私の工場経営ノウハウ(3) うまくいった?話1/3
これまで肩の凝る話が多かったので、この辺でコラム的に、私が若い頃から中年おじさんまでの間に、うまくいった話を3つ話します。
最初の話は25年も前の話なので、今の時代にそのまま役に立たないかも知れませんが、原理原則は変わらないと思いますので、何かを感じ取って頂ければ幸いです。
❶新事業立上げの話:開発部のA部長は話しがうまくて、特に英語で米国人をその気にさせてしまう。英語の落語家になった方が成功したかも知れないようなタイプでした。製造経験はなし。結局、開発段階で量産受注を取ってしまいました。製品は、当時、超高密度半導体パッケージ基板でした。基材は自社開発の高耐熱(高Tg)材、銅箔もグループ会社開発の5ミクロン銅箔、無電解金めっき液も自社開発の非シアン液、放熱金属とコンデンサチップ搭載、キャビティ構造などなど、今から25年前、米国人が驚けばどんどんオプションを乗せて、もうお前のところしかないと言われる状態を作ってしまいました。(米国人が本気にしていたかどうかは今でも分かりません。)話した技術は全部開発途上のものでした。当時、私は新規事業推進部の製造主任、材料は開発部に完成を急がせ、自分は無電解金めっき試作ラインを手作りしました。業者に発注していては米国から要求された認定試験用サンプル1万個を1か月後に納品できない状況でした。昼夜土日なし。夜間に他工場から有休設備を盗むようにして、クレーンとトラックで運んできて据え付け、ないものは機器、部品を経費で購入し組上げました。試作ラインの一部工程にシアン系めっき材料を使ったため、また一夜城的に作ったため、この手作り試作設備が入った部屋は「中山サティアン」と言われました。若い技術者と共に昼夜を問わず試作してサンプルを出荷しました。
それが大当たりして、その後の業界におけるデファクトスタンダードになって、半導体パッケージ基板はゼロから月産8億円の事業に成長しました。使用した基材も単体で売れまくり月産数10億円の事業に成長しました。
これは、トップ顧客に対して、圧倒的に魅力的なモノを、タイミングを合わせて必要なだけ供給すれば、新規事業は成功することを知った経験でした。しかしこれには、無責任なくらい現状を忘れて顧客に夢を語り、自社製品を売り込める話のうまい開発者と、文句を言いながらも、会社として約束したことは、しゃにむに実現させる実行力の塊のような製造・技術部隊の存在があってのことです。工場の先輩方の作った社風(工場風)こそが、当時、東南アジアに移管した事業の穴を埋める新規事業を立ち上げたのです。