壊れてしまいそうなものを抱いている気がしてなんだか不安になる。
アトルくんの顔をのぞいてみる。にこにこだ。
顔をあげて小野フランキスカを見ると、アトルくんとおんなじような顔でこちらを見ていた。
安門良アトルは、小野フランキスカとおなじ棟に住んでいる小学生で、夏休みのあいだに知り合ってなかよくなり、それ以来ときどき「デート」するようになったんだ、となれそめを聞かされる。
団地では月に一度、住民たちによる清掃活動をやっている。毎回参加している小野フランキスカは、夏休みのお手伝いできていたアトルくんのめんどうをみ、いろいろ教えてあげているうちにすごくなつかれたんだそうだ。
小野フランキスカにはありそうなことだな、と思った。小野フランキスカが同級生や男子たちに囲まれてる姿は想像できないが、おとしよりとかちいさな子ども、あと、ノラ猫なんかには好かれそうなやつだとは思う。
でも、小野フランキスカがわたしの知らないところでわたしじゃないだれかとなかよくしていることに、わたしはちょっと嫉妬する。
そうして、こんなこどもにも嫉妬してるわたしを、わたしは醜いと感じている。
「アトルくんのご両親は共働きでさ、二人とも帰りが遅くなるってときにときどきめんどうみてるんだ」
そういえば二学期になってから何回か、わたしを置いて先に帰ってることがあったな。(それがこれか)と、わたしは納得する。
「お、弓子さんからだ」
小野フランキスカがスマホの着信に気づいて、ひらく。
「アトルくんのお母さん しごとが早く終わりそうだからアトルくんを送ってきてもらえませんか、だって」
小野フランキスカは近くにある大型ショッピングセンターのなまえをあげ、「ナオもいくよね?」とわたしが断ることを想定していない言い方で、わたしを見る。
「おててつなごー」って言うアトルくんの手を小野フランキスカが握ったから、わたしは「わたしもつなぐ」と言って小野フランキスカのあいた方の手を握る。
「ん? こっちじゃないよね?」とたしなめられたわたしは、「冗談じゃん」って茶化しながら反対側にまわってアトルくんと手をつなぐ。
はやくも暮れかかる冬のおひさまがわたしたちの背中を照らして、影を前に伸ばす。
小野フランキスカとアトルくんはからだを動かしては、いろんなかたちをつくって遊んでいる。
わたしはアトルくんとつないでいる手の指先だけを開いたり閉じたりしてみる。
わたしが動かすから影も動いているのに、境目がないつながれた影を見ていると、どちらが動かしているのかわからなくなるな、と思う。
あいた片手にはまだ小野フランキスカの手の感触が残っていて、わたしは空想の小野フランキスカと手をつなぐ。
アトルくんを弓子さんに引き渡し、すっかり暗くなった道をわたしと小野フランキスカは並んで歩く。
わたしは「デート」の真相に安堵しているくせに、小野フランキスカにいじわるな質問をしてしまう。
「アトルくんがおおきくなってガチの告白してきたらどうすんの?」
小野フランキスカは「あはは ないない」と笑って否定するが、そんなのわからないじゃないか。アトルくんはおわかれの間際、「ぼくフランちゃんとけっこんするんだ」って言ってたじゃん。
「ああいうまっすぐなのが怖いんだ 深く刺さるから」
わたしの言い方がきつくなってたのか、小野フランキスカはちょっと困ったような顔をして、「ナオちゃ〜ん」と甘えた声を出す。
「やめろ、きもちわるい」というわたしに、小野フランキスカは、「おてて、つなごっか」と片方の手を伸ばす。
鼓動が跳ねる。
わたしはそれに気づかれないように、「なんだよ」とわざとらしく不機嫌そうな声で言う。
それでも小野フランキスカは手を引っ込めず、「ん」と催促する。
しかたがないなというふうを装って、わたしはコートのポケットにつっこんでいた手を引っこ抜き、差し出された小野フランキスカの手をとる。
「あったかいね」
小野フランキスカがほほえんでくる。
「そうだな」
わたしは前を向いたままそっけなく返す。
接しているのはちいさな面なのに、そこから小野フランキスカのぬくもりが伝わってわたしの全身にまわってくるのがふしぎだった。
(こうやって手をつなぐのって、いつぶりだろ……)
わたしはいつのまにか小野フランキスカをへんに意識するようになってて、アトルくんみたいにむじゃきに接することができなくなっていたんだ。
もしいまわたしが小野フランキスカへの思いをまっすぐ伝えたら、小野フランキスカはちゃんと受けとめてくれる……?
(怖いよな)
もう何度もくり返した問いに、いつもわたしは答えを出せない。
その代わりのように、小野フランキスカを握る手にぎゅっと力をこめる。
ぎゅっと握り返してくる応答があり、「今日、ナオ、妬いてた?」と小野フランキスカが訊いてくる。
わたしはてきとうにごまかしてしまおうかと思ったが、小野フランキスカの口調が茶化すような感じではなかったから、すぐにことばが出てこなくてへんな間があく。
「ナオが妬いてくれてるんだったら、うれしいかな、って」
返事をしないわたしの代わりに、小野フランキスカがそう言う。
「うれしい?」と訊き返すわたしに、小野フランキスカは「うん」とうなづいて、さっきの話を蒸し返す。
「さっきナオが言ってたことだけどさ、もしアトルくんが将来どんなに魅力的になっちゃっても、わたしは断ると思うな」
「そんなの、わからないじゃないか」
小野フランキスカを握る手にまた力が入る。
「わかるよ」
わたしの手が強く握り返される。
「だって」と言いかけたことを、小野フランキスカは「やっぱ言ーわない」と途中でやめてしまう。
だってなんだよ? と訊けばよかったのかもしれない。
だけどもう小野フランキスカの団地に着いてしまったから、わたしたちはそれぞれの手をほどく。
わたしたちの手はおたがいの熱で溶けてくっついてなんてことはなく、するりと離れてしまう。
自転車にまたがって「じゃあ、またな」と言うわたしに、小野フランキスカはわたしとつながっていた方の手をあげて「またあした」とこたえる。
わたしはなんとなく小野フランキスカの見送る視線から逃れたくなって、早めに角を曲がる。
家に着くまでのあいだ、わたしの頭の中では(だってなんだよ?)がずっと鳴っていた。
ベッドに横になって、今日あったことをふりかえる。
安門良アトルの一件は、わたしにいろいろなことを気づかせてくれたと思う。
アトルのような存在が、いずれもっとさいあくなかたちで小野フランキスカのまえに現れて、わたしから小野フランキスカを奪い去る。そういうことはぜんぜんあり得るのだ。
そのとき小野フランキスカがどんな選択をするのか、わからない。
どんなことになっても、それでもわたしが小野フランキスカの傍にいつづけることはゆるされるのだろうか?
はなから小野フランキスカだけがいればいいと思ってたわたしは、じぶんに向けられる恋情も友情も袖にして、できるかぎり小野フランキスカの傍にいようとしてきた。
そのおかげでわたしち二人は周りからちょっと浮いた感じになり、友だちからも男子たちからも距離を置かれるようになっていった。
それはわたしにとっては都合がよいことだったけれど、小野フランキスカにとっては迷惑だったんじゃないか?
ふれあう影はひとつにつながって境目がわからないけれど、実体と実体はどんなに固く手をつないだところでべつべつの存在だ。
アトルのまっすぐな告白にだって断り状が突きつけられるのだとしたら、わたしが歪んだ思いを打ち明けたところで受け入れられるとはとうてい思えない。
どこまでも深く沈んでいけそうな気分を引きあげるために、わたしはため息をできるだけ細くゆっくりと吐く。
スマホが鳴る。
小野フランキスカからのメッセージ。
「きょうはありがと!
アトルくんまたナオちゃんと遊びたいって」
既読をつけて、なんて返事しようか考えていると、もう一通追いうちでメッセージが届く。
「ナオがだいすきだよ
←だってのつづき!」
とあって、わたしはスマホを支えていた両腕で顔をおおう。
「もう、ばかだな」と口に出して、気持ちがほぐれていくのを感じる。
いつも小野フランキスカのことを中二病だとからかっているが、なんてことはない、わたしだってこんなに拗らせてしまっている。
わたしは「死ぬまでいっしょにいるから」と打った文字列をしばらくながめて、送信を押す。
既読といっしょにハートがともる。
ああ、ほんとうに、いつかでいいからさぁ、わたしのこんな思いをだれか笑いとばしてくれないかな?!
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