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飯を食うには

自由を享受できる代わりに、世間の荒波から我が身を守ってくれた会社組織を離れ、何もかもを自分で背負わなければならない身になった30歳と少々の春。とある先輩編集者は年収1000万を稼いでいました。

その方は、フリーランスとして企業系メディアの企画や編集をいくつか掛け持ちし、ライター活動にも積極的。さまざまな雑誌の特集記事でお名前(署名原稿のクレジット)をお見かけしましたし、ご自身の名前でコラムなども執筆されていました。

別にわたしはその方をことさらに私淑していたわけではないんですが。彼の存在はわたしらのような後輩フリーランサーに希望を与えてくれていたんです。組織に所属していなくても、自分のやりたい仕事を選んでできること。そして、編集者+ライター稼業で、それなりの収入を得られるロールモデルとして。

そこで、わたしも目標を立てました。
わかりやすいところで、とりあえず売上1000万!
収入1000万はさすがに遠かったので、まずは売上を4桁の大台に、です。

さて、一体どうやったらこの数字をクリアできるか。無い知恵を絞って、めちゃめちゃ考えましたね。

その時に手掛けていたお仕事の相場が、編集にしろライティングにしろページ単価2.5万から3.5万でしたから、単純平均計算で年間333ページ分の仕事をこなさなければならないという結論に至りました。アホですね、無鉄砲でしょ。毎日1pやっても日曜日をお休みにしたら達成不可能。絵に描いた餅。

単発の1pコラムばかりを書いていても埒があかないのはわかっていたので、できるだけ6p、8p、10pの長尺モノの企画を立てて、いろいろな出版社や編プロさんへの持ち込みを繰り返しました。で、さらにできるだけ編集とライティングをセットで受けれたらなおよし!という強い決意で。

ここから先は半分フィクション(身バレ……以下略)として読んでいただきたいのですが、海外企画も散々考えました。

今となっては広告出稿の関係で、いろいろしがらみが生じて難しい手法ではあるんですが。当時は広告主のジャンルが限られ、取材先とのタイアップにわりと寛容な雑誌が結構ありましてね。とりわけ、小さな出版社さんの雑誌では、予算が潤沢にあるわけではないので、海外ネタはほぼ念頭にありません(というか、やれません)。いわんや海外取材のノウハウもありません。
そこで、まず海外へ取材に行くためのエア代を観光局さんや航空会社と折衝し、宿代は泊まらせていただくホテルをなんらかの形でご紹介することで、それぞれタイアップを成立させました。そして、その企画を出版社サイドに持ち込むんです。とある雑誌の編集長さんにこの腹案を話したら、ぜひにでも進めてほしいとの要請があったんで。

そりゃあ取材費をかけずに海外企画が作れるとあれば、版元さんも願ったり叶ったり。通常の国内取材同様、後は現地でのメシ代や交通費程度の経費しかかかりません。仮に特集を組んでもらえたら、2〜3ページなどとみみっちいことはいわず、目玉として8ページ、10ページくらいは割いてくださいます。ホテル紹介は露出時期をズラして別で数ページ展開なんてこともざら。しかも、編集と文章を一人でこなせばダブルインカム。異なるテーマで何か別の取材を仕込んでおき、それを次号で展開するとか、別のメディアに持ち込めば、さらにその分も……。観光局さん、航空会社さんも一度きりのタイアップで複数媒体での露出が可能になるわけですから大喜びの三方よし。結果、一回の取材でかなりまとまったページ数を担当させていただけることになります。

こんな感じで、月イチペースで特集企画を練り、その他の書き仕事も取りこぼしなくやらせていただき、その年は目標の8割方はクリアできましたかね。まぁ、時には事前調整が不発に終わって、紹介に値するホテルに泊まれず安宿(自腹)を拠点に取材をしなければならなかったり、現地のコーディネートさんを雇う予算捻出が叶わず、これまた自腹を切ったりしたこともありましたけれど。そうしたトラブルの数々はお勉強代ということで。

一つだけ誤解のなきよう申し上げておきたいのは、仁義を欠いちゃいけませんよということです。仮にどこかの雑誌編集部さんの依頼で出かけた際は、その編集部さんのお金で動くわけですから、本来業務以外に何か内職を画策するなんてもってのほか。絶対にNG。でも、いわゆるアゴ・アシ・マクラを自分で調達できて、それを編集部さんに持ち込んで呑んでいただけたのなら話は別。取材の自由度が広がります。あとはそれなりのボリュームで掲載していただければOK。

そういうことをやっていると、世界の各都市に住むカメラマンさんやライターさんとのネットワークが自然と構築されていきます。取材スタッフの渡航代が節約できる分、よりシステマチックに量産できるようになり、取材依頼や撮影許可といった仕込みはこちらでやって、あとは遠隔で現地スタッフさんにやっていただくなんてケースも増えていきました。
ある時、パリの散歩道と題した企画なんかも、手前味噌ですがいいページになったんですよー。編プロ時代、幾度となく彼の地へ出かけた経験が役立ちました。カメラマンさんに目当ての施設やお店などの写真を撮っていただいて、あとの編集や原稿書きはこちらで巻き取っちゃう感じで、それなりの特集が作れました。
毎度毎度、面倒な調整が多くて、いつも冷や汗をかく連続でしたが、わたし自身あちこち行かせていただくことも多く、楽しかったなぁ。しかも自分が書きたいこと、作りたいページをアグリーいただけた時は喜びもひとしお。

そんなこんなで、あれこれ足掻いているうちに、企業情報誌の編集を一冊まるごとお引き受けできるお話をいただいたり、バジェットの大きな案件をオファーいただいたりで、目標額はコンスタントに達成できるようになりました。
ただ、そうなると、お仕事の性質上、単独ではやっていけなくなるのが必定。アシスタントを増員し、組織として動かざるを得なかったので、以前も書いたように、別の苦しみが増えていくという沼にハマっていくんですけどね。
特に、法人化してのち、何年か連続して売上が大台を突破したことで、早々に免税業者認定を外されてしまったのが痛かったです。だって消費税をゴッソリ納めなきゃいけなくなったので(笑)。

まぁ、最近はコロナ禍を経て、かつ紙媒体の影響力がひと頃より酷く低下してしまいましたから、エアラインさんなど個別のタイアップ提案はすんなり受けてくださらないかもしれません。また各都市の観光局さんも、定期的なプレスツアー(決まったコースを回る報道関係者向けツアー)以外のご協力を取り付けるのは難しいです。上に書いた編集部への持ち込み云々は今でも多いと思いますけど。

尤も、人並みにいくぶんか稼げるようになるまでには、他にもいろんなことに挑戦しました。細かく書くと差し障りがあるのでキーワードにとどめますが、共同販促やら、地方創生やら、自分で動いて何かが生み出せそうなこと、社会や誰かの役に立ってなおかつお金がいただけそうなことは、考えつくそばから手当たり次第にとりあえずやってみたもんです。

基本的に、仕事は向こうから歩いてきません。ご縁あって、信頼関係を築き上げることができたクライアントさんがいらっしゃれば、それに越したことはありませんし、大切にした方がいい。与えられたフィールドで一所懸命に励んで、先々の仕事の幅を拡張していくのもよいと思います。でも、やりたいことがあればそれを実現する術を考える。伝えたいことがあればその舞台を自ら拵える。そういうのを臆さずやっていくうちに、食えるようなっていくんです。
ま、今はだいぶ規模を縮小して身軽になり、ひと頃より稼ぎはこじんまりしてきたんで、あんまり偉そうなことはいえないんですけどね。そういうことにトライできるのがフリーランスの醍醐味だと思います。

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