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『21世紀の金融政策 大インフレからコロナ危機までの教訓(ベン・バーナンキ著)』を読んで、我が国の失われた20年について考える(福井強のマクロ経済分析レポート vol.7)

 『21世紀の金融政策 大インフレからコロナ危機までの教訓』、本書は米連邦準備制度理事会(F R B)の元議長ベン・バーナンキ氏による20世紀初頭から現代に至る米国の金融政策の歴史を俯瞰した上で、21世紀もほぼ4半世紀を経た現在において、中央銀行が直面する課題とその展望について分析した野心的な内容の書です。

 バーナンキ氏は2008年から2009年にかけて発生した深刻な金融危機に瀕した世界経済を大胆な金融政策で救った勇気あるセントラル・バンカーとして世に知られています。彼は2008年に危機に襲われる遥か以前から、政策金利を動かすこと以外の新たな金融政策の試みである量的緩和の研究を進めていたため、現実の金融危機の際に大胆な量的緩和政策を実行することができました。この研究の過程で、バーナンキ氏は1990年代のバブル崩壊後の日本銀行によるゼロ金利政策や量的緩和の効果を検証して、なぜ日本がデフレに陥ってしまったのかという問いに対する答えを見出しています。

 結論から言えば、物価の安定と完全雇用を同時に達成する、いわゆる「中立金利」の水準が極めて低い場合、中央銀行ができる金融政策に残された余地は大胆な量的緩和に限られ、2012年まで日銀が行ってきた日銀準備預金の増額という効果が疑わしい消極的量的緩和では景気を下支えすることができず、2008年当時のバーンナンキ議長のF R Bやのちの黒田日銀総裁が実行した長期金利を抑え込む積極的な量的緩和が金利換算で3%程度の緩和効果をもたらしたと論じています。また、金融政策がゼロ金利で下限制約を受けている状況では、大胆な量的緩和に加えて、政府による積極財政が望ましいと述べています。

 この論点を踏まえると、日本が20年以上もデフレから脱却できなかった理由として、バブル崩壊後の金融政策がゼロ金利の壁にぶつかった際に減税などの積極的な財政政策を打たなかったどころか、消費税引き上げという最悪の財政引き締め策を2回も実行した点が挙げられます。増税だけでなく、さらに義務的支出である公的年金、介護保険、健康保険などの社会保険料の増額も実施されて、全世帯の平均可処分所得は1994年のピークから2021年までの27年間で実に18%も減少しています。周知のように、この背景には1990年代以降、人口動態の少子高齢化が進み、生産労働人口が減少する一方で、バブル崩壊後のバランスシート不況や経済のグローバル化の結果、生産性を向上させる国内設備投資も不発に終わったことが我が国の経済成長を妨げてきたという厳しい現実がありました。

 バーナンキ氏は、20年以上にわたるデフレの結果、日本国民の間にデフレ心理が根づいてしまったことが、デフレからの脱却がパンデミック後のコストプッシュ・インフレ発生まで実現できなかった主な理由であると分析しています。さらに、1994年以降の人民元に代表される他国通貨に対する極端な円高が本邦企業の生産拠点の海外移転を誘導し、同時に、国際価格競争力維持のために雇用調整が容易で低コストの人材派遣の増加による賃金の伸びの抑制を促したことで、デフレに拍車がかかりました。

 我が国のゼロ金利政策がいわゆる国内のゾンビ企業の生き残りを助長したという批判に対して、バーナンキは、それは必ずしも低金利によるものではなく、むしろ邦銀の過小資本の問題やゾンビ企業を保護する政治的配慮が邦銀の不良債権引き当てを2003年ごろまで遅らせることになり、その結果、日本でゾンビ企業が多数存続する事態を招いたと分析しています。

 ところで、バーナンキ氏は2008年の世界金融危機に先立つ6年前の2002年に、『デフレ: 米国で「それ」が起こらないようにする』という演題で首都ワシントンのナショナル・エコノミスト・クラブで講演を行なっています。この時点でバーナンキ氏はすでに日本経済を苦しめていたデフレの原因を分析して、日本の金融・財政政策の誤りを米国が回避するための処方箋を披露しています。そして2008年〜2009年の世界金融危機に際して、バーナンキ議長が率いるF R Bがこれらのアイデアを果敢に実行に移した結果、米国は日本型のデフレ・スパイラルに陥ることを回避することができたのです。

 読者の皆様には、機会があれば、今回ご紹介したバーナンキの著書を手に取っていただき、なぜ米国にできたことが、我が国ではできなかったのか、なぜ我が国の歴代政権がバブル崩壊後のバランスシート不況下で「デフレ脱却のためなら何でもやる」という気概を持てずに、早い時期に異次元の金融政策や減税などの積極的財政政策に踏み切れなかったのかを理解した上で、次回の総選挙では日本経済の復活に向けて正しい政策を掲げる政治家に投票していただきたいと思う次第です。

 (余談ですが、筆者は2019年9月にロンドンで開催された米国大手証券会社による在欧州機関投資家向けの内輪のディナーの場で、バーナンキ氏の話を間近に聞く機会に恵まれました。質疑応答の時間に黒田日銀総裁による異次元の金融政策について、バーナンキ氏はどのように考えているか質問したところ、「デフレ脱却を目指して、黒田総裁は出来る限りのことを精一杯やっていると思う」と答えていただいたことをよく覚えています。ちなみに、写真は、持参した『危機と決断 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録』に書いていただいたバーナンキ氏の自筆サインです。)

執筆:福井 強(ふくい つよし)
個人トレーダー(フランス・パリ在住)。1984年慶応義塾大学経済学部卒業。1990年コロンビア大学ビジネススクールにてMBAを取得。明治安田生命(旧明治生命)、JICA(旧OECF)を経て、1993年より2020年まで世界銀行勤務。世界銀行では投資管理局グローバル債券デスク・ヘッド、G7債券ポートフォリオ・マネージャーとして金利およびクレジット・ポートフォリオ戦略の立案、実施に従事した。米国証券アナリスト(CFA)。訳書に『ザ・トレーディング』(アレキサンダー・エルダー著/FPO)とその旧版にあたる『投資苑』(パンローリング)がある。
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