海と月
海が好きだ。
幼い頃から水泳を習っていたこともあり、ごく自然に海へと興味を持った。
塩素の匂いがしない海水は、当時の私にとって新鮮に受け止められた。
毎年夏、家族で海に行っていた。
日焼け止めを顔に塗りこんでくれる母の手が好きだった。好きでいたかった。楽しい思い出だった。
ただ純粋に楽しめることが心のどこかを満たしていたのだと気づいたのは、純粋に楽しめなくなってからだ。
苦しいときに海に行く癖がついてしまった。
腰まで海に入れたら覚悟が決まるだろうに、幸か不幸かそこまでの強さは持ち合わせていない。足先を冷やして終わるだけだ。
類は友を呼ぶとでもいうのだろうか。友達と海に行く回数が徐々に増えていった。
夜に海へ行くこともあった。決まって月の綺麗な日だった。
月は電灯の光が届かないところを照らしてくれる、私たちは電灯の光が届かないところにいるから海に行く、月になれたらいいよね、と彼女が話していたのを忘れられずにいる。
月に照らされた海面を見ていると無性に泣けた。
突き動かされて終わらせるために海に来ているのに、なんとか生きていけると思いながら帰るのはなんだか滑稽だった。
海に行けば明日からもなんとか生きていけるんじゃないか、という不確かな感覚を共有していたと思っていたが、間違いだったらしい。
彼女は私の月だ。
私は彼女の月にはなれなかった。
漠然と月になりたいと思った。