物理的豊かさと精神的豊さの反比例。
旅で心が揺らされるのはなぜだろう。
移動と幸福の相関性に関するニュースが世を賑わせていたので、自分も考えてみる。
肌感覚ではあるが、「尺度への揺れ」によるものだと僕はおもう。
言い換えれば、当たり前が当たり前でなかったと気づく瞬間。
都会のビルの森から抜け出して感じる風の心地よさ。
インド人が想像以上に日本のアニメに詳しかったと知った時。
スマホを湖に落としたけど、人のありえんほどの優しさと巡り合わせでなんとかサバイブできた時。
みんなにも旅をした時にあるんじゃないだろうか。
差異や異文化を体験し、その自分の感覚からすれば異なるものに驚きつつも、これが〇〇スタイルか...と。
不都合だったり、その場では大変な思いをしつつも、いつかの日の笑い話になるだろう...
さて、本日の本題。
物理的な豊かさは精神的な豊かさと反比例しているなと感じてしまった。
僕は社会人になって定住生活を始めたが、なんだかいろいろ買ってしまって、段々部屋がごちゃごちゃするしてくるし、お金も勿体無いなぁという感じた。
物理的には買えるものが増えた。
けど、別に目に見えて豊かになったと思うのは一瞬で、それに慣れて仕舞えばなんも感じなくなる。
むしろその水準より上が見えてしまう。
これはエンドレスゲームに巻き込まれてしまっている感じがしてよろしくはないなぁと思った。
では精神的豊かさってなんだろう。
僕はあえて定住しないでゲストハウスやホステルを転々とするライフスタイルをしていた時がある。
積極的ホームレスもといアドレスホッピングだ。
この時の僕は3日分の衣服、PC用具、衛生用具の三種類だけバックパックに入れて渡り鳥のように暮らしていた。
この時の「何もいらねぇ」感はすごかった。
今とはまさに対極。
足りないことがストレスではなくむしろ幸福。
いく先々で出会う人々。彼ら彼女らと触れ合うことで自分の見えてる世界の額縁が壊れ、また少し大きくなって組み直される。
世界の広さや価値観の広がりを感じていた。
環境を変えることでリフレーミングを毎日何回も起こす。
物理的には不便だけど精神的な充足度はすごかった。
これは尺度の揺れだ。
尺度の揺れが心のゆれにつながっている。
それを五感で感じるのだ。
自分自身が組み立てる部屋の中ではその揺れが起こらない。
自分の価値観で選んだ部屋、家具、食べ物、服.......
心地よさはあれど、それを使うことでの心の揺れは起きにくくなる。
問いの答えはこれだろう。
旅に出られずとも、ちょっと日常を崩す。
このチョけた精神を大事にして行こう。
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