デザイン史(概論)#09 19世紀のイギリスと風刺雑誌『パンチ』
はじめに(毎度の挨拶)
大学での講義をまとめて不定期に少しずつ記事にしていっています。
専門的になりすぎず、なるべく平素にわかりやすくなるよう、努めていきます。
しかしボリュームがあるため、いつ終わるかわかりません。(汗)
書いているうちに、授業では言えなかかったことも盛り込めることに気づいたので、ゆるゆる進めていきます。
単独でも読めて、小分けにして、読みやすくなるようにしようかなと思います。
前回の記事
こちらの記事は、下の記事の続きになってますが単独で読んでもいただけます。
急激に変わる世界
前回は産業革命における、動力について少し説明しました。
それともう一つは、紡績(ぼうせき)があり、繊維工業も発達したのでした。
機械による大量生産ができるようになると、こんな感じ↓で世界が変化していきました。
都市の汚染と雑誌『パンチ』
都市に人口が流入して、汚染や生活環境の悪化など、ひどい状態になりました。
先のオリンピックで、セーヌ川でのトライアスロンが話題になっていましたが・・・・
当時ロンドンを流れるテムズ川は、ひどい汚染が進んでおり、
1858年の夏、「大悪臭(Great Stink)」という歴史的事件も起こっています。
風刺雑誌『パンチ』
これらの絵が掲載されたのが、風刺雑誌『パンチ』(PUNCH)です。
これは、1841年〜1992年まで刊行されていた、ユーモアの典型として広く愛読されていた雑誌。死神「無言のハイウェイマン」は中でも有名な挿絵です。
創刊号の表紙(掲載できる権限の画像が見つからなかったので、リンクから確認してみてください)を見ると、真ん中に"CHARIVARI" と書いてあります。これは、当時すでにフランスで刊行されていた "Le Charivari" という風刺雑誌にちなんだものです。こちらが本家の表紙↓ 20世紀初め頃には、美術界での作品批評などをしていますね。
ちなみに、風刺というのは、遠回しに相手や社会など対象の悪いところを批判したりすることです。辛辣なものがほとんどで、フランスなどでは、社会風刺というのが文化の一面だと思います。
元々、Charivari というのは、コミュニティ内にいるメンバーの罪などを辱めるための民族風習を言うのだそうです。
不倫や暴力など、不道徳な行為をした人を家から引き引きずり出し、パレードさせたり、それをフライパンや包丁などの道具でチンドン音を出してはやし立てる。容疑者の代わりに人形を用いて最後は溺死させたりと色々な形態があったようです。その時にわざとやかましい音楽を使っていて、こういうものをラフ・ミュージックとも呼んだそうです。
このような社会風刺を盛り込んだ雑誌『パンチ』は、1992年という長きにわたり、発行されました。それだけ人気だったのですね。
ちなみに、現在、すべての画像がデジタルアーカイブされているようです。
デジタルアーカイブでも見られるようですが(有料?)、日本では岩波書店から文庫本なども出ています。
この『パンチ』の絵を見ていると、本当に味わい深いですよね。単純に見ていて飽きない、面白いです。
この雑誌は創刊当初は記事の文章そのものも重視されていたようですが、時代が経つにつれ、その風刺画が主要な位置を占めていきます。
上記の書籍によれば、1843年7月以降、つまり創刊からわずか2年後、1ページ大の風刺画を、「カートゥーン」(cartoon)と名付けたことから風刺雑誌としての性格を深めていった、とあります。
この「カートゥーン」が英語圏における「漫画」の元になっていきます。
さて、次回はフランスでの漫画(バンデシネ)の元にもなった、産業革命時の絵を取り上げていけたらと思います。
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