コミュニケーションとパートナー探し
突然ですけど、私は関西が好きです(特に奈良)。
奈良に限定して理由を述べると、寺社仏閣や遺跡が多いとか、いにしえの時代から宇宙と交信してたっぽい場所が多いとか、自然が豊かで鹿ともおしゃべりできるとかですが、全般的に関西人の雰囲気が好きです。
もちろん関西人にもいろんな人がいて、一派ひとからげには出来ないことは重々承知ですけども、総じて関西の人は関東以北人よりも、アウトゴーイングで話好きだと思う。あ、違う?京阪神エリアだけ?
関西の人って、知らない人同士でもすぐしゃべるよね?
なんでですかね。関西は貴族文化で、関東は武士文化という差があるのかな?
ヨーロッパや北米もそういう人が多いよね。
私はいろんな人と話すのが好きなので、知らない者同士の会話が自然発生的に起こる地域にいると、居心地よく感じます。
そう、知らない人ともしゃべるって大事だと思うんですよね。
一期一会の人ともラフに言葉を交わしていると、人間関係の距離感とか、価値観が合わない部分をうまーく避けながら調和を保つやり方などが、自然につかめるようになる。
以前、仕事でマレーシアに行った際、ホテルのスタッフの人たちが、上手に宗教的な相違点を避けながら、クリスマスシーズンの過ごし方について話しているのを聞き、感心したことがありました。
多民族国家のマレーシアにはイスラム教徒、キリスト教徒、仏教徒、ヒンドゥー教徒、儒教徒など、宗教的にも多種多様な人がいます。相反する教義もあるため「うちの宗教が正しい」などと言いだせば、あっという間に地雷を踏み、人間関係が立ち行かなくなるようです。
だから職場でも、お互いの宗教的習慣を尊重しつつ深入りしない「全部は分かり合えない人とムリなく調和するスキル」が大事で、それができないとチャンスさえ掴めないのだとか。
日本でもこれからそういうスキルが大事になると思うんですよねー。
『風の時代』がそういう時代だということもあるし、中長期的に見れば、日本に越してくる海外の人が増えるだけでなく、日本国内の人の移動も増えるはず。少子高齢化と共に地域格差が開けば、よりより教育や生活環境、チャンスを求めて移動する人が増えるでしょうから。
ほぼ単一民族と言われる日本人も、けっこう価値観や文化の地域差はあるので、これから「ローカル社会の多様化」が地味に進むと思います。
そして、多様化を拒むエリアは、循環や新陳代謝が起きなくなり、エリアとして没落していくんじゃないかなと。
マレーシアって、日本から見るとあまり存在感がないかもしれませんが、多様性という意味ではとても成熟していて大人な国だと思います。
それはそうと今日、なんでこの話を書いているかというと、「何でも話せる恋人が欲しい」という方の話を聞いていて、彼女が欲しているのはパートナーよりも「誰とでも気楽に気負いなくおしゃべりできる自分」だと思ったからです。
本人が望むように、何でも話せて何でも聞いてくれて、自分を全部受け止めてくれて自分を絶対失望させない異性を求めていけば、たぶん失望を経験するでしょう。そんな都合のよい異性はいないというか、それはほぼ「男版お母さん」。有料サービスの世界の住人だと思うのです。
そんな砂浜に埋もれた0.01ctのダイヤモンドを望むよりも、欠点がすこーし見えてたとしても、ひとまず共感しあえたり、笑いあえたりする人は「これはこれで楽しい。付き合うかどうかはまだ分かんないけど」と思っていく方が、パートナーと出会える確率はずっと上がる気がします。