たぶん、道をひらく時が来ている。
こんにちは。金木犀です。
この春は、人生の節目というものにあたる日々を過ごしています。
大学院の修士課程を卒業して、そのまま博士後期課程に進学することになりました。
覚悟やモチベーションが揺らいで、一歩踏み出したいのに足がすくむ。
今日のテーマは、そんな「もやもや」です。
学部時代の友人の多くはもうすぐ社会人2年目を終え、
修士課程をともに戦った同期は、就職して新しい一歩を踏み出します。
そのなかで、1人、春からドクターになる私。
それなりに考えて、20代を捧げるつもりで選択したアカデミアの道。
その選択に大きな後悔はなく、誇りには思っています。
それでも、最近は
「私がやりたいことって結局何なんだっけ?」
「ちゃんと社会的意義があるんだっけ?」
「やりきれるだけのエネルギーと能力はあるんだっけ?」
と疑いがぽこぽこと脳内に浮かんできます。
修論が終わったら読みたいとリストアップしていた学術書たち。
この時間のある春休みに読んでおいた方がいいことは分かっているのに、
集めるだけ集めて、ページを開くも、なぜか頭に入ってきません。
春休み中には、研究成果や研究計画書を発表する機会、つまり「私はこんなことをやってきて、これからこんなことをしていきます!」という宣言をしなければいけない機会がいくつかあります。
しかしなんだか筆が進みません。言葉は抽象的なままです。
春休みの目標は、英語と論理的思考力の向上、読書、料理と健康でした。
ぼちぼちやってはいるんだけど、頑張りきれていないなぁと思います。
今のままでいいや、日々ぼちぼち幸せならいっかと思うことが増えました。
全力で駆け抜けた修士課程へのノスタルジーに、早くも浸っています。
そこで思ってしまうのです。
誰かにやることを指示してほしいと。仕事と意義と目標を与えて欲しいと。
楽をしたい。分からないから何か羅針盤が欲しい。安定が欲しい。
修士卒業の目標を達成した今、その先の道が描けなくなっているのです。
おそらく、ついに自分なりの道をひらく時が来ているのでしょうね。
自分で道を切り拓き続けないと生きていけない世界の入口に立っています。
その現実を思う時、元々「何かをしたい」という気持ちが薄い私には、やっぱりアカデミアは向いてなかったんじゃないかなー、ドクターを生き抜くことなんて無理なんじゃないかなーって思ってしまいます。
無難に就職しておけばよかったのにと。
どっちみち、いつかは直面する課題でしょうけどね。
金欠必須のドクター生活へと私を誘った、好奇心と向上心が戻って来てほしいと切に願っています。「楽しい」という感情も。
それらは私を突き動かすエンジンの核なのだから。
主体性のある人間のふりをするための武器なのだから。
もう戻ってこないんじゃないかと、怯える毎日です。
今の大学院生は、本をただ読むだけでは許してもらえず、
実践に飛び込んで、実践を創っていける人が重宝されます。
そんな人間性をアピールしないと奨学金がもらえないのです。
日本での院生の価値基準がここにあるってことですね。
それができる他の院生と比べてしょげても仕方ないのですが、
限りあるポストを勝ち取るためには、そうならないとダメらしいです。
だから、自らをエンパワメントするために必死で内省を続けています。
あわよくば、中途半端な野心を持った私でもアカデミアを生き残れる道、折衷モデルを切り拓けたらと思っています。
誰も「お前はここにいてはいけない」なんて言ってないので、
首を絞めているのはいつも自分なのです。
生きていくことはいつだって難しいですが、
私なりに、自分の目で新しい道を見据えていけたらと思う日々です。
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