自信のなさ

極端に自信がないらしく、そこをいつも指摘される。

いつからこうなったんだろうと考えていたけど、少なくとも小学校1・2年生の時にはこうだった。あの授業では多分「家にあるものを使って何かを作る」みたいな事をしていた(という曖昧な記憶しかない)。完成品から察するに、私は母に相談してモール、スポンジ、ボタンとかそういう類の物を持っていったんだと思う。授業が始まって、周りのみんなが作業を始める中、先生の目の前の席にいた私は一向に動き出せず、ひたすら焦りを感じていた。

「好きなものを作っていい」「好きになようにやっていい」と言われる度に、どんどん追い詰められているような気分になった。一番苦手な言葉だった。「好きなようにしなさい」と言われると、突き放されたような気分になった。自分がどうしたいのか自分でもよくわからなかった。自分の好きなようにやった事が相手(この場合が先生)の気に召さなかったら否定されるのではと怖かった。

5分10分とすぎていくうちに、焦る気持ちは酷くなり、苦しさが増していった。周りはどんどん完成に近づいていくのに自分はまだゼロの状態だった。クラス全体を見渡しても、何も手をつけられていないのは私一人だけだった。終わりの時間までこうしているわけにいかない事は、私が一番よくわかっていた。焦りと恐怖心を抱えながら、とにかく手を動かしてみることにした。作りたいものがわかったわけではなく、ただの時間潰しというか、目の前にいる先生の目を誤魔化す為だった。「自分は何もしていなかったわけではない。今までひたすら考えていたのだ」という具合に。スポンジの角をモールで結んでみて、じっとそれを見つめて次はどうしたらいいのかと茫然としていた時、先生が「あら、いいじゃない」と言った。なんてことのないただ一言だった。他の子にも同じように声はかけていたし、もっとたくさんの言葉をかけてもらっている子もいた。でも私にはその一言で十分だった。こんなのでもいいんだとそう思えた。一度そう思えると次の工程への考えが頭にどんどん浮かんできて、気がつけば終わり頃の時間だった。私が「好きなように」進むために必要なのは安心できる何かだったのだと思う。

私は気がつけば何体かの人形を完成させていた。出来には満足だった。というよりも、あの「いいじゃない」の一言で認めてもらえたような気持ちと、自信とまではいかないでも多少安心して前に進む為の力をもらったような気がする。
その時は自分の作ったものに満足して終わったが、数年後や十年後、何度か母が私に、家庭訪問や面談の時に、先生が私の作品をとても褒めていて、あれをとても気に入っていたと話していた事を教えてくれた。その言葉を聞いて、恥ずかしくなりながらも心がとても温かくなった事をよく覚えている。


当時、いつまでも作業が始められなかったのは自分の考えに自信がなかったから。誰かにそれはおかしい、変だと言われるのではと不安だったから。今は当時の年齢の倍以上生きていて、良い事も嫌な事も、自信がついた事も失った事もたくさんある。経験が増えても、それが全て自信に繋がるとは限らない。その証拠に私は今でも人から呆れられるほど自信がない。いい加減生き辛い。このままこの先の人生を歩んでいくのはしんどすぎるので、ここのところはどうしたら自信をつけられるものかと模索しながら毎日生きている。


今日ふと思い出した当時の出来事は、数少ない私の自信に繋がる一つの出来事なのだと思う。

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