デザイン史(概論)#03 近代デザインの源流(2)ウエッジウッド、トーマス・シェラトンの見本帳
はじめに(毎度の挨拶)
これは、大学での講義をまとめて不定期に少しずつ記事にしていっています。
専門的になりすぎず、なるべく平素にわかりやすくなるよう、努めていきます。
しかしボリュームがあるため、いつ終わるかわかりません。(汗)
単独でも読めて、小分けにして、読みやすくなるようにしようかなと思います。
前回の記事
こちらの記事は、一応、下の記事の続きになってますが単独で読んでもいただけます。
背景
「デザイン」という頭脳労働が分離する
18世紀末〜19世紀にかけて手仕事が産業へと移行していきました。
この時、手仕事や機械の労働から、頭脳的労働が分離してきます。頭脳的労働とは、まさに、「デザイン」のこと。
労働の中から、デザインという仕事が分離され、「デザインするという仕事」がここに生まれたわけです。
この時代、すでに、手本帳・見本帳というものが、商品の注文を得るために発行されました。
そして、大量に注文がある、いわば人気商品が定番化して、在庫用の家具なども作られるようになりました。
それらは、販売カタログを通して売られたのです。
つまり、デザインというものが独立した労働になり、生産だけでなく、「販売」ということを重視していたことになりますね。
先駆けのイギリスと先駆的な製造業:ウエッジウッド
産業革命がイギリスで起こり、他国に50年ほどリードしていたと言われています。この時、先駆的な製造業が起こっています。
一つは「ウエッジウッド製陶所」です!1759年にジョサイア・ウエッジウッド1世によって創業したブランドです。
もちろんご存知の方も多いですよね。
ウエッジウッドと言えば、ジャスパーウェアと言われるコレクションではないでしょうか。イギリスらしいブルーに白いレリーフの美しい装飾が施されたシリーズで、これは創始者が研究を繰り返して、1775年に世に送り出されたデザインです。今でも大人気ですよね(昔、友人の母親がウエッジウッドを集めていました)
それからもっとカジュアルな雰囲気で人気なのは、ワイルドストロベリーのシリーズでしょうか。これは殿堂入りしているデザインのようですね。時々カフェ(というか、ティーラウンジ)などでも見かけます。
今現在でも主流であるウエッジウッドがデザイン史の初期の潮流の中に生まれていたとは、意外と知らない人も多いのではないでしょうか。
ウエッジウッドは、貴族の使う食器類に限らず、大量需要に早くから対応していました。そして、タフな使い方(急な温度変化など)、安価で新しいデザイン、製造が容易 という三つの特徴を備えた製品を生み出しそれがヒットとなったのです。
イギリスの家具 三大家具デザイナーの一人トーマス・シェラトン
家具の分野では、トーマス・チッペンデールとトーマス・シェラトン という二人のトーマスと、ジョージ・ヘップルホワイトが主要なデザイナーです。
順番的には、チッペンデール、ヘップルホワイト、シェラトン という順です。
この中でシェラトンは先の二人の影響を受けたと言われています。
二人のトーマスが家具製作所を設立したと言われることもあるようですが、シェラトンは自身の製作所を持っていたわけではないというのが事実のようです。彼は聖職者でもあり、研究者でもあり、教師でもあり、デザイナーで、大きな会社は持っておらず、生涯貧乏であったそうです。
彼は亡くなる数年前から、"The Cabinet Maker and Upholsterer's Drawing Book" のシリーズを1791年ごろから出版していす。
(今でもAmazonで買うこともできますし、ここで全ページを閲覧することもできます。)
出版の目的は、家具のデザインの紹介と製造方法などの具体的な知識と書かれていますね。販売目的ではなかったと。(下記は中表紙の部分をgoogle翻訳してみたものです。)
下記は、目次の一部です。
これをみてわかるように、前半部分は特に幾何学立体、あるいは図法幾何学(今でいう図学=製図の基本技術)などにページをかなり割いていることがわかります。
そしてその後に、家具のデザインなどが図示されています。
これらの家具デザインは、その後のヨーロッパで大きな影響を与えることになりました。シェラトン様式 というふうに今では呼ばれる英国アンティークのスタイルとして現在でも一定の人気があります。
細い部材と装飾的ではありつつも、どこか真面目さを感じさせるバランスの取れた品のあるデザインですね。
このようなイギリスの先駆けがその後、ヨーロッパに広がっていくことになり、デザイン教育なども始まってきます。