迷子になりたい症候群
小学生低学年だったと思うが、家の近所で迷子になり交番に保護された思い出がある。よく知った道をあるいていたはずなのに、ふと顔を上げるとなぜかまったく知らないところにいる気がした。落ち着いて周囲を確認すれば自分の現在地がわかったのかもしれなかったが、そのときはただ混乱するしかなかった。どこをどうして交番にたどり着いたのかはおぼえていない。自ら赴いたのか、保護されたのか。親が迎えに来てくれ、帰る道はまったく辻褄が合うのがふしぎだった。なんで迷子になったなんて思った?……と。理由らしいことといえば、その日は大きなお祭りの日で、街路はいつもと違う雰囲気をまとっていた。
以来、というのでもないが、私は迷子になりたくなるときがある(いや、じっさい目下迷子なのかもしれないのだが)。目的地のその先まで通り過ぎてみる。わざと知らないわき道に入る。歩かなくていいところを歩く。計画を立てず闇雲に進む。わざと視界を狭めて迷宮を幻視する。社会と関わらないでいいときの私の生き方はこんなものだ。
ここ数年、迷子になることがゆるされない境遇にある。フラストレーションが高まっている。迷子のなり方を忘れてしまわないようにいちおうこうやって記しておく。
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ちゅーる代