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「天上の礼拝」(自作曲)のX投稿、YouTube投稿と楽譜

 写真は、2025年1月2に釧路市の幣舞橋近くで撮影した朝日です。
 けあらしが立ち込めていました。

 今回は、「天上の礼拝」(自作曲)を自分で歌い、stand.fmとX、及びYouTubeに投稿しました。歌詞は、聖書新改訳第三版新約聖書ヨハネの黙示録4:8及び5:12です。なお、stand.fmとYouTubeの録音は別テイクです。

歌詞となった聖書を引用します。

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。」

聖書新改訳第二版 ヨハネの黙示録4:8 

「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」

聖書新改訳第三版 ヨハネの黙示録5:12

 と、ここまで書いてきて、新改訳の第三版と第二版では、微妙な違いがあることを発見してしまいました・・・

新改訳第三版では黙4:8は、以下のとおりでした。

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に来られる方。」

聖書新改訳第三版 ヨハネの黙示録4:8

いまし」(第三版)「常にいまし」(第二版)・・・
今頃気付いてしまいましたが、ここだけでしたので、stand.fm、YouTube等の表記はそのままとし、楽譜上で訂正いたしました。

ちなみに、他の訳も一応紹介しておきます。

「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。
昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」
「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。」

聖書新改訳2017 ヨハネの黙示録4:8、5:12
小羊」ではなく「子羊」の表記は新改訳2017だけ。

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな
全能者である神、主。
かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
「屠られた小羊こそ、力、富、知恵、権威、誉れ、栄光、そして賛美を
受けるにふさわしい方です。」

聖書協会共同訳 ヨハネの黙示録4:8、5:12

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を
受けるにふさわしい方です。」

聖書新共同訳 ヨハネの黙示録4:8、5:12 

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主。全能の神。昔いまし、今いまし、そしてやがて来られる御方は。」
「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい御方です。」

エマオ出版訳 ヨハネの黙示録4:8、5:12 

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、神なる主、万物の支配者、
かつておられ、今もおられ、やがて来られる方。」
「屠られた小羊は、力と富、知恵と剛毅、誉れと栄光と賛美を
受けるにふさわしい方」。

フランシスコ会聖書研究所訳 ヨハネの黙示録4:8、5:12

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。
昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」。
「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。

口語訳聖書 ヨハネの黙示録4:8、5:12

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、主、全能者なる神、かつて在(いま)し、現在も在し、またこれから来る者」。
「屠られた小羊は、力、富、知恵、強さ、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしきお方」。

新約聖書翻訳委員会訳(岩波書店 2004)ヨハネの黙示録4:8、5:12

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、かつて在り、今もあり、後に来られるお方、主なる神、全能者」
「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢力と、誉れと、光栄と、賞賛受けるのにふさわしいお方である」

聖書バルバロ訳(講談社)ヨハネの黙示録4:8、5:12

聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、主なる神、全能者、(昔)在り給いし者、(今)在り給う者、(後に)来たり給うべき者!
屠られ給うた仔羊こそ、権能(ちから)と富と知恵と権力と栄光(ほまれ)と栄光と讃美とを受くるに相応(ふさ)いたもう。

塚本虎二訳新約聖書 ヨハネの黙示録4:8、5:12

こう調べていくと、引用しなかった文語訳も含めて、「常に」と訳されているのは、手持ちの聖書では新改訳第二版だけだとわかりました。
確かに、歌にすると「今いまし」は「いまいまし(い)」(忌々しい)と聞こえてしまいそうです・・・

 さて、新改訳第三版(「常に」だけ第二版)テキストを以下のように編集し、つなげて歌詞としました。
( )内はテキスト内の言葉からの追加、または私が追加した言葉です。

聖なるかな 聖なるかな 聖なるかな
神であられる主 万物の支配者
昔いまし 常にいまし 後にこられる方
(聖なるかな 聖なるかな 聖なるかな)
ほふられた小羊は 
力と富と知恵と 勢いと誉れと
栄光と 賛美を 
受けるにふさわしい方です。
(アーメン アーメン)

この曲が与えられたのは、30年近く前だと思います。
新改訳聖書の該当箇所を読んでいた時に浮かんできました。
最初、「聖なるかな」のメロディは、「冠を投げ捨てて」(黙4:10)と聞こえてきました・・・
タイトルの「天上の礼拝」は、聖書中にない言葉ですが、新共同訳等では、4章の見出しに「天上の礼拝」と書いてあります。

 この世界を、一つの「映画」だとすれば、私たちの「映画」の結末は、既に決まっています。それは、キリストの勝利と、「新しい天と新しい地」(ヨハネの黙示録21:1)が到来し、「神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼ら(キリストを信じる者たち)の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」(ヨハネの黙示録21:3~4新共同訳)という聖書の約束が実現するのです!
つまり、信じる者にとっては、ハッピーエンドな結末が待っています。
今がどんなにスリリングな展開の最中であっても・・・

 今見える世界が、どれほど悪や困難に満ちた「夜」であっても、
必ず、「夜」の後には「夜明け」があり、「朝」が来るのです。
キリストを信じる私たちは、「夜」の世界にあって、
「夜明け」を宣言し、「朝」を先取りしています。
だからこそ、主をたたえずにはおられないのです!
「(主は)泣きながら夜を過ごす人にも
喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。

(旧約聖書 詩編30:6新共同訳)

楽譜を公開します。


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てんてん《TenTen》
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