(栖庫ナオ)の果断
「名乗ったおぼえはないんだがな」
栖庫ナオは手代木マカナの間の抜けた顔を見下ろして言う。
「まぁ、おたがいさまか」
手代木マカナが小野フランキスカのあとをつけまわしていることに、栖庫ナオはほとんどはじめの頃から気づいていた。
手代木マカナの小野フランキスカへ接近しようという意欲、情報収集能力、それと持ち合わせている運には、目を瞠るものがあった。
すぐに手代木マカナの素性や身辺を調べあげ、いずれ小野フランキスカやじぶんに接触することがあるだろうと用心し、なるべくそうさせないようにふるまってきた。
今回もいつもどおり、手代木マカナの視界に入らぬようにスルーしてしまってもよかった。
なのにいまこうして手代木マカナに声をかけた理由を、ナオはじぶんでも説明することができない。
(魔が差したか?)
「あっ、あのっ、わたしたち……」
まだ声を失ったままの手代木マカナの代わりとでもいうように大槌美夜が声をあげるが、栖庫ナオはそれを制す。
「名乗らなくていい、大槌美夜」
美夜は、まったく接点のなかった栖庫ナオからじぶんの名を呼ばれて息を飲む。栖庫ナオはそれを見届け、手代木マカナに照準を合わせる。
「それに手代木マカナ きみはなかなか有能だな」
手代木マカナもまた、栖庫ナオからじぶんの名を呼ばれて我に返る。
「栖庫ナオ…… あなたは、小野フランキスカの、なんなんですか」
手代木マカナにそう問われて、ナオはつかのま逡巡する。
(わたしは、小野フランキスカの、なんだ?)
わたしは小野フランキスカの幼なじみであり、親友だ。
そんなことは、この子も知っているんだろう。
わたしは小野フランキスカにとってかけがえのない存在だ。
それは、いまとなっては、そうであってほしいという願いのほうが強い。
だから、小野フランキスカがわたしのことをどう思っていようと変わらないことだけをことばにする。
「ぬてぃぬあるあいや とぅやいしゃびら」
どこの国のことばだかわからないという顔で手代木マカナが見つめている。そりゃそうだろう。消滅の危険に晒されてるドゥナンムヌイだ。ナオはことばを継ぐ。
「わたしは、命あるかぎり、小野フランキスカとともにあるものだ」
「それは、恋人として、ってことですか?」
一呼吸の間をおいて、しかし怯むことなく手代木マカナはまっすぐ問うてくる。
ナオは、じぶんからもっとも遠く、とはいえかつてさんざん悩まされた「恋」という感情をいままたここで突きつけられたのがおかしくて、つい「あはっ」と笑ってしまう。
もしわたしが小野フランキスカを恋うのだとしたら、それはじぶんじしんを恋うのに等しい。
おのれにしか陶酔できず水仙と化したあの少年と、他の誰をも愛さずにただ小野フランキスカだけを思っているわたしは、あんがいそう変わらないという気もするが、だが……
「恋はある種の酩酊だ わたしはずっと醒めている」
そう栖庫ナオが答えると、手代木マカナは重ねて問う。
「じゃあ、わたしが、小野フランキスカと恋人になってもかまわないって、そういうことですよね」
「ああ、そうだな」
栖庫ナオは即答する。頭のなかでは(ちがう)という声を聞いたが無視をして。
手代木マカナは信じられないというような顔をしてから、大槌美夜のほうを見て、「ね、聞いた? やった!」とよろこびをあらわにする。
ナオは胸にちくりと刺すものがあるのを感じるが、それは別にこの子にはじまったことじゃない。
「ひとつだけいいか」
ふたりがこちらを見る。いまわたしが手代木マカナに言うべきなのは、たぶんこのことなんだ。
「あいつ……小野フランキスカには、いま、なによりもだいじなものがある それは恋と呼んでもいい感情だ」
いまのきみみたいに、と手代木マカナを見る。
知っています、と答える手代木マカナにうなづいて、ナオはつづける。
「そのせいであいつのなかでいろんなことの優先順位がおかしくなってる それにフランキスカ自身も戸惑って、でたらめな制御をはじめたのが三か月前だ」
ナオは、この三か月のあいだに小野フランキスカとじぶんとのあいだに起こったことを思い出す。
身体のあちこちから煙をあげて、誰が見ても異常をきたしているとわかったから、わたしはその原因を排除することをすすめた。
子どもみたいに泣いて嫌がる小野フランキスカをみるのがしのびなくて、小野フランキスカの幼稚な提案をしぶしぶ飲んだ。
そんなことでうまくいくとは思えなかったが、見た目には問題なく過ごせているようだった。
だがじっさいはそんなことはなくて、ある日とつぜん行方をくらました小野フランキスカを追って、崖から身を投げようとしていた小野フランキスカをすんでのところで掴みとった。
その後、小野フランキスカのなかでなにかの区切りがついたようにみえたが、すべての片をつけられたわけではなく、あいかわらず不安定で、いつまた壊れてしまってもおかしくなかった――
「あいつはわたしを必要としているようにみえるが、ほんとうに求めているのはわたしじゃない もしきみが小野フランキスカに存在を認識されたとしても、おなじ思いを味わうことになるぞ」
手代木マカナは黙ったままナオの目をじっと見つめている。
「そんな、なんで、いっしょにいられるんですか……」
大槌美夜が言って、栖庫ナオは苦笑する。まあ、余人には信じられないだろうな。
栖庫ナオはふたりを見据えて、言う。
「それがわたしの小野フランキスカに対するたったひとつの存在のしかただからだ」
ふたりがまったく理解できないという顔になっている。
いいよわかんなくて。
「あの、ほんとうに必要とされなくなっちゃったら、どうするんですか?」
おそるおそるって感じで大槌美夜が訊いてくるから、栖庫ナオは口の端で薄く笑う。
それは命が尽きるのとおなじだろ。
「そんときゃ消えるさ」
「じつはな、小野フランキスカがおかしくなっていったのは、あいつがいまの研究をはじめたせいだとみてる」
話のついでだ、と栖庫ナオはいま考えてることをふたりに話して聞かせる。
「あー…… えっと、ソウコクカドウなんちゃら原理?」
「相克渦動励振原理な」と訂正しながら、そういうとこまでちゃんと押さえてるのはさすがだな、とナオは感心する。
「あの研究でフランキスカがなにに触れて、どんな影響を受けたのかわかれば、あいつの抱えてる問題を解決できるんじゃないかと思ってる だからまあ、そんなに悲観してないんだよ」
じゃまして悪かったな、と立ち去ろうとして、ひとつ忘れていたことを思い出す。
手代木マカナの宣戦布告。
小野フランキスカを奪うと言われて黙ってるわけないだろ。だから、「手代木マカナ」と名を呼んで。
「指をくわえて見てるだけだと思うなよ」
ナオが伝えると、手代木マカナが胸のまえでこぶしを握って応じ、きりりとした眉でほほえみかえしてきたから、(わたしも笑っていたのか)と栖庫ナオは気がついて、よけい笑えてくる顔を見られたくないなと思い、ふたりに背を向ける。
片方の手を高くあげてふたりへの挨拶としながら、栖庫ナオは(やっぱり魔が差したかな)と考えている。
らしくない行動で、繋がるはずのなかったものを繋げてしまった。手代木マカナへの先手を打ったというわけでもない。じぶんの行動にじぶんがいちばん驚いている。
もしかしたらわたしは手代木マカナという存在を利用して、小野フランキスカをとりまく状況になんらかの変化を持ち込もうとしているのかもしれない。
それで小野フランキスカの状況がよくなるとしたら、いいなと思う。
あるいはこれは虫の知らせというやつで、小野フランキスカとのおわかれがもうすぐそこまで迫っているのかもしれない。
だとしたらちゃんとおわかれしなくちゃな、と考えながら、ナオは隣に小野フランキスカのいない昼下がりのキャンパスをひとり歩いていく。
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