デザイン史(概論)#12 歴史主義と装飾の氾濫
はじめに
以前担当していた、大学での講義をまとめて不定期に少しずつ記事にしていっているつもりが、色々寄り道したりしながらぶらぶら書いていく記事になっています。本流としてはデザイン史、デザイン概論、ということで続けていきます。なるべく分かりやすいように、平素に、小分けに書いていくつもりです。よろしくお願いします。今担当している建築史の記事はいつになることやら・・・
前回の記事
こちらの記事は、下の記事の続きになってますが単独で読んでもいただけます。
ゴシック・リヴァイヴァル
デザイン史ではほとんど出てこないのですが、実は現象を理解するのに重要な美術史的、建築史的背景に少し(再度)触れておきます。
18世紀のフランス革命期ののち、恐怖政治の時代には、多くの中世のキリスト教の教会堂が破壊されました。これはヴァンダリズムと呼ばれています。意味は、公共・私的な財産を故意に破壊することを指します。語源は、西ローマ帝国を侵略し、ローマ市を破壊したゲルマン系の民族であるヴァンダル人から来ています。
そもそも、中世の教会堂、つまりゴシック建築はルネサンス以降、野蛮なものとされてきました。しかし、ロマン主義などでゴシックが見直され始め、また先のヴァンダリズムへの反省などから、徐々にゴシックを見直す動きが出てきます。
これが、ゴシック・リヴァイヴァルです。
そして、この反省が、中世の建築に、歴史的・文化的な価値を見出すことに繋がります。
のちに出てきますが、デザインの父と言われたウィリアム・モリスが猛烈に慕っていたジョン・ラスキンは、19世紀の半ばに、ゴシックを賞賛する本(『建築の七燈』、『ヴェネツィアの石』)を出版しました。ラスキンはイギリス人ですが、フランス、ドイツ、イタリアは、もともとフランク王国、つまりゲルマン系の国がルーツになっていますので、このゲルマン系の国では、ゴシックこそが自分たちのアイデンティティを表しているのだという考えがこの時代に定着してきます。
ゴシック・リヴァイヴァルが起こったことにより、様式にある大きな変化が生じます。
様式の相対化
様式(スタイル)というのは、ある固有の時代、ある固有の地域のすべての美術作品に見られる造形的特徴を指しています。ですので、通常は、一つの時代には一つの様式、ということになります。しかしここで、ゴシック・リヴァイヴァルが起こったことにより、古典主義的な造形が良しとされている時代にあって、ゴシック様式というものが同時に出てくることになりました。
つまり、ここで様式の価値というものが相対化されたのです。
ひとたび様式の価値が相対化されると、ゴシック以外のあらゆる様式が利用可能になりました。
これが、19世紀の最大の特徴のひとつであって、その後のデザインにも大きく関わってくるのです。
新しい建築タイプ、新しい製品に形を与える
産業革命で激変した世界には、当然それまで存在しなかった建築物(新しい建築タイプ)や製品が出現しました。例えばそれは、駅舎、大学、工場、博物館・美術館、議会、裁判所、警察署・・・などなどです。
それらの新しい建築や製品を設計する際にデザイナーが考えることは当然、それらのデザインに必然性を持たせたい、ということですよね。それがこの時代の大きな課題となりました。
そこに登場したきたのが、歴史主義です。
歴史主義の氾濫
先に説明したような様式の相対化、国のアイデンティティの重要視(国の伝統・歴史を重んじる)、新しい建築や製品にデザインの必然性を持たせること・・・などから、これらの外見が、過去の歴史様式によって形作られることになりました。
もちろんそれはデタラメに引用されたのではなく、それらしい形
例えば、大学=アカデミック=修道院のイメージからゴシック
劇場=華やかさ=バロック
など、それぞれのイメージに合ったものが引用されました。
建築においてそのような様式の引用が起こり、また新しい産業製品に対しても、同じような様式の引用が見られました。
産業資産家としてのブルジョワジーの台頭
中世のフランスでは、商工業を生業としている者を、農民でも貴族でもない、ブルジョワジーと呼びました。これが語源ですが、産業革命以後、様々な産業が発達する中、産業資本家が現れる。裕福な彼らは貴族に代わって新たな支配階級となりました。そして、ブルジョワジーは、彼らを指す語となったのです。
ブルジョワジーが好んだ歴史主義
さて、このブルジョワジーという若い資産階級の世代の彼らが好んだのは、より豪華な家具などでした。
このブルジョワジーの豪華主義と、歴史主義の引用が重なり、結果として、新しい製品は、その機能とは関係なく、歴史的な装飾で覆われたものが出回ります。
例えば、電話は新しく出現した製品でしたが、こんな感じ。
こちらは「オウムガイ」と呼ばれた便器。
生活用品の様々に、このような過剰な装飾が施されました。
裕福になった市民階級の人々は、このような貴族的な装飾を生活にふんだんに取り入れることで、体面を保つようになっていきました。つまりは見栄の様式ということでしょうか。
ビクトリアン・スタイル
それがイギリスでは、ビクトリア朝時代に顕著になりました。これが今でも知られるビクトリアン・スタイルです。
技術的な形は無趣味とみなされたこの時代、製品や家具には過剰な装飾が施され、異国から輸入した重々しく濃い色の木材を使うなどしました。
このことは歴史上では、過剰な装飾、有用性とは無関係の形、無用な堅牢性・・・といったふうに、しばしば攻撃される対象となっています。
とはいえ、今でもビクトリアンスタイルの家具などは一部では人気でもあり、近年また復興しつつある装飾的な気分の中でも好きな人は多いのではないでしょうか。
以下は、載せていいかわかりませんでしたが、現在販売されているビクトリアンスタイルのベッドです。
天蓋付きのベッドに憧れる人もいますよね。
先ほども書きましたが、これが、非常な反動を生みまして、この後の大きな改革運動へとつながっていくのです。