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クンブメーラ2025に向けたエピローグ①
2025/2/20-2/28まで向かう『クンブメーラ』?
クンブ・メーラ(Kumbh Mela)は、ヒンドゥー教最大の巡礼祭で、12年に一度、インドの4つの聖地(アラハバード、ハリドワール、ウッジャイン、ナシック)で開催されます。特にアラハバード(現在の名称:プラヤグラージ)のマハー・クンブ・メーラは最も規模が大きく、世界最大級の宗教行事とされています。その数1億人以上の参加者と言われる。このエピローグは、クンブメーラに至るまでのサイドストーリーをなんとなく書いてみます。
クンブメーラに行かないか?
2024年秋。LINEのプッシュ通知が当然のように鳴った。誰かの言葉が飛び交い、流れ去るあの緑の画面。「レコメンド」が当たり前になった今、受動的に流される感覚もまた当然のものなのかと、ふと慌てて気づいてはその感性すらも流れてしまっている。
「コミュニケーション」というカタカナの響きが、いつしか形式を重んじるものを象徴する記号となり、会話は「親指だけでOK無言上等儀式」と化としている。そんな緑の画面をタップする度に過去に積み重ねてきた価値観が徐々に削られる日々の中で、その日もまた通知が鳴った。「またか」と、眉間にしわを無駄に寄せながら、通知バーに触れてみたものから、このエピローグが始まるのであった。
そのプッシュ通知の内容は、
「クンブメーラにいかないか?」というものだった。
さすがに意味すら分からないので、いつもながらの高円寺で待ち合わせ、訝しげにその怪しいメッセージの話を聞いてみると、発するひとつひとつの言葉の抑揚からして確かに興奮させる言葉がそこにはありました。
「12年に1度」「奇祭」「1億人以上が参加」「ガンジス川」「沐浴」「サドュー」「三角地帯」「アラーハバード」「マハ・クンブメーラ」「2025年」「2月26日」「ビートルズ」「命の祭」「3年に1度」「インド」といつまで続く、パワーワードの連なりとサイケデリックな臭い、そしてリズム。そんな単語単位では括れない、聞いたこともないワーディングとともに、益々壮大に膨れ上がっていく物語は、強い因果と過去の系譜を織りなすように止まらなかったもので。
さて、こいつは本気だな。いや、本気を超えている。やばいぞ、これは。まずは、「ほう、ほう、」とひとまず緩やかに観察してみると、分かりやすいように、彼の瞳孔はますます広がり、発する度に帯びる興奮と熱狂が強まっていく。そうして時間とお酒が進むとともに発する言葉は浮かびはじめては広がり、それぞれに色を伴いながら、やがて象る言葉からの想像世界が生まれは混ざり、ふと気づけばガンジス川のガートにぼくたちはもういるんじゃないかと、空想妄想の所業のなすことに、夢中に至ることの快感が余韻として残るそんな具合感で。その日はそれだけでも感動した記憶が、しっかりと刻まれたのです。
とはいえ、快感快楽だけでは人間失格だ。
こちらも総動員の防衛ラインを敷く。前線を揺るがし抑えきれない衝動と興奮を必死に抑える。「私も大人だ。私が大人だ。。しっかり逃げよう、逃げるんだ」と言い聞かせ、次々と彼が話す度に「ふーん」「面白そうだね」と、適当な相槌で会話のリズムを狂わせず、心地よいままお酒と混ざる極上の頂きにほどよく至らせようと、一方でこちらの衝動から生まれてくる興奮の数々は、一切も出さずに。
とはいえ、彼の訝しげに「で、行くよね?」と探る反応が垣間見える度に、なんとも釣れないそぶりでかわしたつもりでいた。もはやこれはプレイであり修行なのだ。と言い聞かせながら、最後のグランドラインと呼ばれる、そうした誇りとプライドだけは越させたくなかったのだ。
ところで、私は、興奮の対義語は「鎮静・沈静」ではないと思う立場だ。内心、恐れや畏怖といったざわつきを抑えるのでいっぱいであったその夜。なにか想像すらできない熱狂や興奮に触れることは、何か自分を変えてしまうかもしれない恐れがあったから。それこそが興奮の対になるものだと思っている。
とはいえ、正直感覚感性全てが変わるわけでもないのに、その何かに恐れる自分になったのはいつからだったんだろうかと、ふと思ったその日の夜。かつての20代ぐらいの自分と、40近くになってきた30代の自分との感覚の差異をじっくり感じながら眠った記憶であった。
さて、彼の名前は「クシヤマ」
2月の出発一週間前ぐらいなってきた今日も、益々興奮しているだろう彼の名前は、クシヤマ。昨日も、こうしてこの文章を書いていると「このニット帽はクンブメーラで必要だから落札したおいたよ」と。絶対日本では被ることはないだろう、奇怪な模様のニット帽の写真だけが送られてきた。
彼との出会いは2018年。もう気づけば7年も前だ。前職での面接官として私(そのチームの上長として)と、そういったあくまで仕事上の形式的な募集に応募してきた彼と、単に面接で出会ったっていうのがことのはじまりだ。
きっと慣れていない用語を使いながら「マーケティングをしたい」「メディアビジネスうんたら」とそれなりな面接問答をしていたことは覚えている。彼に魅了されたのは、実際のところ、当たり障りのない面接問答のテンポとかそんなんじゃなく、面接の夜にあったのだ(確か)。
ほどよく2次ぐらいの面接を終えて、さて帰ろうとすると、唐突にクシヤマはこう言った。「山口さん、山口さん、面白いイベントありますから、この後よかったらどうですか?もちろん、来てくれますよね?」と。この言葉は聞いたことがあるようなないような、あれ?これは?と、少し迷いながらたどり着いたその言葉のトーンは、四畳半神話体系の小津の言葉にて脳内再生させられたのを覚えている。
そうして向かった先は高円寺のパル商店街の中にある、とある雑居ビル。その汚い階段を登り4Fか5Fに向かうと、騒がしい音楽が鳴っており、いかにも高円寺風情たち(高円寺民ではないと思う)が楽しんでいた。
そうして音楽に乗っていると、「山口さん、こっち。こっちですよ。」と行った先のフロアでは、フリースタイルラップがはじまった。その場にいたのは10人ぐらいだろうか?それぞれがそれぞれの下手も上手いも関係ない、高円寺感のある何かのカウンターカルチャー的なノリを踏み、彼もまたフリースタイルを踏んで楽しんでいた。そもそもお互いよく分からない関係で、よく分からない韻を踏み、よく分からない人たちと音楽で繋がり、よく分からない酒を飲んでは、よく分からない時間に「それでは、最終面接よろしくです。おやすみなさい」とお別れした記憶。
結局「よく分からない」けど、何かを介して分かろうとするのか、はたまた何か試しただけなのか、単純に慣れていないフリースタイルをしたかっただけなのか、当時の上長には、そんなクシヤマの面白み(不思議み)を感じ、何か奇怪なものから興奮をもって、熱弁したものです。
あれよこれよと、晴れて彼の入社が決まり、自分の目に間違いはなかった。これからよろしくねって心の中で思っていた安堵がありました。
そうして彼の初出勤日、クシヤマは私の席にきては、「山口さん、これからどうぞどうぞよろしくお願いしますね。」と恥ずかしそうに言ってくれたのを覚えています。
そして、その3日後に私は退職しました。
そうした彼との急転直下な別れが起きてしまったのです…
(続く)
「クンブメーラ」に関するならば、こちら。
クンブメーラに向かう今回、Notionを使って旅をまとめてみてます(全然途中ですが。。)Notionってすごいな、AIってすごいなと、知的探求心丸出し上等にて、いろいろ触りながら臨んでおります。
今までの旅の仕方自体も変えないといけないと思っている者で、そんな未来志向性も含め、試しにそんな未来な旅のひとつのサンプルモデルとして覗いてみたい、そんか奇特な貴方はご覧くださいませ…