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DELF/DALFを受験するなら政治や選挙に関心を持っておくべきか?

フランス語の試験「DELF/DALF」では、社会問題に関する課題(sujet)が頻繁に出題されることは周知の事実です。

したがって、わたしは一見フランス語力とは関係ないように思えても、これらの知識を日常的に蓄積しておくことが極めて重要である、と繰り返し強調してきました。これが合格のために、さらにはフランス語力の向上のために戦略として間違っていないと思うからです。

ところが時々、これに対して「わたしは政治にあまり関心がない」と言われることがあります。それに対して一言申し上げるなら、「わたしも政治にあまり興味はありません」と答えるでしょう。さらに踏み込んで言えば、「選挙ってそんなに重要なものでしょうか?」とも思っています。

要するに、フランス流の論述を行う上で、特に政治思想を持っている必要はないとわたしは考えており、むしろ、Xなどで政治活動に熱心に取り組んでいる人々を見るにつけ、果たして彼らが「社会課題に真に関心を持っているのか」と問われると、必ずしもそうではないと思っています。

よって、わたしが政治に対してどのように考えているのか、また、選挙についてどう考えているのかを書いておこうと思います。
もしかすると、いつもより長くなるかもしれません。

基本スタンス

基本的なスタンスを示しておくと、一応わたしは選挙のたびに投票に行っています。

しかし、それは「自分の清き一票が社会を変える」と心から信じているからでもなく、ましてやその一票を投じた政治家が「わたしの民意を反映する」と期待しているからでもありません。

単純に言うと、気に入らない政治家や政策が存在する場合、それを批判する上での「最低限のマナー」として、選挙に行っているだけです。ただ「何も行動せずに批判だけする者」をわたしは好まないため、少なくとも政府に対する不満を述べるのであれば、投票行動すらしないのは不誠実だと感じるからです。

加えて、個別の政策に関しては、わたしの関心はあまり向きません。

細かい法制より「憲法の解釈」に関する議論などには強い関心を持つので、そのような選挙では深く勉強します。大学時代には安保法案が争点となり、この法案が憲法解釈に大きな影響を与える可能性があったため、真剣に考えました。

実際、この選挙では結果に対する関心も高すぎて、新聞社の募集で開票作業の速報を伝えるアルバイトに参加するほどでした。

とはいえ、わたしはよりより社会を実現する上で、現行の選挙システムが不十分と考えています。その理由について、以下の三つの観点からお話ししたいと思います。

多数決が民意を反映するのか?

選挙は基本的に多数決で決まりますが、その結果が必ずしも民意を正確に反映するわけではないと思います。

ここでわたしが問いたいのは、「多数派の意見が正しく反映されているのか?」という点です。つまり、「少数派の意見を尊重すべきか?」ではなく、そもそも「多数決は本当に多数派の意見を反映しているのか?」という根本的な問題です。

投票を通じて合意を形成するのは一筋縄ではいかず、考えれば考えるほど難しい問題であることがわかります。

例えば、2022年のフランス大統領選を考えてみましょう。
以下が、その時の投票結果です。

まず1回目の投票では、マクロンが1位になりました。しかし、2位と3位の候補者もかなり票を集めていました。

ここで仮に、メランションに投票した人々の多くが、マクロンよりもルペン派だった場合を考えると、票が割れたことにより、民意を反映できていない可能性があります。

よって1位の候補者が過半数を取らなければ、改めて決選投票が行われることになります。

でも、これだって1回目の投票でゼムールとペクレスが出ていなかった場合、決選投票はマクロンとメランションの戦いになっていたかもしれないし、その場合メランションが当選していた可能性を捨てきれません。

日本でも内閣総理大臣を決める場合は決選投票がありますが、少なくともそれ以外の選挙では1回で決着をつけます。この場合、対立候補が多く立候補すると、戦略的に不利になる可能性も高く、選挙が駆け引きになりがちです。

つまり、候補者が多ければ多い場合は特に、選挙によっても本来の民意が反映されているとは限らないのです。

ボルダルール

この点を解消するために、18世紀後半にフランスの数学者ボルダが考えたボルダルールというものがあります。

(以下、しんどいのでchatGPT先生の説明。)

ボルダルールの説明:

  1. 順位付け: 各有権者は候補者を好みの順に並べます。例えば、1位が最も支持する候補、2位が次に支持する候補、3位がその次、というように順位をつけます。

  2. ポイント配分: 各順位に応じてポイントが付与されます。通常、1位に最大ポイント(例えば、候補者数-1)、2位に次のポイント、というように、順位が低くなるごとに少しずつ少ないポイントが与えられます。

  3. 得点の合計: 各候補者は全ての有権者から集めたポイントを合計し、最もポイントが多い候補が勝者となります。

この方式は、単純な多数決では反映しきれない意見のバランスをとることができるため、より公平な結果を目指しています。(引用終わり)

しかし、このような新しい選挙方式を考案しても、採用するのは非常に難しいことです。なぜなら、一度導入した選挙制度は簡単には変更できないからです。選挙制度を変えるには、公職選挙法を改正しなければなりません。

しかし、今の公職選挙法は1950年に制定されたものです。

なんと、冷蔵庫がまだ一般に販売されていない時代に作られたので、冷蔵庫よりも歴史が長いことになります。

時代はこんなに変化するのに、いつまでこんな古いルールで選挙をするのでしょうか?

日本社会との相性の悪さ

こんな感じで説明してたら日が暮れそうです。もっと、ぱっぱといきます。

2つ目。

現在の日本の選挙制度は、日本で独自に作られたものではなく、明治時代に西洋社会の制度を参考にして導入されたものです。

明治時代、日本は急速に西洋化を進め、その過程で政治や社会の仕組みも大きく変わりました。特に、イギリスやフランスの選挙制度をモデルにして、日本の選挙制度が作られたのです。

また、「市民」や「社会」といった言葉も、西洋の概念を翻訳して使われるようになりました。これらの言葉は、明治時代に西洋の思想や制度を導入する中で突然登場したものです。

この点から考えると、当たり前のようにこれらの言葉を使っていますが、文化的にわたしは「社会」を考える「市民」がどれくらいいるのかと疑問に思っています。

選挙に行けば割引されるといったプロモーションを見るたび、やはり日本には「世間」を気にする「消費者」しかいないのではないかと思うことがあります。

コントロール可能なものか

最後に、わたしの個人的な信条として、わたしは自分が「コントロールできること」に集中して生きていきたいと思っています。

「選挙に行くこと」や「知識をつけること」など、こういった行動は自分で決めることができます。

(もちろん、厳密に言うと「決定論」なども考慮しなければならない点はありますが、ここでは日常的な範囲で話します。)

たとえば、最近注目されている環境問題についてですが、わたしは自然アクティビティが好きで、山や海をきれいに保つことは(限られた範囲ではありますが)自分でできることだと考えています。そのため、このことに集中したいと思っています。

また、服を買わないことで、大量消費社会を防ぐ行動も取ることができます。

そのため、より良い社会を実現するために、環境意識が高い候補者に投票し、自分の意見を代弁してもうのが得策とは思いません。わたしは「コントロールできないこと」に期待するのではなく、自分ができる範囲で行動することに集中しています。

選挙への関心は関係ない

だから、わたしは選挙が完璧なシステムだとは思っていませんし、政治についてとても詳しいわけではありません。

でも、社会問題に関して自分の意見を言うことは重要だと思いますし、それはまた政治とは別の問題です。

わたしが考える社会問題に対して重要なのは、批判的な考え方を養うことです。言い換えれば、今のシステムを疑い、考える姿勢が大切だと思います。

選挙に行きたくないと思っている場合、ただ単に「みんな行ってるから選挙に行こう」と考えるのではなく、「どうして行きたくないのか?」と自分の気持ちを出発点にして、内省を始めることが重要です。

そうすれば、現行の選挙制度に対する自分なりの問題点が見えてくるでしょう。

これは単に「自分の気持ちを大切にしろ」という話ではありません。

問いとそれに対する思索は、教科書の説明を読んだ後に提示される確認テストを解くようなものではなく、自分の原体験から生まれる「感情」を出発点として好奇心を元に駆動していくものだと思うからです。

今日は文章を書くの、結構疲れました。

35歳からはあらゆる選挙に出られると思うので、まだですがその頃には人口の少ない市町村で着実に当選を狙って立候補し、本気で理想の政策を考えるのもアリな気がたまにしたりしています。笑

それしか現在のシルバー民主主義をハックする方法はない気がするので!

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