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稲荷信仰の神社

時代劇で有名な 池波正太郎原作の『鬼平犯科帳』には、鬼平こと盗賊改メ長官の長谷川平蔵が、自宅の庭に小さな祠を造る描写があります。凶賊に倒れた配下の密偵の供養のためでした。
鬼平犯科帳の舞台は江戸時代中期ですが、この時代、お稲荷さんは商売の神,芸能の神として大流行しました。「流行り神」という言い方もこの稲荷信仰の流行から来ています。稲荷神社が多く作られたのもこの時代で、「稲荷伊勢屋に犬の糞」という戯れ歌までありました。稲荷神社と伊勢屋という名前の商店、道端に落ちてる犬の糞を同列にして、あまりにありふれたものだとからかった訳です。
元の稲荷神社は8世紀に成立した京都の伏見稲荷が最初といわれます。キツネは神の使徒とされます。だからといって伏見稲荷が稲荷とキツネを結びつけた訳ではなく、日本には有史以前から田んぼの周辺に狐を田の神として祭った狐塚がつくられていたという土着の風俗が神社へと発展した様子です。稲荷の字も「稲が成る」から来ているという説があります。
また、稲荷寿司もキツネの大好物が油揚だという俗信からその名がつけられていますが、キツネが特に油揚を好むということはありません。

写真は小樽市の入船稲荷。明治初期にこの近辺を縄張りにした侠客を祀った小さな神社です。

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