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小野フランキスカの断罪

小野フランキスカは目のまえの光景に満ち足りていた。

みんながパンダカーにまたがっている。
わたしとナオは慣れたものだ。優雅に乗りこなす。
手代木てしろぎマカナはしっかり顔をあげて前(だけ)をみつめてライドしてる。ちょっと顔がひきつっているみたい。だいじょうぶ、こわくないよ。
大槌おおつち美夜みよるは片方の手でハンドルをにぎって、もう片方の手でまっかになった顔面をおおっている。ちゃんと前みないとあぶないのに……
アトルくんはやけにハイテンションで、「行けー!」とか「進めー!」とか叫んでるけど、それが分速13mのパンダカーとぜんぜんつりあってなくておもしろい。

「あっははっ!」

すでに口もとをゆるませていた小野フランキスカは、こらえきれずに声をあげてわらう。
だって、ほんとうにしあわせだったから。

パンダカーは200円で2分ちょっと稼動する仕様なのに、何分過ぎても止まることがなくて、みんなを乗せたままとことこ動きつづける。
冬の午後のおひさまが広場をやさしく包み込んでいて、そこにあるすべてのものたちは受けた光をやわらかく返している。そのなかに包まれているわたしは、なんだか胸のなかまであたたかくなっている。
夢みたい……と思いかけて、そういえばと思いあたる。パンダカーの台数もいつもよりずっと多いし広場の面積もこころなしか広く感じる。そうか、これは夢だな。
だったらこのままずっとこうしてたいな、と小野フランキスカはしあわせなきぶんを逃がしてしまわないよう細心の注意を払って、そっとひたる。


広場を横切る線分が最大になる端と端に、わたしとナオがいるちょうどそのとき、ナオがこちらをじっとみているのに気がつく。

ナオはわたしと目が合うと、口をうごかしてなにかをつたえようとする。ふつうの声で話しても届くはずの距離なのに、なぜかナオの声が聞こえない。ときおりザザッというノイズが耳にまじる。
「きこえなーい!」というわたしの声もナオには聞こえてないらしく、ナオは口をゆっくりおおきくうごかしてみせる。
わたしはナオのくちびるをよむ。

「ま」「て」「ろ」……「か」「な」「ら」……「す」「み」「つ」……「け」「て」「や」……「る」「か」……「ら」「な」……

――待ってろかならずみつけてやるからな?
みつけるもなにも、わたしはいまここにいるよって思ったとき、視界にも砂嵐みたいなノイズが走り、いっしゅん目を閉じる。まぶたを開くと、ナオの姿が消えていた。
ドライバーを失ったナオのパンダカーが数歩進んで、ゆっくり動きをとめる。

広場に冷たい靄がたちこめてきて、やわらかな陽射しを隠してしまう。気がつけばナオだけじゃなく、手代木マカナも大槌美夜もアトルくんも、みんないなくなっている。

わたしがあっけにとられていると、広場のまんなからへんが歪んでみえ、そこから渦状に地面がくぼんでいき、目にしていた風景をすっかり呑みこんでしまう。
わたしが乗っていたパンダカーもいつのまにか消えていて、わたしはなにもない空間にひとり立ちつくしている。
やっぱり夢だったか、と頭では考えているが、さっきまであったしあわせの感触がたしかすぎて、急な喪失感に気持ちがついてゆかない。

少しずつ気持ちが状況に追いつくと、こんどは一気に追い抜いて、わたしはわたしを苛むことばを並べている。

(そりゃそうだよね、わたしがみんなといっしょにたのしくいるなんて、ゆるされるわけがない……)

広場にできたのとおなじ穴が胸のなかにも空いて、渦を巻いて沈み、ひろがって虚空になる。

虚空は小野フランキスカの胸を内側からやぶり、黒い花弁のようにおおきくひらいたかと思うと次のしゅんかんには折りたたまれて、そのまま小野フランキスカのからだをのみこんでしまう。


小野フランキスカはバックルームにいた。
小野フランキスカの心を象った部屋。
研究に携わるようになって、みずから開くことができるようになったが、ここでなにができるのか、小野フランキスカじしんにもまだわかっていなかった。

わかるのは、ここにはこれまでじぶんのなかに生まれた心象が保存されているということ。
それらはそれぞれの心象にみあった形質に具現化されており、もう忘れてしまっていたものでも、いちども意識されなかったものでも、見て嗅いで聴いて触れれば、その心象が小野フランキスカの感覚に再生された。

もうひとつわかるのは、橋。
ここにかかっているたくさんの橋は、なかほどまでは行けても向こう岸に渡ることはできない。
こちら側の橋名板にはひとの名前が書いてあり、見たことはないがあちら側の橋名板にはどの橋にも「小野フランキスカ」の名が記されているはずだ。
つまりこの橋は、これまでに小野フランキスカとつながりのあった人物との関係をかたちにしたものだった。

「……時間の流れはその精神が属する渦動の波長に同調するという、相剋渦動励振そうこくかどうれいしん原理に基づいた現象であるが、しかし相対的に見れば、あの夢の中の世界の時間はほとんど流れていないのである。……」*

「……相剋渦動励振原理に基づいたこれは、船体と外部空間の時間の流れに差を付けて、ニュートン物理空間では本来越えられないはずの光速の壁を相対的に突破している。船体そのものは平均で光速の七十パーセント程度の速度で飛んでいるのだが、時間が七千倍以上も加速されているので、外部からだと超光速を達成しているようにみえるのだ。……」*

研究室で聞いたことばを思い出す。

小野フランキスカには、どうしてもそうしなければならない理由があって、時空を超えるすべが必要だった。
相剋渦動励振原理の存在を知ったとき、これこそじぶんの求めているものだと期待した。
それまで取り組んでいたものをすべて捨てて、その研究に打ち込んだ。
研究をはじめてから二年が経つというのに、はかばかしい成果はなかった。
小野フランキスカは不満だった。


(こんなところ、来たって意味ないよ)

だってそれは、とうに忘れていたむかしの日記をよむこととか、おぼえのない思い出をひとから聞かされることなんかと違いのないことだったから。

橋にしたって、これまでにどんなひととかかわりがあったのか、いまもあるのかをたしかめることができるくらいで、そんなことにやっぱり意味なんてない……

はたと思い至り、小野フランキスカはひとつの橋を探そうとする。その橋の橋名板には、まだわたしの知らない名前が書いてあるか、もしくは(これはあまり考えたくないけれど)わたしじしんの名が書いてあるはずだ。

しかし、いくら探しまわってもそんな橋は見つからない。
橋名板の名前はすべておぼえのあるものだったし、じぶんの名の記された橋などそもそもあるはずがない。なぜならわたしがわたしであるかぎり、じぶんじしんとの関係の橋というのはありえないからだ。

小野フランキスカの耳に、あの声がよみがえる。

「ご挨拶だな、小野フランキスカ  わたしは、わたし――  小野フランキスカにきまっているじゃないか」

小野フランキスカはからだをちいさく震わせる。
それを正しいと認めたくなかった。
だけど、状況がそれを認めろと言っている。

ふいに違和感に気づく。
しまったと思う。
ほんとはもっとはやく気づくべきだった。
小野フランキスカはいまバックルームにいるが、その扉をじぶんで開けたおぼえはなかった。
わたしじゃないのにわたしのバックルームを開けることができるのは……

『ご明察だよ、小野フランキスカ』

くくっという含み笑いとともに、聞きたくもない《わたし》の声がする。

『おたのしみはじゅうぶん味わえたかな?』

「おたのしみ」がパンダカーのことを言ってるんだとしたら最悪だ、と思う。
しあわせのまぼろしをこんなやつに見せられていたということが、ほんとうに悔しくてがまんできないから。
小野フランキスカは、《小野フランキスカ》を睨みつける。

『そんな目でみるなよ、わたしと《きみ》の仲じゃないか』

「なれなれしくしないで    わたしはあなたに用はない」

憤りを隠さない小野フランキスカに対して、《小野フランキスカ》はわざとらしく呆れたふうをよそおってみせる。
そして、小野フランキスカの急所を突いてくる。

『《きみ》は時空を超えたいんだろう?    なのに、ここの使い方もわかってない、ちがうか?』

黙ったままの小野フランキスカに《小野フランキスカ》がつづけて放ったことばに、小野フランキスカは目を瞠った。

『わたしはそれを教えてやることができるんだ』


『たとえばあれだ』
言って、《小野フランキスカ》はひとつの橋を指し示す。
それはついこのあいだまで対岸から建設中で、いまや完成したばかりの手代木てしろぎマカナの橋だった。

『《きみ》は手代木マカナから告白されたのに、ちゃんとした返事もせずのらりくらりとやり過ごしているな    それはなぜだ?』

それは……

『手代木マカナの思いがあまりにまっすぐすぎるから、切って捨てるのに忍びなかったか?    手代木マカナの思いを受け止める気もないのに?』

それは……

『ふふ……まったく《きみ》は罪深い    だがそんなものはこうすればいい』

そう言って《小野フランキスカ》が指をひとつ弾くと、小野フランキスカと手代木マカナのあいだにかかっていた橋が砂のように崩れ落ちる。
橋は両岸にいるものがそれぞれかけるものであって、じぶんで手をくだせるのはじぶんでかけた半分だけのはずなのに、その理を超えて橋のすべてが消えてなくなる。

『これで《きみ》と手代木マカナとの関係はなかったことになった    もう手代木マカナの存在すら思い出せなくなるさ』

(え……?)
小野フランキスカは、いま目のまえで起こったことが信じられなかった。

『次はこっちだ』
《小野フランキスカ》が安門良あとらアトルの橋に向かって指を鳴らす。

小野フランキスカが「ちょっと待って」というまもなく、安門良アトルの橋が砂になる。

『安門良アトルとの関係を《きみ》は面倒に感じていたよね    でもこれでせいせいしただろう』

「そんな……」
そんなことない、って言いたかった。だけど、《小野フランキスカ》の言うことは完全な「嘘」ではなかったから、小野フランキスカはことばに詰まる。

《小野フランキスカ》は、そんな小野フランキスカのようすをみて、愉快そうに目を細める。

『さて……こちらはどうかな?』

《小野フランキスカ》は栖庫すくらナオの橋に腕を伸ばす。

『《きみ》はこう思ったな?    いまのじぶんにとって栖庫ナオは目的じゃなく手段として必要なだけ、だと。  《きみ》はそれを罪深いとわかっていながら、栖庫ナオの好意に甘えることをやめられなかったのだ。  では、その罪を雪ごうじゃないか」
《小野フランキスカ》が合わせた親指と中指の先に力を込める。

「だめ!」
小野フランキスカはひっしに叫ぶ。

ぱちん

「やめて!」と叫ぶ小野フランキスカをあざ笑うかのように、栖庫ナオの橋が音もなく崩れ落ちる。

『さあ、これで《きみ》の罪は消え去った。わかったろう?    橋にはこんなつかいみちもあるんだ』

小野フランキスカは目のまえでおこなわれたことに抗うこともできず、ただ見ているしかできなかった。
そして、なにかたいせつなものを失ってしまった気がしたのだが、それがなんだったのか思い出すことができなかった。
ただ悲しいという感情だけが、胸の片隅に浮かんでは消えた。


《小野フランキスカ》は、小野フランキスカに橋を操るわざを教える。

『《きみ》がってしまった橋があるな    いまの業をつかえば残りの半分を落とすことも、こちら側の半分をかけ直すこともたやすいが……』

《小野フランキスカ》は言いさして、せっかくだからおもしろいものを見せてやろう、と言う。
小野フランキスカは言われるままに親指と人差し指でつくった輪から断橋の対岸をのぞく。

(あ、あのひとだ……)

小野フランキスカの胸が高鳴る。
だが、そのひとかげが橋を渡ろうとする気配はない。
よく見ると、そのひとかげのまわりには別のひとたちのかげがたくさんあり、そちらのほうを向いて楽しそうに語らっている。

(そっか、そうだよね……)

当たり前にわかっていたけど、見ようとしてこなかったもの。それがいま見えている。

(わたしがたどり着きたくて、たどり着けない場所……)

そこにたどり着くことが、相剋渦動励振原理の研究の目的だった。だが、それはまだかなわない。かなう目処もたたない。ならば、いっそ橋ごと消してしまおうか。そうも考える。でも……

『どうだい、おもしろいだろう?    どうするか、あとは《きみ》の自由さ』

また会おう、と言い残して《小野フランキスカ》は姿を消した。

小野フランキスカは輪っかを通さないで断橋を見つめる。そこには向こう側半分の先端がかろうじてみえるだけで、あとはなにもみえない。

どうするか、あとは《わたし》の自由――

たいせつだったはずのものをなくしてしまった小野フランキスカにとって、いま、断橋だけがたいせつなものとなっていた。

どうするか、あとは《わたし》の自由――

小野フランキスカは、親指と中指の先をそっと触れ合わせてみる。

どうするか、あとは《わたし》の自由――

指先に力を込める。

どうするか、あとは《わたし》の自由――



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*「相剋渦動励振原理」についての記述は、以下による。
上遠野浩平『わたしは虚空に月を聴く』
上遠野浩平『ぼくらは虚空に夜を視る』

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