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学会発表の心構え、教えてください。-若手研究者の目線-

学会発表なんてフェスみたいなもんで、ある程度のスライドの体裁と形式を整えておけば、あとは論理的に話せるトーク力とその場のノリでわちゃわちゃしてなんとかなると思ってた民なんやが、実はそうではないらしい。

ここでは若手研究者である自分なりの学会発表、もといプレゼンの心構えと、最近学んだ学会発表とは何ぞやを紹介していきます。そして偉い人の学会発表とは何ぞやを募る場所としていきます。

自己紹介

私は、世間一般社会ではおそらく中間層と呼ばれるのであろうが、医療界ではまだ駆け出しと言われるくらいの年齢層の医師だ。ここ最近、俗に言う「限界大学院生医師」というものに晴れて進化した。
関西生まれ関西育ち、ヒョウ柄シャツのおばちゃんは大体友達と呼べるくらい、根っからの関西人である。

昔から、いわゆる「トーク」にはとりわけ気を遣っている。というのも関西人の皆様なら少し分かる人もいるだろうが、
「ほんで?オチは?」
が、ものすごく嫌いなのだ。
関西人はオモロいやつ=偉いやつ、凄いやつ、強いやつと思っている風潮があるようで、しかも何かと強要してくる民族だ。(私の周りだけ?)
そして自分の親も、例に違わず関西民族であった。
小学校で起きた何気ないエピソードトークでさえ、父親にオチを求められ続けきた。その賜物であろうか、話の筋道、立て方などにはすごく気を遣うようになった。というより話を頑張って面白くしようとしていたのだと思う。それがストーリー性を意識したり、起承転結を意識することに繋がったのだと思う。今になって振り返ると実は父親の教育法だったのかもしれない。まぁあの親父がそんなこと考えてないか。

私の話が面白いかどうかはさておき、オチに向かって話を組み立てて行くというのは、何を隠そうプレゼンでも多いに役立ってくる。実は関西民族はプレゼンがうまい人が多いのかもしれない、知らんけど。
ちなみに私が個人的に気を付けている話の組み立て方、考え方などはまた別のnoteで書けたらいいなとは思っている。いつかね。

学会発表はフェス?

私はまだ駆け出しなので経験も浅く、教授先生方のように場数を踏んでいるわけではない。大学院生になるまでも臨床医師としてちょくちょく発表経験はあり、海外学会でも発表したりすることもあったが、少し前までコロナのため対面の学会開催がほとんど制限されていたりで、実は現地での発表は数えられるほどしかしていない。
まぁでもそんなペーペーの思う一つの感想として聞いて頂ければいいとは思うが、最初にも書いていたが、学会発表なんてフェスみたいなもんだと思っていた。色んな所からたくさんの人が集まって、各々思いの丈をひけらかす場だ。色んなバンドが集まって自分の歌を、魂を披露する夏フェスと大差はない。違いは堅苦しいか、堅苦しくないかくらいだ。学会で上裸でシンポジウム会場にダイブでもしたら、すぐに警備員が飛んでくるだろう。

まずはそんな学会フェスで発表するに当たって、私が感じていたことをつらつらと述べようと思う。ちなみに技術的なことは全くわからないので、偉い人教えてください。

発表スライド作成編

プレゼンで大事なことは何ですか?と聞かれたら自分は「聴衆を飽きさせない」ことだと思う。これは普段のトークからもそうだが、「おもんな」と思われた時点で負けなのだ。飽きさせない工夫はなんでもいいと思っていて、もちろん内容が学術的に面白くて素晴らしいのが一番だが、話の組み方や演出などで聴衆の興味を引くことだってできる。人間は共感するときや、期待を裏切られたとき、いわばサプライズなどで引き込まれることが多い。これらを演出するためのスライド作りだと思っている。どちらかというと気持ちはクリエイターだ。Youtuberと言ってもいいかもしれない。いかに登録者が増えるか、いいねもらえるか、つまり自分の伝えたいことに興味をもらえるかが大事だと思う。

具体的には、ガチャガチャしたスライドは見にくいので良くないが、アニメーションを駆使したり、ちょっとした演出を挟むことで見てて飽きない、「オモロい」スライドになるのではないかと思っている。ここまでくると何かのパロディなんかも本当は挟みたくなってくる。
もちろんセオリーは大事なので、研究で言うところの「目的、方法、結果、考察」の筋道は整えることを一番に気にすればよいと思う。
あとは細かいところの言葉の意味や繋がりなど、よく指摘されることが多い。でも、発表中誰かこんなとこ気にして見てます?ある程度自分の言いたいことが伝わっていればよくないですか?大体発表中のプレゼンでなんとかなりません?っと思っておりましたが、この辺はまた後述。

学会フェス発表編

頑張って準備したスライドを引っ提げていざ本番へ。これは一緒に寝るほど大事にしていたギー太をもって初めての学園祭ライブに出る唯ちゃんと同じメンタルである(年代がばれる)。時間内に終わるかな、とか、「素人質問で恐縮ですが~」みたいなやべぇ質問飛んでこないかなとか、凄く緊張すると思う。実際私もしたし、今でももちろんする。
まあでも所詮フェス、別にうまくいかなくても死ぬわけではないし、知らない偉い先生の質問に答えられなくても留年するわけでも、首が飛ぶわけでもない。じゃあノリでなんとかなると思っている。
大事なのはある程度自分なりの答えを持っていたり、それに対して論理的にお話ができればいいと思っている。そして全く分からないことは素直に「分かりません、また持ち帰って調べておきます」といえば言いのだ。たまに嫌味な質問者もいるだろうが、かぼちゃだと思うようにすればいいと思う。

それに、自分もそうだがおそらく8割くらいの人間はそこまでしっかり聴いていない。リビングでテレビを見るが如く、「このラインナップなら、ここがおもしろそうかぁ」くらいのノリなんだと思う。食い入るように見てる人聴いてる人は一体どれくらいいるんだろうか。

自分の発表が終わった後はもう自分を縛り付けるものは何もない。他の人の発表を聞くもよし、その土地の名物を食らいつくすもよし。「論文化」という近いうちにやってくるであろう悪魔の所業に目をつぶって残りを楽しむとよい。

学会発表なめてるよね?

と、ここまで聞いた偉い先生の中にはそのようにおっしゃる方もいるかもしれません、ていうか絶対います。
「私が若いころは~」というのは一旦無しでお願いしたいですが、確かに学会というものはもっと格式高いものであり、そんなフェスみたいなことはどこかの勉強会か何かでやれという意見があるのももっともだと思う。
実際私も飽きさせない、楽しませるようにと思い、スライドづくりをしたが、「先生それは学会では出せないよ、学会はもっと学術的なものなんだから」と一蹴されてしまったことがある。細かい語句選びなども訂正される。句読点の位置、スペースの場所、いいだせばキリがないほど訂正される。
もちろん形式はブラッシュアップされていくのだが、言い方は悪いが、自分の仕上げたスライドは段々と「ふつう」なものになっていく。文字と症例画像、グラフだけのいわゆる「発表スライド」に成り代わる。
でも自分は経験の浅い、たかが弱者男性ならぬ弱者研究者なので言い返せるわけもない。「学会はこういうものだ」と偉い先生方から言われたら、そこで試合終了なのである。

「そんな細かいところなんで、誰も見てないですよね?もっとインパクト出していきましょうよ」とは口が裂けても言えない。言ったところでこいつなんやねんって目で見られるのは分かっている。

「君はここの大学の名前を背負って発表しに行くんだから」
「そういうのは偉くなってからにして」
「1人でも真剣に見てくれてる人がいるなら、それに応えてちゃんとしたものを作らないと」
返される言葉はもう分かっている。まるでジョセフジョースターの気分だ。
もちろんその考えも痛いほどわかる。痛すぎてもう何も言うな状態である。

学会とは何ぞや

初めの問いに戻るが、私は学会をフェスみたいなものだと思っている。というより、思いたいのかもしれない。
コロナで対面での集会が禁止になったとき、webで開かれたり、時にはバーチャルリアリティのような学会があったり、学会の開かれ方や在り方が大きく変わった。ゆとり世代でYouTube世代の私からしたらかなり快適で刺激のあるものだった。見逃したビデオはアーカイブに残りあとからベッドでゴロゴロしながら見れるし、発表もさながらVtuberのごとく「ご清聴ありがと〜高評価よろしく〜」の感じでできてしまう。

伝統を大切にするのは物凄くよく分かるし、それを学べる環境にいるのはとても幸せなことだとは感じる。でももっと学会というものをフランクに、身近に感じれば、若手研究者の発表の敷居は下がるのではないかとは感じる。


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