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フランス語の試験、「DELF/DALF」と「仏検」の違いについて
数ヶ月前、私はDALF C1に合格し、その後、Xなどを通じてフランス語の情報を積極的に発信するようになりました。
このプロセスを経る中で、私は一つの明確な気づきを得ました。
それは、自分自身がDELF/DALFの試験に対して本当に強い愛着を抱いているということです。
もちろん、受験された方ならお分かりだと思いますが、これらの試験は、かなりのストレスを伴い、一筋縄ではいかない挑戦です。
しかし、その難しさの中には、非常に大切な力を身につけるための貴重な機会が詰まっており、わたしはこれがただの試験に留まらず、自分の成長に繋がる重要なステップであると確信しています。
よって、これまでは「仏検」と「DELF」の両者の重要性を中庸に捉えようとしていましたが、今後ははっきりと「DELF推し」とポジションを取ることに決めました。
今回は、その思いを言葉にしたいと思います。
(この記事ではわかりやすく「仏検」と「DELF」を対比させますが、仏検に対して悪意は全くないし、その重要性は認識しています。)
勉強には2つのフェーズがある
外国語学習に限らないとは思いますが、わたしは「学習過程」には2つのフェーズがあると思っています。
かなり大雑把にいうと
・武器集めのフェーズ
・集めた武器を使って戦いにいくフェーズ
上記の2つです。(物騒な例ですみません。笑)
それぞれがどんなものか想像することは難しくないかもしれませんが、説明しておきます。
「武器集めのフェーズ」とは、文法知識や単語などを詰め込むことです。ここで大切なことはより多くの情報を集めることで、こちらの特徴は必ず「正解がある」ことです。
一方、「武器を使って戦いに行くフェーズ」は、これまでに得た武器(知識など)を総動員して、実際にコミュニケーションをとる段階のことです。
要するに、単なる知識の再現ではない、ということです。
よって、こちらには一つの明確な正解は存在しません。
もちろん、手にする武器はより多いほうがいいし、それをできるだけ上手に使いこなせるほうがいいことは明らかです。
ただ、どちらかというと、この「武器集めのフェーズ」により比重が乗っているのが仏検、「武器を使って戦いに行くフェーズ」に比重が乗っているのがDELFなのではないか。
ネット上でもいろんな方が仏検とDELFを比較されていますが、わたし個人としてはそのように考えています。
「正解探しはもういい」
私たちは、ある程度の段階まで武器を手にしてからは、もうそろそろその使い方の方をしっかりと考えたほうがいいと思います。
わたしがここでいう使い方とはおよそ「フランス語学習を通してどのように幸せになるのか」ということです。
コミュニケーションとして新しい言語をインストールし、より多くの人と繋がり、これをどう生かしていくのか。
わたしは、このためのステップを、DELFの試験勉強で手に入れることができると思っています。
具体的にいうと、学習者が自分の意見を持ち、それを論理的に展開する能力です。
(もちろん「武器集め」が好きな人はただそれをすればいいだけの話なのですが、わたし個人としては「もう正解探しはやめませんか?」というふうに思っています。)
学校以外ではほとんどの場合「正解」はない
みなさんご存知の通り、義務教育の課程では「正解」を求める思考が主流です。
生徒たちは教科書に書かれた答えを覚え、それを試験で正確に再現することが求められます。
このアプローチは、基礎知識を身につけるうえで非常に有効です。
しかし、学校を卒業した後、社会で直面する問題の多くは、「正解」が一つに定まらないものです。
むしろ、多様な解決策や選択肢の中から、自分なりの判断を下す力が求められる場面が増えます。
こうした現実の問題に対応するためには、「自分の意見をしっかりと持ち、それを他者に伝える力」が不可欠です。
とりわけDALFでは、「正解がない問い」に対して自分の視点から意見を述べることが求められます。
このプロセスは、単なる知識の暗記にとどまらず、問題に対して批判的かつ創造的に取り組む力を養うものです。
自分の意見を他者に伝えるためには、その背後にある理由や背景をしっかりと説明することが必要であり、これが対話を通じて相互理解を深める手段となります。
「正解」を求める思考からの解放
加えて、「正解」を求め続ける思考は、しばしば人々にとって生きづらさの原因となることがあります。
正しい答えを見つけることに囚われてしまうと、失敗を恐れ、新しい挑戦や自己表現を避けてしまう傾向が生まれがちです。
この思考パターンは、特に日本の教育システムにおいて強調されており、学生たちは「間違えないこと」が重要視される環境に長期間身を置いています。
しかし、繰り返しますが、社会に出ると多くの問題は「正解」がないものです。
そこで必要なのは、異なる意見や選択肢を尊重し、自分なりの視点で物事を捉え、柔軟に対応する力です。
フランス語学習を通して、まさにこの「正解のない問い」に取り組む力を涵養できます。これに取り組むことで、学習者は自分自身の意見を持ち、それを他者に理解してもらうための説明力を養うことができます。
以上、
これまで私たちは武器集めの方法を義務教育でたくさん学んできたので、これからは武器の使い方を磨く訓練をしよう
というポジショントークでした。