ボタンのかけ違い
済んだことを後悔しても仕方がないが、私の人生はボタンのかけ違いばかりだった。
映画界を目指していたが家庭の事情で映画学科には進学できず就職した。そこで高卒の学歴ではいくらがんばっても上にいけないという現実を知る。
21歳の時に映画学校に行く決心をして今村昌平が作った横浜放送映画専門学院(今の日本映画大学)に願書を書いた。そのまま提出していればもしかすると人生を踏み外さずに済んだかもしれないが、気が変わって金子正次、川島透、TARAKOの出身校である東京映像芸術学院(現在は廃校)に進路変更した。これが失敗だった。学校とは名ばかりでレベルが低かった。
アメリカの映画大学に行こうと思った。そのためには資金がいる。株で稼ぐか競馬で稼ぐか迷って競馬を選んだ。時はまさにバブルの入り口。株を選んでいたら夢は叶ったかもしれないが競馬を選んだために映画大学を3回卒業できるくらいの負けが残った。
仕方がないのでフリーの脚本家になったが、映像化された作品は1本もなかった。
やがてうつ病になり脚本家も廃業して恋人に食べさせてもらうことになるが、その人はアニメーターの仕事では私を養えず転職をした。ひとりの夢追い人の人生を破壊した。そして悲しい別れ。
なんとか病気と折り合いをつけて仕事に行くようになるが、次に出会った恋人とは11年のうち9年同棲したが、再び悲しい別れを経験する。
全てが私が至らなかったためだ。
私は先物取引である程度のお金を作り、ある夢を実現させて今に至る。
だがこの数年はうつ病だけではなく、心房細動や糖尿病などとの戦いも始まった。
人生に「もし」はないが、もし最初の意思決定の場面でボタンをかけ違わなければアニメーター志望の恋人とは出会わず、その人は夢を叶えていたかもしれない。少なくとも私と出会わなかったことにより不幸になることはなかった。
人生は選択の連続。常にそれを間違ってしまう人生を私は呪ったが、全て私が悪いのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?