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暗くて重くて鬱になりそな「私小説」が、冒頭に「閲覧注意」などという野暮な文言を掲げていない件

高校一年生の時だったかなぁ。
前に読点の打ち方について書いたnoteにご登場いただいた〝かわいらしい先生〟とは別に、現国の先生がいらっしゃいましてね。

見た目はいかつい髭面でおっかなくて。ちょうど柔道金メダリストのウルフアローンさんが真剣勝負に臨む時と、自民党の石破さんが「防災庁?いらなくね?」と批判されてブスッとした時の顔を足して2で割ったように眼光鋭く、ドスの効いた声が印象的な先生だったのですが。さすが国語の先生らしく文学にお詳しくて、非常に繊細な作品解釈の視点をお持ち。わたしはそれを頬杖ついて聞いているのが楽しかったんです。日々、文学をシニカルに語る先生の授業が待ち遠しくて仕方ありませんでした。

ちなみに、〝かわいらしい先生〟に教わった読点の付け方はこちら。

んで、〝かわいらしい先生〟ではなくって、その〝コワモテ先生〟が、お好きなジャンルとして挙げていたのが「私小説」でした。

【私小説】(わたくししょうせつ・ししょうせつ)
フィクションが前提の「小説」とは異なり、作者の体験に基づいて書かれた文学作品。ただし、エッセイのように完全なノンフィクションとはいえず、虚構や創作も多分に含まれる。実体験がベースなためにリアリティに富むが、絶妙に脚色されているので、どこまでが本当で、どこからが嘘かを想像しながら味わう楽しみもある。

わたしの解釈です

先生は当時(1980年代後期)、一般的な小説作品に比べて、私小説の凋落ーー今で言ったらオワコン化とでもいいましょうかーーをいたく気にかけていらして。自分は私小説が大好きなんだけれども、将来このジャンルがなくなってしまうんじゃないかと危惧されていました。

曰く、私小説の魅力は生々しさ。時には読み手の道標や希望になることも書かれていたりしますが、大抵は誰かに話しづらいネガティブなテーマや、特殊な舞台設定における救いのない話が滔々と綴られ(偏見かな 笑)、しかも作者自身が自分の内面と向き合いながら物語が進むもんですから、感情移入が強くなる分、受けるダメージが強かったりもします。
もしかしたら、イケイケの経済成長期にあった往時の日本では、こんなしみったれた話なんて誰が読むかよ、なんてふうに忌避されていたのかもしれません。確かに、あれを通勤や通学時の電車内なんかで読んでいたら、開いたページによっては、その日一日気分がドーンと沈みっぱなしという羽目になりかねません。

ま、わたしがオトナになってからは車谷ちょうきっつぁんとかが出てきて、再評価されるようにもなったんですけどね。一昨年だったか、亡くなられてしまった西村賢太さんもそう。『苦役列車』は名作でした。

しかしながら、よくよく考えたら、わたしがこのnoteというプラットフォームで書いている日記や備忘録の類いも、大きく括れば、私小説のようなもんなんです。一緒にするのも烏滸がましいほどスケールはちっさくて、書いてる内容もショボいけど。

出てくる人にご迷惑をかけないため、あるいは自分自身の身バレを避けるため、ところどころに脚色をかましていますし、どうしても心の中に湧き立ってきたキツい言葉や、日頃は人様にあまりお見せできない感情なんかを綴っちゃうもんですから、読む方によっては「なんでこんなもん読ませられてんだ」と思われることもあるでしょう。すんません。

note はできるだけ『王様の耳はロバの耳』に出てくる〝葦の近くに掘った穴の底〟にはしたくないんで、愚痴めいたことは書かないようにしています。それでも、生きていたらいろんなことが起こります。ちょいとカチンときたことや、こりゃアカンやろと怒哀にまみれたこと。それらを言語化しようとするとどうしてもね。乱暴な持論、斜めすぎる視点でクドクド書きたくなるものです。
だから、お目汚しが甚だしい、読んで得することなんて微塵もないかもしんない、そんな書き物がいっちょあがりとなってしまいます。わたしが書く備忘録にも、そういったものが少なくありません。

けれども、私小説というのは元来そういうものなのです。
ホントは心の中にそっとしまっておいて、わざわざ書かなくてたっていい。でも、こういう世界もあるんだぜってのを知って欲しくて、吐き出したくて、最後はすべてを曝け出して書き切っちゃうぞ、読んでイヤな思いをしても知らんぞ? ……みたいな作品が生まれていきます。

葛藤、格闘、産みの苦しみの末に編み出されるから、読み手はいたく共感することもあれば、励まされることもあるし、逆に心がざわざわしたり、気持ち悪くなったり、嫌悪を抱いたりすることがあります。

でも、そういう作品の数々が、事実、書店に並んでいます。売れるか売れないかの価値観なんて軽く笑い飛ばし、誰かに益をもたらすかもたらさないかの概念なんぞガン無視で、賛否両論巻き起こるであろうことを泰然と見越しながら、幻冬舎だの、角川だの、ぶんか社だのからわりかし定期的に出版されています。べつに一流出版社が出版したから良書なのかというとそうとは限りませんが、今もミステリーやホラー、恋愛小説、歴史小説などと並んで、イチジャンルを築いています。

わたしは、くだんのコワモテ先生のように、とりたてて私小説が好きというわけじゃありません。実際読んでみて、つまらんなぁと思っちゃう作品もありましたし、無駄にあれこれ詮無いことを考えさせられて眠れなくなったことだってあります。

でもね、そういう自由な書き物があっていいとは思っています。「閲覧注意」とか「こういう方は読まないでください」とか「そっ閉じしてください」なんて、わざわざ注釈添えなくていいんじゃない。親切心とは思いますけど、なんか冷めます。まぁ注釈添えるか添えないかも、これまた書き手の皆さんの自由なのですけれど。とにかく、noteが、そういう自由な書き物を排除しない場であることを切に願います。

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