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おじさん 1

珍しく、自分自身の考えがまとまらないまま、このnoteを書いています。
いつもはさくさく書けるのに、書き始めようとしては思案に耽って、また、さぁ書くぞ!の繰り返し。わずか数行の文章を書いている、今この時点でも、結末はどうなるのか分かっていません。きっと、終いまでかなりの時間がかかるでしょうな。
毎度のごとく申し上げますが、単なる備忘録なのでスルーください。


ここ1ヶ月間は、1日が1週間、なんだったらひと月ほどにも思えるような、実にさまざまな出来事が起こりました。
仕事だけじゃない。むしろ7割プライベートかな。

ただ、過去に書いた日記にも記しましたが、とある人物の存在が、ここ1〜2週間で思い悩み、こんがらがっていたわたしの感情の塊を解きほぐしてくださっていました。それがおじさんです。
あ、もちろんカミさんもその一人ですけれどね。
今回は叔父について備忘を試みたいと思います。

わたしに叔父は2人いて、一人は母方の兄弟の末っ子のおじさん。
兄弟と書きましたが、母方はほとんどが伯母と叔母で、叔父は唯一の男性です。本家は一番上の伯母さんのご主人が跡を継いでいるので、おじさんは長男なんですが、微妙な立場だったんですよね。

イメージいただけますかね。実家に帰っても、家を守る長姉夫婦がいらして家業を切り盛りされている。末っ子で自由なポジションだからと、家を出て自分の人生を歩んできたけど、一家の長である義兄には家のことをすっかり任せしてしまっている申し訳なさと負い目、本来は自分が長男として家長を継ぐのが当然なのにという悔恨が、折り重なって、綯い交ぜになっているという、複雑な思いを抱いていたわけです。
まぁ、甥っ子というわたしの立場から見ても、ちょっと気の毒な気持ちが湧いてくる人。剽軽で、それでいて思慮深く、大好きな叔父です。

おっと、いつも悪い癖で横道に逸れました。
今日書き留めておきたいのは、もう一人の叔父です。
母方ではなく、父方の叔父。父の年の離れた弟。
今まさに、父との親子のつながりが失せかけていた時に現れた、わたしにとっては救いの神のような存在です。

数年前まで、わたしたち家族はよく実家に里帰りをしていました。いわゆる盆暮れのご挨拶というやつですね。
その時、父はおじさんと疎遠になって随分と長い期間が経っていました。
わたしと母がなんとかその関係を修復しようとしていたことは、過去にも書きましたが、お正月やお盆に帰っても、叔父が実家に来ることはありませんでした。「電話をかけたんだけどねぇ。忙しいみたいだよ」。ホントか方便かは知りませんが、母がそう言うので、父との和解が進んでいないのだなと想像するほかありませんでした。

でも、ある年、母がガンになり、手術のため入院してしまうことに。
おじさんやおばさんには、母の病気を伝えておかねば。
そう思って、たぶん初めてのことじゃないかな。
わたしからおじさんに電話をかけたことがあるんです。
こんな状況になっちまいまして。
母の入院中は父が独りになっちゃいますんで。
実は、母に聞いた話なんですが、父にも悪性の腫瘍が腰にあるみたい。
父のほうは進行が遅いんで、薬で散らしているみたいなんですが、と。

ところが、タイミングが悪かったんです。
驚いたことにおじさんもガンを患っていましてね。
ご自身のことで精一杯といった様子。
そんな状況にも関わらず、わたしのSOSを聞いて、すぐ実家に飛んできてくれたんですけどね。
「お前には悪いけど、俺もこんなだから。すまんが助けてあげられないかもしれないんだよ」
以来、わたしはおじさんに遠慮してしまい。
こちらから連絡を取るのを控えるようにしていました。

だから、母がこうなってしまい、父が頑なに一人暮らしを続けている間、おじさんに連絡を取ることはありませんでした。おじさんだって、ご自身が辛く、不安を抱えている時に、兄である父を頼ることはなかった。心配させまいと母にもそれを知らせなかった。だとすれば、要らぬ負担をかけてはならない。わたしの勝手な想像でしかありませんが、そういう配慮が働いてしまったのです。

わたしだって、1年にわたってリハビリを続けるほどの交通事故に遭って、その間、仕事を棒に振った経験があります。書き仕事やデスクワークはいいんですけどね。取材や撮影が絡む仕事はムリ。松葉杖が手放せなくて、打ち合わせに出かけるのもひと苦労。往時、東京のバリアフリー化はどんどん進められていましたが、例えば、ある地下鉄の駅では、地下から地上に出るためのエレベーターが交差点の150m先にあるなんてザラ。えっちらおっちら杖をつきながらですから、いつもは20分もあればイケる距離を1時間かけて歩いたことがあります。

慣れない生活が続くとイライラがつのります。収入が減っていくことへの焦りもあります。自分はこのままダメになってしまうんじゃないかという不安に苛まれます。そういう、他者にはわかってもらえなさそうな、さまざまな煩わしさや労苦が、病後を過ごすおじさんにもあるかもしれない。そう考えたわけです。

不便なことがワンサカある中で、ご自身のライフサイクルのペースをようやく掴み、もしかしたらだいぶ気持ちも落ち着いてきていて、ささやかな幸せと平穏を感じ始めたさなかかもしれない。そんなところに、新たな悩みのタネを持ち込まれるのは誰だってノーサンキューでしょ。そりゃ遠慮しますって。


そんなおじさんが、実は去年の暮れぐらいから、父と連絡を取り合っていたのです。

あんだけ関係を悪化させていた(と思っていた)父が、おじさんを頼っていた。
知らないところでよしみを結んでいた。
孤独な父のよき相談相手として、おじさん夫妻がいた。
一人暮らしを続ける父を物心ともにサポートしていた。

それが、先日行なわれた父との話し合いの直前に分かったのです。
支援センターのご担当者さんから「本日、お父さまの弟さんがオブザーバーとして出席されるそうです」とお聞きし、そこではじめて知ったのです。

「元気か。忙しい時に悪かったな」とおじさん。

「兄貴からはお前に話してくれるなと言われていて。俺は今まで自分の存在を消していた。お前には悪いと思いながらも、そこだけは兄貴との約束だったんだ。分かってくれ」

(つづく)

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