若者がリスクを取れないのは、若者のせいじゃない
最近の大人、そしてメディアでも頻繁に言われていることがある。それは若者が「リスクを取らない」とのことである。
そして、そのことから、社会のあらゆる問題を大人たちは若者に押し付けている。お金がかかるがゆえに若者が結婚せずに、また子供を作らないことがあたかも少子高齢化を加速させていると揶揄する。また、大人たちは日本の経済の低迷の一因としても、若者のリスクをとらない姿勢が関係していると主張する。
確かに、若者がリスクを取らないのは事実かもしれない。そして、高度成長期を経験した大人世代からしたら、なぜ自分たちのように積極的にリスクを取る姿勢を見せないかが疑問であろう。
しかし、若者の安定志向を批判する人たちは、どうして若者がそのような傾向を見せ始めたかが分かっていない。いや、知っているが、現実から目を逸らしているだけかもしれない。なぜなら、私たち、若者が生きている日本社会を作ったのは今の大人世代であり、若者がリスクを取れなくなったのは彼らの世代のせいである。大人世代は灯台下暗しで自分たちが問題の元凶であることに気づいていないのである。
何も考えずに生きていた大人たち
だが、大人世代がそれに気づいていないのは仕方ないのかもしれない。なぜなら、彼らが若い時の日本は何も考えなくても社会が豊かになっていく時代であったからだ。
まず、1940年代後半から1980年代後半にかけて、日本は輸出面で圧倒的に有利だった。現在は国際情勢の変化や市場の活動の度合いによって、通貨の価値が変動し、輸出入に影響を与える変動為替相場制であるが、日本が輸出で他国を圧倒していた時期は固定為替相場制が取られていた。固定為替相場制の下では通貨の価値は一定である。そのため、固定為替相場制の下で1ドルは360円に固定され、日本の輸出品が飛ぶように売れた。そして、日本があまりにも輸出面で成功したが故に、通貨の価値が高く、輸出に不利な環境に直面しているアメリカなどが反発し、1973年に変動為替相場制への移行がなされた。
日本の焼野原から世界第二位の経済大国に上り詰めたというサクセスストーリーは日本を取り巻く国際環境、特に国際的な金融システムが日本に有利に働いていたことが大きく作用している。
しかし、大人たちはあたかも日本人の努力が高度成長を実現したのかごとく思っており、私たち若者も同じように努力をすれば自分たちと同じように豊かになれると思っている。しかし、残念ながら若者がこれから突入する世界は、大人たちが馴染んでいた世界と全く違うものである。違う言葉で言い表すと、若者は大人たちとは違うゲームを戦っているのである。そして、大人たちは急激に変化した環境に適応できず、若者に負の遺産を残そうとしている。
収縮していく日本経済、何をしていいか分からない大人たち
負の遺産のひとつが約30年続くデフレである。1945年からバブル崩壊まで日本は長らくインフレの状態にあった。インフレとは物価が複数年連続で上がっていくことを言う。しかし、バブルが崩壊したことで、大人たちは戦後初めての深刻なデフレに直面した。デフレとは物価が継続して下落していくことを言う。そして、その状態が約30年続いているのが今の日本経済の実態である。
このデフレという状態に対処するためには、政府、日銀が国民に向けて物価が上がるというシグナルを発信し続けないといけない。もし、物価が上がるとなれば、今モノやサービスを買う方が得だという思考が働くため、消費が刺激され、結果的に企業が儲かることに繋がり、個人の所得が上がるという循環が生まれる。一方で、物価これから下がっていくとなれば、モノやサビースを安く買えるようになる時期まで国民は消費行動を控えた方が良いと思うため、消費は低迷し、よって企業の業績は悪化し、最悪の場合はリストラや倒産を余儀なくされる会社も出てくる。
最近、退陣を表明した安倍総理は日銀と共に物価上昇率2%を達成すると宣言したり、市場にお金を大量に流入させることで株価を上昇させるなどといったことを通じて、長らく続くデフレから日本を脱却させるためのシグナルを送っていた。二度の消費税増税の影響もあってデフレからの脱却は未完全に終わったが、「異次元」と評された金融緩和を行っても未だデフレから脱却できていないのは異常である。また、驚くことに日本のデフレ問題に安倍総理が取り組むまで、日本の政治家たちは誰もその問題に対して真剣に取り組もうとしなかった。その結果が30年間続くデフレである。そして、そんな泥沼に日本経済を陥れたのは、変化に気づかない大人たちの代表である、政治家たちのせいである。
過去の成功体験に引きずられて、現実に適応する姿勢を見せなかったことのツケが若者に回っている。
将来、自分の給料が上がらない、逆に下がる可能性があるのに、高い買い物をすることは合理的な人間からすれば自殺行為である。
若者は怒れ!
上記で述べたように、大人たちはあらゆる問題は若者のせいにし、若者の消極的な姿勢が問題の解決を阻んでいると指摘する。
しかし、冷静に考えて、今の社会で「リスク」を取ることが果たして賢明か?答えは明確である。否である。自分の親より豊かな生活を送ることでさえ怪しい。
日本にとって都合が良い時代は終わったのである。そして、国際的競争力が無い日本の企業の重役たち、過去の亡霊に取りつかれている政治家たちが若者の首を絞めている。だが、日本の若者の死因第一位が自殺、G7の中でも日本の若者の自殺率が比較的高いことを考えると、首を絞めているという表現をだいぶ抑えた表現であることが分かる。
そんな状況に追い込まれた若者は怒って当然である。大人たちが全く若者の現状を気に留めない以上、若者の手で「リスク」が取れる社会を作る必要がある。そして、その社会を実現させるための手段として、若者の給料を上げる積極的な金融、財政政策、生活の質の向上を図るベーシックインカムの導入などといった、様々なものが考えられる。
だが、大人たちに私に気づいてもらわない限りは、そのような政策が実行に移されるはずが無い。それゆえ、何らかの形で私たちの怒りを発信していかなければならない。SNS、集会、政治参加などがそれにあたるであろう。
そして、それらの媒体を通じて、すぐにでも若者は自分たちを追いつめた元凶らを意思決定の場から引きずりおろさなければならない。「リスク」の取れる、希望に満ちた社会の実現は私たち若者の主体性次第である。
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