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20250106の夢/水の中の砂漠の花(Underwater Desert Flower)
うちの大学では「クリスマスの夜」のさらに前の夜に年内の授業が終わりになるから、ぼくのまわりにも浮かれたひとたちがあふれだす。
ぼくにも浮かれたきもちがないわけじゃないけど、みんなで集まってわいわいとか、すきなひとといっしょに、みたいな予定はなくて、年末年始は地元に帰省して過ごすつもりだったから、早いうちに航空機のチケットもとっていた。だから、「ふらんも来る?」ってとってつけたような誘いはこれで断ることができる。
浮かれたきもちといえば、と大学生になってからいちどだけつきあうって関係になったときのことを思い出す。一年生の秋の終わり、学祭のあとのことだった。
あのときぼくらは取り残されたものどうしの共感と、まわりがどんどんくっついてっちゃう焦りからへんな感じに距離が近づいて、おたがいにすきでもないのに「つきあっちゃう?」ってつきあいはじめたんだっけ……
いざつきあいはじめてみると、ぼくはじぶんでもおどろくほど相手に依存をし、相手のあれこれを束縛するようになって、とうぜん相手にはいやがられ、そんなぼくをじぶんでもいやになり、進級するまえにはおわかれした。
それでつきあうって関係がぼくには向いてないとわかってから、「こいびとをつくる」ってクエストを早々にあきらめたけれど、もしいつかまたこいびとができるなら反対にべたべたに依存されるほうがいいな、って思った。
秋のおわりのある日の夕方に出会った「ねこちゃん」は、そんなぼくの願望を見透かしたかのようにあらわれ、べたべたではないけど厚かましく甘えていき、「じゃあまたな」って帰ってって、それから姿をみせない。
彼の名前も聞いたんだけど、ぼくはなんとなくずっと「ねこちゃん」って呼んでしまっている。
あれからときどき、ねこちゃんいまごろどこでなにしてるのかな、って考えてしまうのは、つまり、また会いたいなって思ってしまってるってことで、どこのだれとも知らない子にそんな感情をもってしまっているじぶんをちょっとおかしく感じて、口もとでわらう。
年内最後の大学からの帰り道、そんなぼくの思いをまたしても見透かしたように、いつものねこだまりに「ねこちゃん」がスマホをいじりながら立っている。ぼくに気づくと、「よ」と手をあげてくる。
「寒かったんだけど」
言いながらねこちゃんは、ホットコーヒーの缶をもっていたぼくの手をそのうえからにぎってきて、「あったかい」ってわらう。
ねこちゃんはぼくがもってきたねこ用おやつを集まってきたねこたちにあげ、ぼくは煙草に火をつける。ねことねこちゃんにかからないように煙を吐き出す。
ぼくが煙草の火を消して歩きだすと、しゃがんでねこたちをなでもふっていたねこちゃんも立ちあがり、なにも言わずにぼくのあとについてくる。
それがあまりにもあたりまえな感じだったから、ぼくもなにも言わずに歩いてく。
鍵をあけ、部屋に入る。
「ただいまー」と言いながらねこちゃんがあとにつづき、靴を脱ぐなりぼくのベッドにばふんとダイブする。
ねこちゃんは「ぬくいー」とか言いながらおふとんを抱いてごろんごろんしていた。
ぼくはあたりまえのようにふたりぶんのごはんをつくって、あたりまえのようにふたりで食べて、あたりまえのようにいっしょにこたつでぬくまる。
あたりまえはくり返した回数じゃなく、そういうもんだって態度やふるまいできまるんだなって、そう思った。
泊まってくのもあたりまえだと思ったから、ねこちゃん用の着替えを出してあげる。
おふろ沸いたよって声をかけると、ねこちゃんはスマホをいじりながら「ふらん先入って」って言う。
湯船にひたりぼんやり考える。いまぼくの部屋にねこちゃんがいることはぜんぜんあたりまえじゃないことなのに、なにもかもが自然でとりつくろったところがないのがふしぎだった。
まえに付き合っていたひととのあいだにあったのはそういうあたりまえじゃなく、とりきめや依存や支配だったから、ねこちゃんとのあいだに流れるこのふわふわした空気は、ぼくにとってはほんとうに居心地がよく、あったかいきもちにさせてくれる。
だけど、もしねこちゃんとそういう関係になって、いまみたいなゆるいつながりじゃなくなったら、まえのときみたいなぎくしゃくした空気にもなるのかなと考えて、それはいやだなって思い、それからねこちゃんとそういう関係になることを想像してるじぶんに苦笑いする。
鼻までお湯にひたし、息を吐いてぶくぶく泡を生みだしてみる。そうすることでなにかをごまかす。
がらっと音を立てておふろの戸があく。
服を着てないねこちゃんが立っている。
「おれもいっしょに入る」
思わずお湯を鼻から吸ってむせかえるぼくにかまわずねこちゃんは湯船をまたいで、ぼくの足のあいだに背中をあずけて座り、ひとりぶんのお湯をこぼす。
「あは、せまいね」ってわらうねこちゃんの、長く伸びたくせっ毛がぼくの顔にあたる。
なぁ、さすがにこれはあたりまえじゃないよな?と自問してみるが、脳内会議は紛糾しており、答えを出せるやつはだれもいないみたいだ。
「そりゃあお安いアパートのおふろですから」と返すぼくのことばはへんに固くなっちゃって、ねこちゃんは「おれはそっちのほうがたのしいけど」って気にもとめず、「くっつけるから」ってぼくのからだに体重をあずけてくる。
「ふらん、手」って言ってぼくの腕でねこちゃんのからだを抱くようにさせて、ねこちゃんはそのうえからぼくの腕を抱く。
そうしてそのままなにも言わず、ふたりでお湯にひたる。
ねこちゃんのからだは痩せて軽く、ところどころ骨が浮いてみえる。ぼくはつい、ねこちゃんのおなかを手のひらでなでさする。
「ん…」
ねこちゃんが小さく鳴き声をあげる。
「ごめん、つい」って謝る。
「ん、へいき……さわって」
「ん、あ、いや……」
なんだ、あたまがくらくらする。
やばい、おかしくなりそうだ……
「からだ、洗おっかな」といってねこちゃんのからだをどかして湯船から出ようとすると、「洗いっこしよ」ってねこちゃんもいっしょにあがる。
「目にしみるよ〜」「あ、ちがう、もっと右……そう、そこ」「ちょっ……と、くすぐったい……にゃっ!」「そこは! いい、です! じぶんで洗うから!!」「んん、きもちい〜」みたいな感じで時間が流れ、ぼくたちはまたさっきとおなじかたちで湯船につかる。
ぼくの鼻さきにあるねこちゃんの髪はシャンプーの匂いがして、いつもぼくがつかってるやつなのに、こんなにいい匂いがするんだっけ、って思う。
ふたりでいっしょに100数えてあがる。ぼくはねこちゃんの髪とからだを拭いてあげる。ねこちゃんのはだかはほんとうに華奢で、ぼくはこわしてしまわないようにやさしく触れる。
着替えをすませたねこちゃんが部屋に戻って、ぼくはじぶんのからだを拭きながら、わけもないのに涙があふれてきて、とまどう。
(ねこちゃんがたくさんのやさしいひとにだいじにされているんだったら、それでいいんだ)
ぼくはじぶんにいいきかせるように頭のなかでそう唱えて、なみだをせきとめる。タオルで顔をわしゃわしゃ拭く。
そういえばおふとん敷いてなかったな、と思い出し、押し入れを開こうとすると、ねこちゃんがぼくの部屋着のすそをひっぱってくる。
「いっしょ、じゃ、だめ?」
上目遣いで訊いてくるのが、いつものふてぶてしい感じとギャップありすぎだろ。あたりまえじゃないけど、どうせおふとん敷いてももぐりこんでくるんだろうなって考えて、「いいよ」って答える。まぁ、ぜんぜんあたりまえじゃないけど。
寝るじゅんびをすませて、ぼくたちはベッドにもぐりこむ。
からだを横にしたねこちゃんが「これなに?」って手をひらいて握っていたものをみせてくる。
それは本棚に置いてあったセレナイトで、いつかどこかの雑貨屋で買ってきたものだった。その造型と「砂漠の薔薇」って名前に惹かれた。
そう教えてあげると、ねこちゃんは「へぇ」って興味があるんだかないんだかよくわからない返事をして、「あしたおふろはいるとき、これ入れてみようぜ」ってへんな思いつきを口にする。
(あした……?)
あしたもいるんだ?と思うが、それをぼくは口にしない。いやがってるように聞こえたら困るなって思ったのと、あしたもねこちゃんがいるってことがうれしくて、口にすることばはそれじゃないって思ったから。
「ん、そうしよっか」と答えて、部屋の電気を消す。
なにがうれしいのかわからないけど、ねこちゃんは「えへへ」とわらう。
「おやすみ」っていうぼくの口にねこちゃんの口が軽く触れる。
石膏でできてる砂漠の薔薇は、水につけると溶けちゃうかもしれないけれど、ねこちゃんがよろこんでくれるんだったらそれでいい。もしもねこちゃんが悲しんだり罪悪感を感じたりしたら、ぼくはせいいっぱいなぐさめてあげよう。
だって、きっとぼくもねこちゃんも胸のなかに砂漠があって、そこに咲く花を待っている。だからぼくはあした飛びたつ航空機には乗らないことを、いま決める。
「おやすみ、ふらん またあした」
ぼくの胸にからだをよせて目をとじるねこちゃんの背中をそっと抱いて、ひとふたりぶんのぬくもりを感じながらぼくらはまた眠りにおちる。
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