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働き方の思い込みを疑う-木下斉さんのVoicyに学ぶ現実とのギャップ

脱・お花畑思考

昔自分が見聞きしたことをいつまでも疑わずにそれを常識と信じ込んでいると、痛い『オッサン』になってしまいます。

今日の木下斉さんのVoicyで、日本人が国連に対して持っているイメージが、世界の他の国と比べて『お花畑』じみているのでは、という指摘がありました。

日本の学校だと、国連は平和の象徴的な位置づけとして戦後は世界の平和を守るすごい機関です!、みたいな習い方をするケースが多いと思います。平成に学校教育を受けた私もそうでした。

しかし実際は戦後(国連の設立から)80年も経っていて世界の情勢も、国連としての役割も変わっていること、世界は日本ほど国連に対して『リスペクト』のようなものはもはや持っていないと。日本人は国連に対するイメージを戦後まったくアップデートしていないのはマズいのではないか、と木下さんは仰っていました。

この状況を私の好きなキャリアとか働き方の文脈ではどう表現できるのか考えると、昔習ったことや過去の栄光にずっと固執して、現代になってから全くアップデートしていない組織や人に通ずるものがあると考えました。

『過去の事象』に固執する組織・人

ぼろぼろの設備とモチベーション低い先輩方

私は新卒で製造業に入社したため、新人研修の一環として工場拠点へ1か月間通い、製品ごとの生産現場を見て学ぶ期間がありました。

その生産実習自体は研究所とは違う、会社の中をうかがい知る貴重な機会だったと振り返る一方で、悪い意味で印象的だった部分も目にしました。

その当時(2013年)ですでに、かつてから生産量が減っている製品の生産現場を見たときです。私が記憶している限り、生産レーンがその製品用に3つ用意されていましたが、私が見学したときは1つしか稼働していませんでした。

なぜ二つは動いていないのか聞くと、かつては生産量も多かったからレーン3つをフル稼働させてちょうどよかったが、今は生産量も下がってしまったのでレーン1つだけ使っている、とのこと。

他の製品は『主力』としてレーンは綺麗に整備されてバリバリ動いているのに、3つあるその製品のレーンはあまり経費を投入してのメンテナンスがされていないのか、より一層ボロボロで寂しそうな印象を覚えました。

また、その製品の生産チームにいる先輩方も『もうこの製品は生産量落ちてるしダメだろう』と仰っていました。また、『作業をこなす』感じで働いていらして、新人の私にもわかるレベルでモチベーションが低く、仕事量のわりに人員も妙に多い様子でした。同じ会社にこのような雰囲気の部署もあるのか。。と入社して2か月目くらいで衝撃を受けた次第です。

とはいえ、先輩方を責めるつもりは全くなく、逆にもはや使わないレーンがそのまま放置されていたり、仕事量のわりに多く配置される人員など、リソースが無駄に使われていることの方が気になりました

『かつては生産量が多い製品だったのだから、あの頃の栄光を思い出したい』といった考えで昔と同様にリソースを費やしていたのかもしれません。

現代のニーズにあった体制を組もうとしない、また古い枠組みを無理やりに踏襲している感が、今回の国連の話とも通ずるなと思ったのです。

『俺の時はこれくらい当たり前だった』らしいマネージャー

過去の職場で、後輩がマネージャーとちょっとした口論をしているのを見たことがあります。その後輩は私のプロジェクトチームのメンバーだったので何かと思って仲裁に入ると、その後輩にアサインするにはちょっと無理があるボリュームをマネージャーがアサインしようとしており、後輩が代替案を出している(けど口論になっている汗)という状況でした。

その時にマネージャーが言ったのが『俺の時はこれくらい(のボリュームは)当たり前だった』ということです。要は、俺は若い時にこんなにすごいボリュームの仕事をやったのだからお前もやれ、ということでしょう。

ちなみにそのマネージャーは2000年ごろ新卒で入社した世代です。世代的には就職氷河期として、その世代特有の物凄い大変な競争を乗り越えての就職だったはずです。

また、その世代は採用数も少ない(他の代は40人-最大100人いるのに彼の代は20人とかその程度)ので、社員一人当たりにアサインされる業務もおそらく多かったのでは、とも想像できます。働き方改革の『は』の字も無い時代で、ハラスメントもあったでしょう。

でも、その彼らが若いころ(2000年代初頭)と、その後輩が入社したころ(2020年前後)は時代状況も採用状況も違います。マネージャーが若いころに当たり前だったこと(業務過多、ハラスメント)がもはや通用しない時代です。

このように、自分がかつて経験したことや学んだことが今でも当然のように通ずると言う思考は、80年前の世界を前提として作った国連が、ほぼ体制を変えずに今も動いているのと似た構図だと思いました。

お花畑や過去にこだわる人にならないために

『過去の栄光をもう一度』とか『若いころはこうだった』という人にならないために大事なのが、自分よりも若い人のような違う人たちと否定せずにコミュニケーションすること、また『なんとなくそう思う』ではなく数字やデータを見ることではないかと思います。

普段そこまで接しない層や自分と違うバックグラウンドの人と交流することで自分には無い視点に気づくことが出来ますし、データを参照する癖があれば数字と言う客観的な指標からおかしな意思決定を防ぐことが出来るのではないでしょうか。

ということで、国連に対するお花畑思考とキャリア・働き方の文脈が妙にリンクしていると思う話をしました。

それではまた!

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KASHIWA@マイノリティキャリア
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