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デザイン史(概論)#17 ウィリアム・モリス(2)ラスキン『ゴシックの本質』から読み取れる幾ばくかのこと


はじめに(いつもの挨拶)

 以前担当していた、大学での講義をまとめて不定期に少しずつ記事にしていっているつもりが、色々寄り道したりしながらぶらぶら書いていく記事になっています。なるべく分かりやすいように、平素に、小分けに書いていくつもりです。
 ところでやはり、自分としても力入ったなあ・・という記事はみなさん読んでくれているようですね。そういうものなのかしら。さて、やっとモリスです。ここが本当は出発点だったのですが・・・。今日のモリスは、書き始めたらすごく長くなるので、だからこそ記事の更新が止まってたし、どこまでどんなふうに書いたらいいのか迷いながら書き始めます。自由に書こうと思います。

前回の記事

こちらの記事は、下の記事の続きになってます。今回は単独ではなく続きとして読んでいただいた方が理解しやすいと思います。

ジョン・ラスキン『ゴシックの本質』

 個人的にあまりに面白いのでちょっとモリス自身からは逸れるのですが、再び、ゴシックの話を。
前回の記事でラファエッロの辛辣なゴシック批判を紹介しましたが、ここで、ラスキンの前掲書からゴシックと、ローマ的なものについて書いた一節を紹介します。前置きとして本の中でラスキンが例に挙げたゴシック建築=ウェストミンスター寺院(ウェストミンスター大聖堂ではない!)とラファエッロも関わったサン・ピエトロ大聖堂を挙げておきましょう。

ウェストミンスター寺院の西側ファサード(ゴシック)
サン・ピエトロ大聖堂正面 Alvesgaspar - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=43509289による

そして贅沢三昧のあげくに無能のきわみに陥り、罪を犯しながらも傲然と構えていたローマ人は滅び去ってしまったわけだが、そのローマ人がいわゆる「暗黒」時代の末期に文明化したヨーロッパの模倣のモデルとなった時に、ゴシックという語は紛れもない蔑称となり、そこには忌避の念が混じっていなくもなかった。今世紀の古事物研究家や建築家の尽力によりゴシック建築がそのような軽蔑を受けるいわれもないことは十分に証明されてきた。

ジョン・ラスキン『ゴシックの本質』川端康雄訳、みすず書房 p22

 この本は、ラスキン『ヴェネツィアの石』の全三冊の二巻の一章分を取り出して別に出版されたものでした。ラファエッロがかつて、野蛮であると罵ったゴシック建築の汚名返上がなされていく時代背景で、ラスキンはタイトル通り、ゴシック建築がゴシックたる所以を明確にしようとしていく。そして、最もゴシック精神を表すものとして「荒々しさ」を挙げています。そして、ラスキンはいいます、

なるほど北方の建築は荒削りで粗野である。それは確かにその通りなのであるが、だからと言ってそれを断罪し軽蔑すべきだというのは正しくない。全くそれと逆で、まさしくこの特徴があるからこそ、その建築はわれわれが深い敬意を表するに値するものなのだと私は信じる。

前掲書 p23

 ラファエッロの言う、野蛮さ=粗野で荒々しいこと が、逆にゴシック建築の良さだと言っているわけですね。そして、ラスキンのいうゴシック的精神は、以下のようなポイントに続きます。
変わりやすさ、自然主義、グロテスク性、剛直、過剰さ。
荒々しさを最も重要としてこれらのゴシック的特徴(精神)がいくつか組み合わさったものが現れているものをゴシック的精神とする。と・・・そしてこの後形態の話になっていきます。

粗野で荒々しく、変化していくゴシック、対して、贅沢で傲然とした、普遍のローマ・・・

言葉の上での対比ではありますが、ゴシック建築と古典系の建築との対比、なんとなくイメージできたでしょうか。

美しきケルムスコット・プレスと生涯胸に抱いた理想

 

23歳のウィリアム・モリス

 さて、断然、私にとってのモリス像は23歳のこちらのモリスです。この本を若き日の大学生モリスが読んでいたく感銘を受けたわけでした。モリスは晩年に、ケルムスコット・プレスという小さな印刷工房を設立し、ここから自身のまえがきを添えて改めて出版しました。この時の版が、福岡大学に所蔵されているようです。

 左のページにモリスのまえがき、右のページから本文が始まっています。手漉きの紙、活字書体など、中世の写本を元に丁寧に装丁されたかくも美しき本。モリスが亡くなる数年前の出版でしたが、彼は若き日から最期の時まで、変わらずラスキンの言葉を胸に抱いていたのですね。(モリスらしい・・・と勝手に思っています。)

1892年 ケルムスコット・プレス出版 news from nowhere By Southport1639 - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=137472877 モリスが妻と友人と過ごした別荘:ケルムスコット・マナーが描かれています。ここで様々な事件が・・・・

 さて、このケルムスコット・プレスの本はハンドメイドなのが特徴なのですが、それはモリスがラスキンから受けた、ゴシック的精神つまり中世への憧れ=回帰の思想が基盤となっています。中世の手仕事、モリスの言う、仕事(労働)から得られる幸せ=芸術表現、これがモリス生涯のテーマであり、多様な活動の基盤でした。この基盤となるのが、ゴシックの精神、ということになります。

 まえがきにもはっきりとモリスは書いています。

 もうだいぶ昔のことになるが、我々がこれを最初に読んだ時、これから世界が進むべき新たな道を指し示しているように思えたのだった。

前掲書 p6

芸術とは人が労働の中で得る喜びの表現であると言うこと
(中略)
人が「労働」から喜びを得ることが可能であり、それが緊急に必要であることを述べた最初の人物がラスキンでなかったことは私も確かに承知している。
(中略)
だが、この問題を解決する鍵はその後になってラスキンに与えられた

前掲書 p10

 モリスはこの精神を最後まで忘れなかったのでした。これらの活動がやがてアーツ・アンド・クラフツ運動に繋がっていくわけです。つまり手仕事を通しての中世回帰の思想が、新しいデザインの道を切り開いていく一つの道筋を作ったと言っていいと思います。
 かつて友人だったフィリップ・ウェッブや仲間と一緒に作り上げた新婚の自分たちのための建築(赤い家)、数々の名作を残したテキスタイル・デザイン、友人と共に立ち上げ、やがて決裂を経て続け、今でも現存するモリス商会、のちの印刷界においてファイン・プレス運動の原動力となった私家印刷工房としてのケルムスコット・プレスなどの様々な活動を通じてこの「労働」の喜びが芸術表現となることを実践し続けてきたのがモリスの生涯の仕事だったのだと思います。

科学はわれわれに幸福になる方法以外のすべてを教えてくれた。

前掲書 p8

 この端的な一言が、どういうことか、ゴシックの精神と合わせて考えると腹に落ちるような気がします。


 さて、全く触れなかったモリスの裏半分、つまり個人的な人生・・・・波乱に満ちた、友人と奥さんとの裏切られ続けた(?)三角関係など、それを合わせて考えると、もう本当に泣けてくるのですが、仕事人としてのほんの一端を垣間見ることができたでしょうか。モリスについてはまだまだ書くことがありますが、デザインの流れで無視できないこととしてそれをテーマに次回書けたらと思います。

最後にご紹介するのは、大学時代からのモリス生涯の親友エドワード・バーン・ジョーンズの絵です。彼もまた波乱の人生ではありましたが、ケルムスコット・プレスでも挿絵を担当していました。彼の絵を見たくて、大阪の中之島美術館まで足を運びました。ちょうど日本に今年来ていたのですよね。素晴らしかったです。

ゴシック精神のように荒削りな記事になっておりますが、お許しを笑

『廃墟のなかの恋Love Among the Ruins 』1873


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