意識高い系時代
私が一番勉強したのは30代でグラフィックス業界に転じてからだ。
決して若くなく、技術もない、実務経験もない状態で飛び込んだので、その後は技術の習得に毎日貪欲に取り組んだ。社外の無料・有料のセミナーにも積極的に参加し、週末は専門のスクールにも通った。
こうした取り組みで狭い業界内ではあるが次第に認知してもらえるまでになった。
この経験で学ぶことの楽しさを知り、38歳で大学に入学する。それまでは高卒という学歴のために理不尽な扱いを受けたり辛酸を嘗めて来た。激しい学歴コンプレックスもあった。これを解消したかった。
月曜日から金曜日は働き、土日祝日は学校へ行き、朝から夜まで授業を受けた。授業のない休日は大学の図書館に行き参考文献を読み漁る。
この頃、新聞は日経4紙を購読していた。本紙と呼ばれる日本経済新聞、日経MJ(日経流通新聞)、日経産業新聞、日経金融新聞(今の日経ヴェリタス)。日経ビジネスも定期購読した。
テレビジョンはテレビ東京の経済ニュースを録画して見た。寝る前はWBSを当時の看板キャスター小谷真生子さんのようになりたいと思いながら見た。
大学も無事に4年で卒業出来た。仲間たちは実力がありながら学歴が無いために不遇な会社員生活を送っている人が多かったので、さらに上の学びのためにMBA(経営学修士号)の学位を取るために大学院に進学した人が多かった。同期には大工から大学の准教授になった人や有名メイクアップアーティストから自らのブランドを立ち上げて大成功した人もいる。私も大学院には行きたかったが、資金が許さなかった。
こうして42歳で大卒社会人となり、人生が変わった。やっと一人前の人間として存在することが許された。
学歴なんていらない、と言う人がいるがあれは嘘だ。そう言うのは例外なく高学歴の人だ。実際は学歴は必要だし、学力も必要だ。これは会社という組織に入らず、起業するにしても同じだ。学歴が無いと顧客からの信用は得られない。人はどうしても学歴という色眼鏡で見てしまう。
大学を卒業して14年が経った。残念ながら今の私は意識高い系を卒業した。意識低い系ならまだいいが、意識無い系にまで堕落してしまった。
でも、人生の中で真剣に学んだ時期があることはプラスになっている。視野は広がったし、文献を読めるようになった。文章を書くのも苦ではない。プレゼンテーションも出来るようになった。
今は新聞は購読していない。経済番組も見ない。それでもいいと思っている。
今の私は、映像の世界にもう一度挑戦するために学んでいる。これがうまく行けば、人生の最終章をまとめ上げることが出来、いい人生だったと言って死ねるに違いない。