見出し画像

キーストン涙の物語

この週末は府中の東京競馬場で東京優駿(G1)が行われる。
世間的には、日本ダービーとして知られているが、私は正式名称が好きだ。

第一回の日本ダービーは、昭和7年に目黒競馬場で「東京優駿大競走」として行われた。優勝馬はワカタカ。優勝賞金は1万円。
目黒競馬場では第二回まで行われ、その後は府中の東京競馬場に移って行われている。
今年の優勝賞金は2億円。国内では3番目の高額賞金だ。

皐月賞は最も速い馬が、ダービーでは最も運の強い馬が、そして菊花賞は最も強い馬が勝つとされている。しかし、ダービーを勝ったために運を使い果たし、その後悲惨な運命をたどる人馬もいる。アイネスフウジンでダービーを勝った馬主は、その後自ら生命を絶った。オペックホースは、ダービーを勝ったあと、32連敗で失意のうちに引退した。今は調教師になった柴田政人はダービーの後、落馬事故で騎手の道が断たれた。

もう一頭、どうしても書きたい馬がいる。キーストンだ。彼は、1962年に生まれ、1965年にダービーを勝った。彼が死ぬのは、1967年の12月。4連勝で臨んだ阪神大賞典。当然、1番人気に推された。
逃げたキーストンは楽な手応えで直線に入った。誰の目にも目前に迫った勝利は確実だった。しかし、ゴール前300mのところで故障を発生。彼は前のめりにバランスを崩し、落馬した騎手は頭を強打して意識を失った。
競馬場にいる人も、テレビで観戦している人もいるただならぬことが起こったことがわかった。
彼は、折れている左前脚を浮かせ、意識を失っている騎手の元へと歩いて行った。激痛で苦しみながら。彼は、キーストンは、騎手の顔に鼻先を近づけて起こそうとした。
一瞬意識が戻った騎手は、泣きながらキーストンの頭をなで続けて再び意識を失った。
この様子をテレビの実況アナウンサーは、声を詰まらせながら実況したという。

その後、キーストンは安楽死になる。騎手が意識を回復したのは、キーストンが旅立ったあとだった。
彼もまた、ダービーで運を使い果たしたのかもしれない。

今年東京優駿に出場できる権利を持った馬は約7000頭。その中から選抜された18頭のみがダービー馬になる権利を持っている。
日本で一番甘美な2分20秒のドラマ。競馬には興味がないという方も、ぜひテレビの前で選ばれし馬たちを応援してあげてほしい。ダービーを取るのがすべての競馬人、競馬ファンの夢だから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?