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入院して気付いたこと

去年の冬、持病で入院をした。

持病というのは、特発性血小板減少性紫斑病という血小板が少ない病気だ。2歳の頃からの付き合いだから自分の血小板の数値の低さには驚かないとか、初めていった人間ドックで卵巣嚢腫が見つからなければこの入院はなかったとか、病気や入院に至るまでのあれこれについてはまたまとめるとして、今回は入院を経験したことでちょっと変化したことをまとめていきたい。

ちなみに、これを読んでくださっている方にもし同じ病気を持つ同士がいらしたら…という可能性を考えて、私の入院前の平均的な血小板の数値をお伝えしておく。
血小板は出血した時に血液を固めて出血を止める働きをする。その血小板が1ミリ立方メートル中に13万〜37万あるのが一般的な数値(大体20万が平均値)だが、私の血小板は1万〜3万だった。今は投薬によりちょっとだけ増えている。

そんなわけで、去年の冬、血小板を増やすための投薬治療のために入院をした。
投薬治療なら家でもできるのでは?と思ったが、免疫を抑制するステロイドを大量に飲むため、コロナ以外の病気にも感染しやすくなり、また急に血小板が増えた際に起こりうる問題にすぐに対応できるよう、入院をせざるを得なかった。当時は「卵巣摘出手術をするために血小板を増やす」という目的があったのと、20年ぶりの入院だったため、自分の身体の変化を見るぞ!と半分実験気分で入院に臨んだ。

ありがたいことに、その間の仕事は私が抜けた穴をチームがカバーしてくれた。私は小学校で教員をしているが、特別支援学級の担任である。担当の子どもは決まっているものの、複数人の担任でチームを組んでいるので、私がいなくてもなんとかカバーできる状況であった。当初は冬休み明けには復帰する予定でもあったし、成績は早めに提出してから入院したので、仕事のことはあまり考えずに入院生活を送れたのは幸いだった。

このような状況で、結果として40日間の入院をした。
手術をしたわけでも、点滴をするわけでもないので、体は自由に動かせる。夜は薬の副作用で眠れないことはあったけれど、ゲームや読書で暇は潰せる。精神的には多少上下はあったが、体は特にしんどくない。
そのような状況で入院をした中で、自分にとって良かった点を挙げていこうと思う。

仕事のストレスから解き放たれた時にどうなるかわかった


1秒後にもどうなるかわからない子供たちに囲まれて過ごすのは、なかなか緊張する仕事だ。楽しいこともあるが、それ以上に悩むことも多く、常にストレスがかかっている。とはいえ、どんな仕事にもストレスはある。それに私は家事がとても苦手で、特に料理、食生活の自己管理が全然なってない、ということを知りながら改善できずに過ごしているという状態だった。

入院すると、仕事のことを考えなくてもよくなる。
明日はどう授業をしよう。あの子が暴れたらどうしよう。あの先生にあの事を伝えなければ。なんて事を考えなくて良い。

夕飯のメニューも考えなくてよくなる。
今日は疲れたからコンビニでいいか。いや、もうマックでよくない?でも体に悪いよね。いやでもめんどくさいからそれで。
メニューを考えなくていいばかりか、常に栄養バランスの良いものが出てくる病院食なので、栄養面で罪悪感をもつこともない。

そんな生活をしていたら、硬い体が柔らかくなった。
前屈をしても爪先には絶対に手が届かなかった私が、ほぼベッドの上の生活だったのにもかかわらず、爪先に手が届くようになった。家ではほとんど続かないストレッチをするようになったことと、常に暖かい病室にいたことが要因からだろう。小さい頃から体は硬いし、これはいくらストレッチしても無駄だろうと思っていたが、自分もある程度は柔らかくなるのだということがわかった。

健康についてちょっと真剣に考えるようになった


まず、健康でいることの大切さを実感した。もちろん「健康第一」とか、「体が資本だよね」などという言葉はよく聞くし、よく口にもしていたが、身をもって理解したということだ。健康でないとやりたいこともできないし、たとえ自分が欲しい何かをたくさん持っていたとしても、健康でないと意味がない。

自分を知るということは、自分の心を知ることだけではない。体を知ることも大事だ。自分の意志と体の組織は別モノ。「血小板、増えてくれー!」って思っても増えてはくれないし、「死にたい」と思っても心臓は止まらない。自分の意思とは別に、私の体の細胞たちは働き続ける。彼らの努力に応えるためにも、本体としてできることをしなければ、と思うようになった。

心と体に余裕ができると仕事に向き合おうと思えるようになった


普段は日常をこなすだけで精一杯で、何かを学びたいという意思がなかなか出てこない。でも、春・夏・冬の長期休暇になるといつも新しい事を始めたくなる。だから本来は「学びたい」という気持ちはあるのだろう。でも正直、体がまず追いつかないし、そうなると気持ち的にもキャパオーバーになる。

でも、入院中、特に後半は違った。Kindleで本をたくさん読んだ。今まで敬遠していた教育関係の本も読むことができた。

「仕事とは」という根本的なことも考えるようになった。教師という仕事を続けるか否かは、毎年、毎学期考えることだが、辞めたとして何をするのか、辞めなかったら何ができるのかをゆっくり考えることができた。

違う仕事についても考えた。世の中にはいろいろな仕事があって、それぞれの場所でそれぞれの人たちが働いている。仕事に名がついていない人たちも、その人たちになりに頑張っていることがあるだろう。入院中に一番身近にいた医療関係者や世の中にいる病と戦っている人たちのことも考えた。

この病気を持っている私が、この病と共存しながら教師としてできることは何か。以前から自分のテーマではあったけれど、今後も考えていかなければならないことだなと思っている。

退院後の生活が改善された


退院してから、私の生活は少しだけ変わった。

それまでは起きてから20分くらいで朝の支度を済ませて家を飛び出していたが、そんなわたしが5時に起き、入院中に始めたリングフィットアドベンチャー2をし、朝食を食べてから出勤するようになった。起きてから2時間くらい余裕がある。夏からはGoogleフィットで歩数も数えている。仕事も18時台には退勤できるようにし、なるべく無理せず身体を第一で考えるようになった。



でも2月に仕事に復帰してから体の硬さはすぐ元に戻り、一時期は16万まで上がった血小板も最近は3万まで落ち、薬の副作用で増えた体重は運動をしても落ちず、夕食はやっぱり適当で、クラスの子供やGIGA対応で仕事の悩みは尽きない。生活がちょっとだけ変わったからといって、なにかが劇的に変わるわけではない、ということも痛感している。

でも、このちょっとした変化は私にとっては悪いことではない。気付いただけでもラッキーだし、朝のルーティーンが習慣として今も続いていることは我ながら高評価できる。

自分の心と体に向き合うこと、これからも続けていきたい。

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