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「荒れ野よ、荒れ地よ」(自作曲)のX投稿と楽譜
今回は、「荒れ野よ、荒れ地よ」(自作曲)を自分で歌い、fm.standとXに投稿しました。歌詞は、聖書新共同訳旧約聖書イザヤ書35:1~2です。
「荒れ野よ、荒れ地よ 」※自作曲
— てんてん🎵《TenTen》🎶❤️ (@francesco1192) December 1, 2024
聖書新共同訳イザヤ書35:1〜2を歌にして、自分で歌いました。 https://t.co/KLZoks3331
歌詞となった聖書を引用します。
荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ
砂漠よ、喜び、花を咲かせよ
野ばらの花を一面に咲かせよ。
花を咲かせ
大いに喜んで、声をあげよ。
砂漠はレバノンの栄光を与えられ
カルメルとシャロンの輝きに飾られる。
人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。
2024年12月1日から、待降節(アドベント)が始まりました。
2024年12月はイザヤ書からの作品を紹介する予定です。
(変更があったらごめんなさい・・・)
イザヤ書の35章は、イザヤ書前半部分のクライマックスといえる箇所です。(聖書学者の定説で言えば、第1イザヤ、第2イザヤ、第3イザヤと区別するのでしょうが・・・私にとっては、イザヤが何人いようとあまり関係のない話です。)
砂漠の中にあるオアシスのようなところ、とも言えます。
ここの解釈は、当然いろいろ考えられます。
一般的なのは、比喩的な解釈です。
「荒れ野」も「荒れ地」も、「砂漠」も、心の状態とみます。キリストが私たちの心に住まわれるまでは、まさに、心の中は、「荒れ野」や「荒れ地」、「砂漠」だったかもしれません。
しかし、キリストとともにある生活によって、そこが、「花」が咲き乱れるようなところになりました。
ヨハネ福音書2章に、水がぶどう酒になる奇蹟がありますが、その奇蹟も、「砂漠に花が咲く」のと同じ、内面における奇蹟、ととらえていいと思います。
もう一つの解釈は、まさに実際的な解釈です。
100年以上前の、今のイスラエルの土地は、荒涼とした荒れ野でしかありませんでした。不毛の土地が、今や、聖書に書かれているとおり、
砂漠に花が咲き、農作物が実る土地となりました。
聖書の預言が、本当に、文字通り成就しつつある・・・イスラエル支援団体の人が、こう指摘しています。
これも、私にとっては、感動的な解釈です。
聖書には昔の話が書かれているだけ、なのではなく、まさに、今もその預言が日々成就しつつある、私はそう思っています。
作品の話に戻ります。
この作品もいつ頃作ったかは忘れました。
20年以上も前あたりでしょうか。
楽譜を公開します。
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