レギュラー、単発、選ぶはいずれ?
明日はお休みなのでもう1本書こうかしら。
お題はタイトルの通りです。あんまり細かく書くと、わたしんちの規模や、なんだったら収入レベル、ひいては生活レベルまで推量されてしまいそうなのでザックリと。
今、いただいているお仕事は、月イチペースの取材モノが複数本、同じく毎月配信のオウンドメディアでコラム記事を何本か、わりとまとまったページ数の季刊誌を3ヵ月に一度まるッと一冊。細かいのはもう少しありますが。概ねこれらがベースとなっています。
去年まではもう一誌あって、正直てんてこ舞いの日々でした。2年、さらに2年と契約が継続して、間に立つ中間業者さんが変わってもう1年延長。計5年間続いたその情報誌は、クライアントさんサイドで委託業者との癒着を防止する定期的な見直し制度が設けられることになって、晴れて卒業となったんですけどね。
ミスがあったとか、版元と揉めたとかではないんで、自分的に悔いはありません。ちょうど母のことがあり、ホントに心身が消耗しちゃって。一気に堰を切ってぶっ壊れそうだったので、渡りに船といっても言い過ぎではなかったんです。
でも、せっかく少しはラクになるかなと思ったら、神様は試練を与え続けるんですよ。これらのレギュラーワークに加え、短・長期合わせて何本かの単発モノが湧いてきて、一気に集中してしまう季節もありました。
レギュラーの方、とりわけ一冊丸ごとの編集業務は、基本的に独りじゃまわせません。それぞれの案件ごとに複数の外部スタッフさんをアサインさせていただく形でチームを組んでいるんで、誰かがパツンパツンの時は、余力がある別の誰かにフォローしてもらうなどして、タイトロープながらやり繰りできます。
母が介護施設に入所する際の手続きで丸一日動けなかった時や、入所後に容体が悪化したり、怪我で提携病院に検査入院した時なんぞは、頼れるお仲間があれこれ動いてくださり扶けていただきました。感謝。
ところが、困っちゃうのが単発モノです。
レギュラーは、あらかじめ大体のスケジュールが見えているため予定が立てやすく、各メンバーともに、その大体の見通しから他の(ご自分の)お仕事との調整をしてくれています。
ところが、単発モノの話が来るとスタッフィングの難易度が途端にあがります。そのコンテンツメイクにぴったりんこなAさんに分担を願い出ると、他の何かの案件に必ず皺寄せがいきます。今追いかけているネタに全力投球してほしいBさんや、あんまりその分野に知見のないCさんを選抜するのもちょっと憚られる。アガリに自信が持てないキャスティングはやめておくのが吉。
あとは、紹介の紹介で伝手を辿って、新しいクリエイターさんとご一緒させていただくのも方法としてはアリですね。フレッシュな方々とお仕事ができるということは、こちらも仕事に対する姿勢や思考をリフレッシュできて、必ず何か得るものがあります。何より、こうしてお願いできる仕事があるうちに仲間の輪が広げておくことができます。広がった輪はのちのち我が身を助けます。
ただし、ここで単発仕事のウィークポイントが発動します。
手練れと評判の編集者さんや、いつかはご一緒したかったライターさんなど、依頼したい方が優秀であればあるほど、当然ご自分のお仕事をたんまり抱えていらっしゃるものです。多少ギャラや条件がよくっても、速やかにガッテン承知とはなりにくい。既存のお客様との義理もありますし。
だからといって暇そうにされてる方だと……。うん、みなまでいいますまい。わかりますでしょ。結局はなから自分がやった方がよかったなんてことになると、外注する意味がない。
しかも単発ですから、仕事が完了すればそこで終わり。安定的に収入が担保できるレギュラーに比べて、単発は極端にウケが悪いんです。
昨年は、ウェブサイト制作、小冊子、ホワイトペーパー(BtoBのステークホルダー向け報告書)など、硬軟織り交ぜいろいろ、制作期間も長短いろいろ。
お断りするのは簡単でしたが、それがきっかけとなって、先々安定したレギュラー業務につながることも少なくありません。
16ページ程度のカタログ誌(季節限定の別冊特別版)をお引き受けしたら、読者の反応や売上の伸びが数字として表れて、後々60ページ以上のカタログ誌本体を編集させていただくようになったこともあります。スタジオでの物撮りはもちろん、モデル撮影とか、掲載商材の産地取材とか、ロケの際の道路占有許可申請だとか、とにかく手数の多さが求められたので、若干ウチの手に余った部分もあって大変でしたが。長期にわたって携わらせていただいたので、収益基盤としてはかなり大きかったです。
理想を申し上げるなら、企画の段階からじっくりプロジェクトに加えさせてもらって、数年単位で業務契約をいただける。そんなレギュラーワークがあと少々ほしいです。一度線路を敷いてしまえば、外部から進行管理スタッフを募ってお任せすることもできますし、細くとも長いおつきあいになるようでしたら専属の社員を雇ってもいい。
でもそうなったらそうなったで、頭数が増えていく。増えていくとマネージメントが煩雑になる。人材育成やら、オフィスの箱の大きさやら、銀行さんとの融資の折衝やら、誰かが辞めちゃった時の対応やら、今度は経営者としての悩みと格闘しなきゃならない。
前に企業規模の話を書きましたが、そういうカオス状態は一度経験したことがあるんです。組織がデカくなると、スタッフを食わしていくために仕事を増やさざるを得なくなって、一生懸命頑張って仕事を見つけてきたのに、スタッフたちは余計な仕事が増えたと愚痴ばかり。ダメ押しだったのは、手塩にかけて育てた後継候補がようやく一人前になったと思ったら、フリーになりますと出ていってしまって。自分がなんのために働いてるのか見失ってしまったことがあります。
置き屋の女将は、はたから眺めてたらいいご身分に思えますが、芸妓を束ね、彼女たちの人生を引き受け、芸を磨かせ、ココロとカラダのケアをしながらモチベーションをもあげていかなきゃならないという、女将なりの労苦があるんです。
わたしの場合、もうそういうのはパスです。仕事の量や質に応じて、阿吽の呼吸で思いを共有できる家族的なスタッフや、外部の協力クリエイターさんたちと協働しながら、自分のペースを守っていけたらいいかな。今は。
仕事を人に振ってばかりだと手元にお金が残らないんで、自分もプレーヤーとして額に汗するくらいがちょうどいい。この仕事、マネージャーがやりたくて始めたのとちゃいますし。
難しい判断ですが、なんかの時に備えて身軽にしておくのもリスク回避だと思います。経営的にも、社会貢献的にも「これがわたしの屋台骨」と胸を張れる仕事は大切にしていきたい。でも、柱が多い家が、必ずしも耐震性に優れているとは限りません。わたしは大きな組織のトップを張るような器ではないということを、これを書いてて再認識した次第です。