the Art of Mankind「CHAOSBRINGERS」について
奇跡的なバンドとどうやって出会うのだろうか。もちろん奇跡的に、だ。
the Art of Mankind「CHAOSBRINGERS」は、令和における日本からのメロディックデスメタルの最終回答である。
現在、あまりにも時流と寝るだけの音楽が溢れている。しかし、いっぽうで、the Art of Mankindの音には、あてどない嫌悪、呪咀、疲弊、憂愁、自棄などのすべてがこもっている。メロディックデスメタルを投げだしたいのに、業を背負い投げだせなくている男たちの嘆息がある。
バンドの音は、各メンバーの身体についた傷痕かのように、長く、鋭く、深い爪跡が残った激情であり、威迫的なのにきわだって孤独である。
メンバーに話を聞くと、必ず「東京を拠点に活動するメロディックデスメタル」と自己紹介してくれる。なるほど、彼らの音は、東京そのものの哀しみであり、現在にメロディックデスメタルを再構築しようとする無鉄砲に支えられている。
今回の新作「CHAOSBRINGERS」は昨今のシーンをせせら笑い、急速に腐敗しやすい形容詞をいっさい抜いて、ブルータルとメタルのみを残し書かれた物語のように思われた。
アルバムが始まると同時に、高速でかけぬける楽器のきしみが、雄叫びとも悲鳴ともつかぬ声と伴走して吹きぬけていく。それは無数の印象的なフレーズをかきむしりながら、ひりひりする痛覚をつたえ衝撃だけを残していく。
茫然と心身をゆだねてアルバムを聴くうちに、熱情がつぎからつぎへとこみあげ、茫然としているうちに曲が終った。そうだ、彼らは挑戦しているのだ、という想いだけが残った。なんとかして、現場で聴き続けねばならない、と思った。
死に隣接しない音楽は、聴くときには楽しいけれど、一夜明けただけで泡のように消えてしまう。対比のように、死に迫る狂気をもって作成された音楽は閃光か啓示のようにふるえさせ離れることを許さない。
たとえば「Backstab」は、「Sword of Obsidian」「The Shadow of the Sun」は聴く者に緊張を与え、まるで勝負を仕掛けるように、つかんで離さずにおれない。
現在、あまりに弛緩した“動物的”な音楽があふれている。しかし、それは来るべき世界の音楽といえるだろうか。“動物的”にたいして“人間”の狂気と衝動。まさにthe Art of Mankindは高らかに新たな時代の音楽を謳い上げる。
PODCASTでのthe Art of Mankindインタビュー
番外編:Woomingさん、OGAさん(the Art of Mankind)【前半】
番外編:Woomingさん、OGAさん(the Art of Mankind)【後半】
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