能動経済#84 小日本人
円が安い。これは日本の信用が相対的だとしても下がっているからに他ならない。
ジャニーズ問題、汚染水、DJsoda、そういったトピックスは、良い悪いを別にして、日本の海外からの目線を我々に突きつける。
TwitterやYouTubeのコメント欄でのバトルを眺めていて、経済力を失ったぐらいでここまで卑屈になる必要があるのか?と思う。
これは能動経済でも経済でもなんでもない、いやこれこそが経済の本質的問題かもしれないが、お金がなくても誇り高く生きるという事ができるはずではないのか?と思う。
日本には「武士は食わねど高楊枝」という言葉があった。
平和になり貧乏になった江戸時代の武士の、しかし武士の誇りは失いたくないといった想いが伝わってくる言葉だ。
日本の文化は太平洋戦争に敗北した後ことごとく破壊され、今街並みにも日本人の生活にも日本文化はほぼ残っていない。
その後新たに作り上げた「エコノミックアニマル」としてのアイデンティティも、バブル崩壊と数十年続いたデフレによって完璧に破壊された。
我々は新たなアイデンティティを確立せねばならない。経済を回復させてまたエコノミックアニマルに戻ろうとするのはナンセンスだ。バブルはもう来ないし、来てもそれはかつての製造業のバブルではない。今回のコロナバブルは明らかにインターネット業界中心の新たな経済世界の移行をコロナをきっかけに一気に織り込みに行ったバブルだった。
先日8月26日、今年のジャクソンホールが終了した。毎年主要国の経済の主権者がアメリカ北部の美しい湖畔のロッジで今後の世界の経済活動の方針を決めるエヴァンゲリオンの人類補完計画のような円卓会議だ。
今年決まった総意はこの後10年はインターネット時代への移行期間になっていくというものだった。
さて、やはりここは能動経済的に語ろう。
良し悪しは抜きにしてそのように世界は動く。我々はどうすべきか?
エコノミックアニマルとしての誇りを取り戻したいなら一生懸命インターネットを使いこなしマネタイズに励むしかない。
しかしもう一つの道もある。ドロップアウトだ。しかし私はここで「能動的ドロップアウト」を推奨したい。つまり「武士は食わねど高楊枝」だ。
ドロップアウトした人間が他人を差別している姿は醜い。見るに耐えない。
しかしお金はなくとも身なりをきちんと整え、背筋を伸ばし、礼節をわきまえ、他人を思いやりマナーを守っている人を見た時、なんとも清々しい気分になる。それは早朝の寺院で掃き掃除をする僧侶を見た時のような清々しさだ。
村社会独特の嫌な日本人の面も確かに我々にはある。しかし「恥と義理」の清々しい日本人の面も確かにあるはずなのだ。
それが再勃興した時、日本から不安が消え、再び微笑みが戻るに違いない。経済的に勝つ努力と、どちらを取るかは、読者個々の能動的選択に任せる。
読了お疲れ様でした。