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私のコンピュータ、二転三転

コンピュータとの出会いは中学3年の時だ。
大型家電量販店にTK-80やAppleⅡ、MZ80そしてベーシックマスターといった初期の家庭用コンピュータが展示されていて、少年たちがカセットテープに収録されたプログラムをロードしてゲームを楽しんでいた。
当時はまだマイコンと呼ばれていた時代。後にパーコンになり、パソコンと呼ばれるようになる。

私は勉強が出来なかったので、下から2番めの工業高校に進学した。一番下は農業高校だった。本当は自宅近くの商業高校に進学したかったが、その実力はなかった。
高校は情報科に入学した。ここで本格的にコンピュータと向き合うことになる。

学校にはOKITAC 4500Cというコンピュータがあった。分類上はミニコンピュータだが周辺機器を含めると、1部屋分を占領する大きなコンピュータだった。隣には端末室がある。今のようにモニタでなく、紙に印字をする。プログラムは紙テープで入出力をする。
情報科ではFORTRAN、COBOL、アセンブラを習得した。ソフトウェアだけではなく、ハードウェアも必修で論理回路などを学んだ。後に電子工作をする基盤はここで養われた。

卒業後、コンピュータの仕事を任せるという大阪の写真用品専門の商社に入社するが、いざ入社してみるとその仕事は任せてもらえなくなり、すぐに退職。
翌年、日立製作所に5次下請けのプログラマとして働き始める。中間搾取がひどい会社だったので、朝から深夜まで死ぬほど働いて月給が12万円程度だった。
ここで使ったのがHITACとうメインフレーム。ただ、操作は専門のオペレータが行っていた。マシンタイムは毎日3時間あったが、私は同僚たちが何をやっているのか理解できなかった。

数学的思考ができない私はプログラマに限界を感じて退職した。その後、コンピュータとは関わらないように生きてきたが、競馬の予想にコンピュータが使えることに気づき、借金をして初めてのパソコンを買った。Windows3.1の時代だ。
競馬予想のために統計学を学び、重回帰分析を用いて少しは成果を上げた。

ちょうどその頃、パソコン通信のNIFTY-Serveに入会して競馬文化フォーラムと乗馬フォーラムで多くの友人を作る。
インターネットへの参入も比較的早かった。競馬と乗馬のホームページを作り、雑誌にしばしば取り上げられた。

転機が来るのはグラフィックス業界に転じてから。そこではMacintoshが業界標準だったので、私もMacを買った。
まだスティーブ・ジョブズは信者以外は注目していない時代。彼のプレゼンテーションを真似て、後に社会人として入学する大学のプレゼンテーション大会で優勝した。

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コンピュータも安くなり、たくさんの機種に乗り換えた。ずっとMac信者だったが、去年から再びWindowsに戻った。理由はすでにスティーブはいないし、第一Macはカネがかかる。

中学3年で出会ったコンピュータから40年以上経過した。コンピュータのおかげで仕事に就くことが出来、友だちも増え、恋人とも出会えた。そう思うと、ラッキーな人生だったと言える。

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