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小野フランキスカの断水
M
断水っていうのはふつう水道管や給水設備に問題が起こったか、水不足で供給がままならないときにやむをえず行われるものであって、供給になんら問題がないのに自ら好んでやるもんじゃない。
即身入定を願う修行者でも息をひきとるまぎわまで水は口にするんだから、小野フランキスカのやろうとしていることはよほどの酔狂でなければ度を越した自虐だと、手代木マカナには思われた。
さっきもカフェテリアのテーブルにつっぷして、「渇くううう」とうなっている小野フランキスカを目撃したばかりだ(渇くって、なに??)。
いっしょにいたのは「栖庫先輩」で、なんだか泣きついてるふうの小野フランキスカを冷たくあしらってい(るようにみえ)た。
(あの二人、いつもいっしょにいるなぁ)
学部一年生の手代木マカナは、まだ慣れない春のキャンパスで小野フランキスカを初めて目にしたときからなぜか気になってしまい、それから毎日小野フランキスカの姿を探しているうちに前期が終わり、年の瀬が近くなったいまではいつどこに行けば小野フランキスカとエンカウントできるのかだいたいわかるようになっていた。
手代木マカナの十八年間の人生に照らし合わせてみれば、これにもっとも近い感情は「恋」で、だとしたら最初に小野フランキスカをみたときから恋におちている。
同性に「恋」をすることもあるんだということは知識では知っていたものの、じぶんが当事者になるとは思ってなかった手代木マカナは、「ま、そういうこともあるよね」とあっさり受け入れる(だって、じっさいそうなんだし)。
気持ちは伝えてなんぼでしょ、と思っている手代木マカナは、これまでに何度となく小野フランキスカへの接触を試みてきた。
だけどいつも、あとちょっとというタイミングで栖庫ナオが現れる。
そうなると小野フランキスカは栖庫ナオにべたべた甘えっぱなしになるし、栖庫ナオのガード(?)は完璧でつけ入る隙がまるでなかった。
手代木マカナの八か月以上にわたる観察によれば、小野フランキスカにはなにか〈すきなもの〉があるのに、ここ最近その供給を自ら断って〈すきなもの〉から小野フランキスカ自身を遠ざけようとしているのだと思われた。
どんな事情があったらそういう真似ができるのか手代木マカナにはまったく理解できなかったが、そんな小野フランキスカに対していつもぞんざいで冷たい態度の栖庫ナオをみていると、手代木マカナの胸はざわついた。
(わたしだったらいくらでも愛を注いであげられるのに)
S
「あ゛あ゛あ゛〜〜〜 渇くうう〜〜〜ぅ」
カフェテリアのテーブルにつっぷした小野フランキスカがうなりだす。
ナオは、鬱陶しくなりそうだなと予感する。
「あ? のど?肌?」
そのどちらでもないとわかっていながら、あえて訊く。
「ちがうぅぅ……」
ほらみろ、はじまった。
「じゃあ、目か」
「ちがうよぉ〜〜〜!」
知ってるよ。
「あれ、だな」
「うん、それ…… ね、ナオ……なんとかして?」
「わるいがそれはできん」
なんども言ったろ、とわたしは小野フランキスカをつきはなす。
「うぅぅ……」
小野フランキスカは、頬をカフェテリアのテーブルに癒着させそうないきおいで押しつけている。
わたしは、小野フランキスカの決意を聞いて以来、なんどもつきつけてきたことばをまた告げる。
「フランキスカ、おまえがじぶんではじめたことだろ わたしはそれを見届けこそすれ、じゃまはしない」
「うぅ、そう、だね ありがと、ナオ」
言うほどありがたそうじゃない感じに小野フランキスカが声をしぼりだす。
もうすぐカフェテリアの閉まる時間だ。
「ほら立って いくよ」と小野フランキスカを促し、わたしたちは人が少なくなった夜のキャンパスを並んで歩く。
F
小野フランキスカは、中学まで過ごした島のおじーやおばーたちから何度も聞かされた渇水の話を思い出している。
「あーっさよー でーじやたんどー」って話を聞いているとそれはまあ「でーじだな」とは思うけど、しょうじき、蛇口をひねって水が出てこなかったことなんかないし、水なんてコンビニや自販機でいつでも買えるじゃんって、恵まれた環境にいるわたしは想像力が死んでいた。
いちばん長くつづいた断水は326日にわたったって聞いた。
わたしの「断水」記録は、いま80日を超えたくらいだ。
(いまならちょっとはつらさとかわかるかな?)と思ったけど、想像力が死んでいるわたしはやっぱりうまくイメージできない。でもそれは違ってて、単にわたしは慣れてしまったのかもしれない。それがなくても生きていけるって、わたしは思ってしまっている……?
たぶん、わたしはそれがなくても生きていける。これまでがそうだったから。
だけどじぶんを生かす「 」を知ってしまったいまのわたしは、「 」が涸れてしまうことにふつうでいられる自信がない。
「 」がみんなではなくじぶんひとりに注がれたらいいのにという欲望がもぞもぞ頭をもたげてくるのを感じて、そいつがおおきく育ってしまわないうちにぺちんと叩いて頭をつぶす。
(だいじょうぶ わたしはなくても生きていけるから)
人工降雨作戦も祝女の雨乞いも必要ないよ、と強がってみる。
(でもな……)
並んで歩いていた速度をゆるめて、一歩前に出たナオの肘のあたりをつまむ。
「ナオ ぎゅってして」
M
二人がカフェテリアを出て行くのをみた手代木マカナは、思い立って二人の跡をつける。
冬の、早い宵闇の訪れが、手代木マカナを勇気づけていた。
小野フランキスカと栖庫ナオは、とくに何か話すわけでもなく並んで歩いている。
古い講義棟の、アーチ状に開いた通路に二人が吸い込まれてゆく。
手代木マカナは二人を見失わないようにすこしだけ足を早める。
灯りの消えた通路に二人の背中を確認したと思ったとき、小野フランキスカが歩みを止め、栖庫ナオの腕をとった。
ふり返った栖庫ナオに小野フランキスカがみじかく何か言ったが、聞き取れなかった。
だが次の瞬間、栖庫ナオが小野フランキスカを抱き寄せる。
手代木マカナはとっさに陰に身を隠す。
(え?え?え?え?)
理解が追いつかない。
(あの二人って、そういう関係だった?)
(え、うそ)
(わたし、ばかみたいじゃん)
(え?友だち? え?恋人?)
(そんなの、どうやっても勝てっこないじゃん)
(いやだいやだいやだ)
(ゆるせない)
(わたしの)
(小野フランキスカを)
手代木マカナはぐるぐるする頭の片隅で、身を隠すしゅんかん栖庫ナオの視線がこちらに向けられたのを思い出す。
たぶん栖庫ナオはわたしに気づいた。
ほんのいっしゅんだったけど、すべてを灼き焦がすような青白く光る目でわたしを見てきたから。
長いような短いような時間がすぎて、二人はゆっくり抱擁を解く。
小野フランキスカはすこしだけ元気になったようにみえ、反対に栖庫ナオはすこしだけ寂しげな表情を浮かべたようにみえた。
(もしかして栖庫ナオは小野フランキスカを愛せていない?)
その観察が、また手代木マカナに勇気を与える。
だから、手代木マカナはまだ折れない。
(わたしのほうがじょうずに小野フランキスカを愛してあげられるんだから)
ふたたび並んで歩き出した二人が講義棟をくぐり抜けていく先を、手代木マカナは通路のこちら側に立ったまま見送る。
S
黙って歩いていた小野フランキスカが歩みをとめたから、その次になにが来るかナオにはわかっていた。
だからナオは、小野フランキスカの「お願い」のあと、なにも言わず小野フランキスカを抱きよせる。
小野フランキスカがナオの背中に腕をまわし、からだを深くあずけてくる。
顎をナオの肩にのせて、ゆっくりと呼吸している。
おたがいの鼓動が伝わる。
ナオはじぶんの呼吸を小野フランキスカの呼吸に合わせる。
鼓動のリズムが合わさってゆく。
二人の体温が混ざりあって、平衡になろうとする。
どれくらいそうしていたかわからなかったが、背中にまわされていた腕の力がふっとゆるまったので、ナオは小野フランキスカに「もういいのか?」と訊く。
「うん、元気でた ありがと」
こちらをみる小野フランキスカの表情がさっきよりもやわらいでいる。
「そっか ならよかったな」
そう返しながら、ナオは(なにやってんだろうな)とじぶんに呆れている。
こんなことが小野フランキスカの〈渇き〉を癒すはずがないってことはわたしも小野フランキスカもよくわかっているのに、小野フランキスカはときどきこうやってわたしに甘える。小野フランキスカなりに「断水」がこたえているのだ。
わたしは、小野フランキスカがどうしてもダメそうだとわかるときにだけ、その甘えをゆるしてしまう。
わたしの甘やかしによって小野フランキスカはつかのま癒され、同時にわたしは切り刻まれている。
小野フランキスカがこころから求めているのはわたしではない……という事実をつきつけられて。
(きみもこんな思いをすることになるぞ)
ナオは通路の陰の見えないところにまだいるはずのだれかに向けて思う。
でも、あるいは、その子が小野フランキスカをしあわせにできるというのなら、それならそれでいいのかもしれない。
(そのときわたしは笑っていられるんだろうか?)と考えてみて、思い浮かぶのが歪んだ笑いしかなかったから、それがナオにはなんだかおかしくて、いま苦笑いする。
(そうだ、わたしはだれよりもフランキスカの傍にいつづけるんだ)
どんな思いをすることになってもな、と思い直し、ナオはふたたび小野フランキスカと歩きだす。
F
小野フランキスカが「断水」をはじめてからずっと、脳内の心象予報士は「これまでに経験したことのないような〈渇き〉になるでしょう」と日々警鐘を鳴らし続けている。
蛇口をひねれば「 」は出るし、別に「 」が枯渇しているわけでもないわたしの「断水」は、けっきょく、わたしのわたしによるわたしのための茶番に過ぎないのかもしれない。
〈症状〉が落ち着いているいまは、心象予報士の悲痛の警告も仰々しく、かえって滑稽に感じられる。
わたしは、そんなことにナオを付き合わせてしまっているのを(わるいな)って感じていて、罪滅ぼしのつもりで「いたって平穏」と言ってみるけど、そうじゃないってことはきっと見透かされている。
しょうがないじゃないか。いまのわたしは蛇口をひねることができないし、世にどれだけ「 」が溢れていても無差別多方向照準の「 」ではもう満たされなくなってしまったんだ。
まわりを海にかこまれていてもヒトが海水では生きていけないように、わたしはわたしのためだけに用意された、わたしを生かす「 」だけを求めている。
かつておじーやおばーたちを苦しめた島の断水は、ダムや送水管などのインフラが整えられたこともあって、もう三十年以上行われていない。
ビルの屋上や戸建ての屋根に置かれていた給水タンクもその役割を終え、すこしずつ姿を消していってるらしい。
わたしは、「 」を貯めておくことができるタンクがあったらいいのに、と思う。
そうすれば、もうナオを煩わせることなく、「断水」なんてばかげたことをすることなく、上手に「 」を食べることができるんじゃないかとか、そういうありもしないことを空想してみる。
(ナオだっていつまでもわたしといっしょにいてくれるわけじゃない)
ナオといっしょにいられなくなるそのときまでに、わたしはひとりでもだいじょうぶなようにならなくちゃダメなんだ――
ナオのすぐ隣を歩きながらそんなふうに考えている。
いまはまだ、ナオの体温と鼓動の余韻に浸りながら。
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